第四話 五人の昼食

翌日――水曜日。


その日の朝、一冴は菊花と二人で登校した――先日のことを話したかったからだ。


波紋状の石畳を歩きながら、話しかける。


「それで――蘭先輩、菊花ちゃんの返事を聞きたがってたみたいなんだけど。」


菊花は迷惑そうな顔をした。


「みたいなんだけど――って言われたところで。」


「蘭先輩には――どう答えるわけ?」


「いや――何も答えることはないっていうか。」


一冴は不安になる。


「まさか、菊花ちゃん、その気はないよね?」


「あ――あるわけないでしょ。」


背後から呼び止められたのはそのときだ。


「そこの二人、お待ちなさい。」


振り返ると、蘭がいた。


蘭は、菊花の元へと歩み寄り、胸元に手を伸ばす。


「タイが曲がってゐてよ。」


そして、浅葱のネクタイを少し直した。


菊花の顔が蒼ざめる。


「身だしなみはきちんとしてゐなければ駄目ですよ。どこから誰が見てゐるとも限らないのですから。」


蘭は軽やかにほほえんでみせる。


そして、学校へ向けて優雅に立ち去っていった。


菊花はと言えば――何をされたか分からないような顔をして、蘭の後姿と一冴とを交互に見る。何か妙な物に触れたかのようにその顔は蒼い。一冴もまた、蘭の奇行に困惑するしかなかった。


校舎へ着き、やがて授業が始まる。


そうして、午前の授業が終わった。


昼休憩――梨恵と菊花、そして紅子も伴って学食へ向かった。しかし、人数が増えても食事の量は増えない。女生徒へ向けて提供される食事は、一冴にはやや少なかった。


カウンターで犬うどんを注文する。


四人で同じテーブルに着き、食事を始めた。


テーブルへと蘭が近づいて来たのは、そんなときだ。


「ご一緒してもよろしいでせうか?」


菊花の顔が引きつる。


一方、梨恵はこころよく応えた。


「ええ、構いませんよ。」


菊花の隣に蘭は坐る。


気味の悪そうな顔を菊花はした。


「みなさん、いつも一緒にをられますね。」


「ええ。」一冴はうなづく。「部屋が同じだと、一緒に行動することが多くなりますしね。それに私と菊花ちゃんは親戚同士ですし。」


「さうですか。てっきり、お二人はお付き合ひなされてゐるのかと思ひました。」


げふう、と、菊花はむせこんだ。


「あら、図星でしたか?」


「ぐぇほ、ぐぇほっ!」


咄嗟に一冴は否定する。


「いえいえ、そんなんじゃありません!」


「冗談です。親戚だといふのは存じてをりました。たゞ、詳しいことは存じてをりませんが。――いちごさんは、京都の出身なのでしたっけ?」


「あ――はい。」


菊花との関係を、虚実を織り交ぜて一冴は語る。


そのかたわらで、菊花は急いで食べ始めた。


話題は自然と出身地のことへと移った。


「私は鎌倉です」と紅子は言う。「まあ――鎌倉って言っても、山奥の方ですけどね。海の方でしたら、風景に面白みもありますし、歴史のあるものも色々とあるんですけど。」


梨恵はうらやましそうな顔をする。


「ええなあ、鎌倉。うちも行きたい。」


「いやいや、個人的には鈴宮市のほうが面白みがあるよ。鈴宮市は海沿いに市街地が拡がってるし、紅煉瓦の建物や路面電車もあるし。」


「紅子さんは、ソ連がお好きなのでしたっけ?」


「大好きです♡」


にっこりと紅子は笑う。


「内部人民委員会もシベリアへ逃げ出しちゃうくらい好きですね。あ、内部人民委員会っていうのは秘密警察を統括したソ連の行政組織なんですけど。もしもスターリン時代の方が生きていらしたら、その家の扉をノックしてお話を聴きたいくらいです。」


「はあ――少々変はったご趣味ですね。」


それはお嬢様言葉で「悪趣味」という意味だ。


しかし紅子は何も気づいていない。


「確かにそんないないでしょうね。私自身、いちごちゃんに会うまで話ができる人はいませんでしたし。」


「いちごさんも、ソ連がお好きですの?」


「いえ――私は、そこまでは。ただ、歴史が好きなので、その過程で色々と調べてたんです。そしたら紅子ちゃんと話が合っちゃいました。」


「さうでしたか。」


菊花へと蘭は顔を向ける。


「菊花ちゃんは、ミステリがお好きなんですか?」


菊花の顔が凍りついた。


一冴もまた引っかかる。


――菊花「ちゃん」?


「いえ、ああ、まあ。」


「どのやうなものがお好きなんですか?」


「えー、まあ、江戸川乱歩とか横溝正史とかそのへんです。」


「あら。わたくし、ミステリってあまり詳しくはありませんの。よろしければ、菊花ちゃんが好きなものを教へていたゞけませんか?」


菊花は迷惑そうな顔をする。


「えーっと、まあ、そのう。明智小五郎とか金田一耕助とかが出てくるやつです。」


梨恵が口をはさむ。


「『怪人二十面相』とか?」


「『怪人二十面相』はどちらかと言えば児童向けだよ。」


梨恵に対してはよどみなく答える。


「私が好きなのは大人向け。『暗黒星』とか『化人幻戯』とか。まあ、古いやつばっかだから分からないと思うけど。」


「新しいのは読まんの?」


「まあ――読むけどさ。新しいのでも、『Another』とか『氷菓』とか、そのへんかな。」


「『氷菓』ですか。」蘭が口を開く。「確かアニメになりましたよね? 長い黒髪のあの子が気にかゝってゐたのですが、まだ観てをりませんの。」


その言葉が一冴は気にかかる。


「蘭先輩、アニメ観るんですか?」


「もちろん観ますよ。」


「どんなのを――?」


「『ゆるゆり』とか『桜Trick』とかです。」


「あー。」


がたりと菊花は立ち上がった。


手元の食器は空となっている。


「では、私、そろそろお先に失礼しますね。」


「あら、菊花ちゃん、お早いんですね?」


「あ、まあ、あはは。私、食べるの早いんで。」


そして菊花は立ち去ろうとする。


菊花の制服のすそを蘭はつまんだ。


「そんな、お急ぎにならずともよろしいのですよ。わたくし、菊花ちゃんのこと色々と知りたいですし、このあひだのお返事もそろ〳〵お聞かせ願ひたいのですけれど。」


菊花の顔が再び凍りつく。


「し、失礼します――!」


蘭の手を振り払い、返却口へと菊花は走ってゆく。


一冴は呆気に取られた。


一瞬の後、悔しいような思いが込み上げてくる。もしも自分だったならば、蘭の好意に快く応えられていたはずなのだ。


「まあ――菊花ちゃん、どうしたのか知ら。」


菊花に対する反撥は咄嗟に言葉となった。


「いえ、あの子、ツンデレなんですよ。」


「まあ――ツンデレ属性ですか。」


蘭はうっとりとする。


「素敵ですわ――ます〳〵好きになりさう。」


その顔を目にして、いらぬことを言ってしまったことに気づいた。


同時に、梨恵もまた何かを察した顔となった。

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