第三話 魔窟

プロットは完成したが、一冴は少し不安だった。


自分が好きなものに向き合えたのはいい。しかし、やはり戦争ものだ。このようなものを書く女子は珍しいのではないかと思った。


だが、それも杞憂に終わる。


なぜならば、紅子も入部することになったからだ。


放課後、紅子を連れて一冴は文藝部室へ向かった。


ただし菊花の姿はない――火曜日は蘭が来る可能性が高いからだ。昨日のことがショックで、顔を合わせたくないという。そのことに、かすかな苛立ちを覚えた。自分だったならば、蘭の好意に応えられたのだ。


文藝部の鍵を開け、紅子と共に中へ這入る。


しばらくして早月が現れた。


紅子の姿を目にし、不思議そうな顔となる。


「いちごちゃん、この子は?」


「入部希望者です。」


「筆坂紅子です。」右の手首を額に当てる形――共産少年団ピオネール式――で紅子は敬礼する。「上原さんとは同じクラスです。表現したいものがあって入ろうと考えました。」


「ほう!」


一冴は、手の平を早月へ向ける。


「紅子ちゃん、こちらは部長の西内先輩。」


「西内早月です! それで、表現したいものって?」


「実に、共産主義諸国の音楽の藝術性です!」


「ほう――?」


それから紅子は、ソヴィエト連邦を始めとする共産主義国家の音楽の藝術性について延々と語り始めた。あまりにも長いのでここでは粛清する。


「――というわけでですね、東側諸国の音楽というのは奥深い藝術性があるのです。西側諸国との音楽と対比しつつ、この考究を押し進めたいと考えております。また、これらの音楽の邦訳は今までにも有志のあいだでなされてきましたが、今ひとつ私としては納得しがたいものがありまして――その日本語版の作詞もしたいのです。」


「なるほど、なるほど。」


紅子が熱く語るうちにも、部員は次々と這入ってきた。


やがて蘭が現れる。


「あら――貴女は、確か紅子さんでしたっけ?」


紅子は目を瞬かせた。


「え――名前知ってるんですか?」


「だって、寮の方ですよね? 菊花ちゃんと同じ部屋の。」


「あ――はい。筆坂紅子です。えっと――そちらは、確か鈴宮さんですよね? 鈴宮祐介ゆうすけ議員の娘さんの。」


刹那、蘭の笑顔が凍った。


「えゝ。鈴宮蘭と申します。――よくご存じですね、父のことを。」


「だって、有名ですもん。皆月みなづきさまと縁があると聞いてますけれども。」


一冴の脳裡に、女性誌の表紙をよく飾る美形の少年の姿が浮かぶ。


つまらなさそうに蘭は顔を逸らす。


「いえ――縁などといふほどのものではありません。たゞ、父の自慢の糧になってゐるだけです。あの方にしろ、恐らくは迷惑でせう。」


「そうですか?」


早月が話を戻す。


「とりあえず――紅子ちゃんが書きたいものは、随筆エッセイか詩ってことになるかな。」


「そういうことになりますね。」


「ふむ、ふむ。」


それから、部活動の内容を早月は説明する。


「そんなわけで、もし紅子ちゃんの文を夏季誌に掲載する場合、四月中に構想を練ってもらうことになるの。そうでなければ、秋季誌での掲載ってことになるけど――それまではちょっと暇になるかなって感じ。」


「あ、書きたいものはもう決まってますので、今月中にはまとめられそうですよ。」


「本当?」


「ええ。自作の邦訳歌詞も、実はいくつか溜めてましたし。」


そっか――と早月はうなづく。


「けど、どんな感じか一応は見てもらった方がいいね。」


本棚から部誌を取り出し、紅子に渡した。


「みんなが書いたものがどんな感じかは、これを読んでもらえば分かるから。随筆エッセイも詩も載ってるよ。とりあえず読んでみて。」


「あ――はい。」


それから紅子は部誌を読みだした。


ふっと、蘭が口を開く。


「それにしても――菊花ちゃん、今日は来られませんの?」


一冴は肩を落とす。


「ああ――菊花ちゃんなら、今日は来ませんよ。何でも、一人で静かにプロットを練りたいとかで、先に寮へ帰ったんです。」


「さうなんですか。できれば、先日の愛の告白のお返事をお聞きしたいところなのですが。せっかく、お慕ひしてゐることを伝へたのに。」


それが原因だよ――と一冴は暗に思った。


一方で、紅子は愕然とした顔をしていた。


それからしばらくのあいだ、一冴はプロットを練った。


やがて紅子が声を上げる。


「すごいですね――早月先輩の小説。」


顔を向けると、紅子は顔を蒼白にしていた。


「特にこの――鼻に出来た小さな人面瘡を潰すと、まるでニキビみたいに小さな眼球がぷちって出てくるところとか――うっ。」


部誌を閉じ、紅子は身もだえする。


「なんだか――身体がかゆくなってきた。」


紅子が置いた部誌を目にし、一冴は気づいた。


「って、それ去年の夏季誌じゃん!」


即座に、紅子の元へと蘭は飛んで行く。


部誌をかっさらい、恥ずかしそうに抱えた。


「早月先輩、何でこんなもの渡したんですか!」


「あ、あちゃー。」早月は気まずそうな顔をする。「それ、先生に返したと思ってたんだけどね。ついつい忘れてたみたい。」


「もう、ちゃんと返してくださいよ!」


「いやあ、ごめんごめん。」


今にも卒倒しそうな顔を紅子はしていた。

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