第十二話 片手に一つずつの花
物語の大きな流れは、原稿用紙一枚にまとめた。
月曜日の放課後、一冴はそれを早月に提出する。
原稿用紙を読み、やればできるじゃないと早月は言った。
「これなら、四月中には完成しそうね。」
それから早月の指導が入る。物語の魅力や粗を探すところから始まり、伏線の置き方や、構成の立て方などを説明された。
「いちごちゃんの作品は、どちらかと言えば三人称のほうがよさそう。」
「三人称――ですか?」
「いちごちゃんの作品は、主人公とヒロインの二人の視点で物語が進むでしょ? もしも一人称で書いて『私は』で進めると、主人公が語っているのかヒロインが語っているのか混乱するかもしれない。」
「なるほど。」
指導が終わった後は、ノートに向かってプロットを練った。早月の意見を反映させつつ、このアイデアが物語となったところを想像する。
紅茶をすすりながら、じっくり考える。
百合とはどのようなものなのだろう。女性が女性を好きになることは――。
だが、今の自分がまるでそうではないか。
――外見は女子なんだから。
しばらくして部室のドアが開いた。
深い栗色の髪をゆらしながら蘭が這入ってくる。
「ご機嫌
一冴は顔を上げる。
しかし一瞬、詰まった。ご機嫌好うという言葉には、何と返事をすべきか分からなかったのだ。
少し戸惑ってから、こう言う。
「珍しいですね――月曜に来られるなんて。」
「えゝ。今日は生徒会のお仕事が早く終はりましたの。」
蘭は席へ着いた。
一冴はポットへ目をやる。
「あ――私、お茶を淹れ直してきますね。」
「あら、ありがたうございます。」
ポットを手にし、流し台へ向かう。
そして、この気持ちか――と思った。
女子として生活する自分が、年上の女子を好きになっている。彼女と一緒にいたい。彼女と接したい。彼女に好かれたい。
そんな感情のあとに来るのは罪悪感だ。
――けれど、俺は男なんだ。
ポットの茶葉を入れ替え、熱湯を注ぐ。焼けそうな熱湯に茶葉がうるおい、ふわりと舞った。カップとポット、砂糖とミルクを盆に載せ、テーブルへ持ってゆく。時間を置いたあと、カップへと紅茶を注いだ。
ありがたうございます――と言い、蘭はカップを手に取る。
一冴は自分の席へ戻った。
蘭が再び口を開く。
「それで、いちごさん、アイデアは浮きましたの?」
「ええ、何とか!」
「それはよかった。」
「はい――随分と悩みましたけど、自分が好きなものに気づけたら、思いのほか簡単にできました。」
「いちごさんの好きなもの――ですか?」
「ええ。」
「どんな感じのお話ですの?」
何と言うべきか少し迷った。
思い切って、百合です、と言う。
「蘭先輩のとは違うテイストなんですけどね。」
「あら――いちごさんも?」
「はい。百合は――蘭先輩の作品から好きになったんです。それで書こうと思ったんですけれども――どう書いたらいいか分からなくって。」
それから、先日までの出来事を簡単に話した。
「それで――試行錯誤していったらこうなりました。」
「さうだったんですか。」
原稿に向かっていた早月が顔を上げる。
「やっぱり、自分の好きなものは出し惜しみしない方がいいよ。自分が魅力を感じてるっていうことは、他の人も共感できる下地があるってことだから。努力すべきなのは、それをいかに表現すべきところだね。」
菊花は、恐る恐る尋ねる。
「けど――早月先輩が好きなものって――?」
「ああ。私は平沢夢明とか飴村行とか。二人とも憧れの人だよ。『独白するユニバーサル横メルカトル』とか『粘膜人間』とか。あと、筒井康隆の『
「はあ――そうですか。」
一冴は蘭へ目をやった。
「蘭先輩も――そんなふうにして書かれたんですか?」
「はい。わたくしは、やはり女の子が好きですから――特に、さら〳〵の黒い髮を持った女の子が。なので、さういった女の子との恋愛を書きたいなと思ひまして。――」
「――ああ。」
蘭の小説に出てくるヒロインは確かにそんな姿だ。
「旧かな遣いで書かれているのは――?」
「あゝ、これは癖のやうなものです。わたくしは、幼いころから歴史的かな遣ひを教へられてきましたので。わたくしの父が保守党の右派議員でして、歴史的かな遣ひの教育と復活を主張してゐるのです。」
テーブルのクッキーへと蘭は手を伸ばす。
「どちらかと言へば、わたくしは仮名遣ひよりもお菓子のはうが好きですけどね。」
「お菓子――?」
「えゝ。甘い生菓子です。カップケーキとか、マドレーヌとか。けれども、寮にゐては、あまりさういったものは食べられませんね。できれば――女の子の手作りのお菓子を食べたいものです。」
言って、クッキーを口に放り込んだ。
少し経ち、部室の片隅で一人の部員が立ち上がる。
「じゃ、私、お先に失礼します。」
お疲れ――と早月は言う。
続いて、他の部員たちも同じように立ち上がった。
時刻は十七時に差しかかろうとしている。
最後に四人だけが残った。早月が口を開く。
「じゃあ、私たちもそろそろ――」
一冴はうなづき、ポットを手に取った。
「はい――私、これ洗ってきますね。」
「うん、ありがと。」
流し台でポットを洗いつつ、考える。
――蘭先輩の好きなもの。
さらさらの黒い髮を持った少女と――お菓子。
自分の髪はどうだろう。黒くはあるが、さらさらと言えるだろうか。
もっと色々と知りたい――蘭の好きなものを。
ポットとカップを洗い終え、四人で部室を出る。
ふっと、前を歩く蘭へと一冴は声をかけた。
「蘭先輩は――さらさらで黒い髮が好きなんですよね。」
蘭は振り向く。
「えゝ。」
少しためらってから、恐る恐る一冴は尋ねる。
「今は――気になる人はいるんですか?」
恥ずかしそうに蘭ははにかむ。
「あ――はい。実は――」
蘭は一冴の方へと歩み寄った。
そして、菊花へと顔を向ける。
「実は――菊花さんのことが気になってゐまして。」
言われた方は、一瞬、きょとんとする。
「――え?」
「あー、やっぱりそうなったか。」前を歩いていた早月が振り返る。「ほんと――蘭のドストライクって顔してるよね、菊花ちゃん。」
一冴は改めて幼馴染の顔を見る。
つやつやの黒い髮、切り揃えられた前髪と後ろ髪。切れ長の目と黒い瞳。蘭とは逆の和風美人の顔立ち――全てが全て、蘭の小説に出てきたヒロインのようだ。
そっと、菊花の髪に蘭は触れる。
「本当に――綺麗な髪をしてゐますわ。舐めてみたい。」
途端に、菊花は驚愕した顔となる。
そして、一、二歩、後ずさった。
「あ、あ、あ、あの――舐め?」
「え、だって、その柔らさうで白い肌と対になってゐて綺麗ではありませんか。その切れ長の目も、黒い瞳も、本当に素敵――」
そして菊花のほほに触れようとした。
びくりと身体を震わせ、菊花は後ずさる。
「あ、あ、あ――厭――!」
小さく叫ぶと、実習棟の奥へと菊花は逃げていった。
蘭はきょとんとした顔をしている。
菊花が逃げていった方向と、蘭とを、一冴は交互に見つめた。
「あの、私、ちょっと様子を見にいってきますね。」
そう言うと、実習棟の奥へと小走りに駆けはじめた。
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