第八話 筆坂紅子

週末になるまで、一冴はプロットに悩み続けた。


四月十八日――金曜日の昼休憩。


一冴は、菊花や梨恵と共に学食で昼食を摂っていた。最近は猫うどんをローテーションしている。すごくおいしいというほどではないが、妙な中毒性があるのだ。


食事中、菊花は驚いたような声を上げた。


「いちごちゃん、まだ何も思いつけてないの?」


うん――と言い、どんぶりの中に目を落とす。


「けれど、そろそろやばくない? 何も思いつけませんでした――なんて、部室に行くたびに早月先輩に言うのも申し訳ないでしょ。私、今月中には執筆に入れそうなんだけど。」


梨恵は苦笑する。


「やっぱり大変だな――文藝部は。」


一冴は軽く溜息をつく。


――百合を書くなんて言わなけりゃよかったか?


少女同士の恋愛を書きつつ、一般的なごく普通の少女と思わせるなど至難の業だ。


加えて、時代背景も分からないことが多い。


自分が好きなものは女らしくない――戦鬪機や軍隊に詳しい女子などいないだろう。だから、そのようなものはなるべく遠ざけた。そしたら、何を書いたらいいか分からなくなってしまった。


――どうすればいいんだろう。


ふと、食堂の端へと目をやる。


そこには紅子がいた。前髪には紅い星が輝いている。


紅子の姿は寮でもあまり見ない――どうやら部屋に籠っているらしい。むしろ学校でよく見る。クラスメイトとも関わりを持っていない。食事もいつも独りだ。――話しかける機会はない。


早月の声がよみがえる。


――誰か詳しそうな人いないの?


三人は食事を終えた。


返却口へとトレーを返し、出口へ向かおうとする。


途中、紅子とすれ違った。少し遅れ、トレーを返しに行くところだ。


二つに襟足で結われた長い髪を目で追う。


――まあ、この際だ。


一冴は立ち止まる。


梨恵は不思議そうな顔をする。


「どしたん、いちごちゃん?」


「いや――ちょっと。」


振り返り、こちらへ歩いてくる紅子へと声をかけた。


「あの――筆坂さん?」


紅子は足を止める。たぬき顔のまるい目が一冴をとらえた。


「――何?」


「いや――ちょっと訊きたいことがあるんだけど。」


前髪へと目をやる。


金色の枠で囲われた紅い七宝の星――中央では、金色の鎌と槌が交差していた。


「筆坂さんの前髪にあるやつ、ソ連軍の帽章じゃない? 舟型略帽ピロトカの。」


紅子は軽く目を見開く。


「判るの?」


「うん――鎌と槌もあるし。」


「そうじゃなくって――舟型略帽ピロトカのって判るの?」


「え――うん。ソ連軍の帽章って、金色の葉っぱがついてるでしょ? けれど、筆坂さんのにはついてないから――調べたの。そしたら、舟型略帽ピロトカって出てきたんだけど。」


「あ、そう。」


調べただけかというような顔を紅子はした。


あと――と一冴は言う。


「先週の朝食当番のとき――筆坂さん、鼻歌を歌ってたでしょ? あれって、『赤軍に勝るものなし』じゃない?」


紅子は顔を上げる。


「え――知ってるの?」


「うん。私、中学の頃にそっち系の音楽をかじってたから。」


梨恵は首をかしげた。


「いや――どっち系? 何の話なん?」


「ソ連系の音楽。」


ぐいっと紅子は身を乗り出す。


「『祖国は我らのために』とか?」


「え――うん。あとは、『カチューシャ』とか『三人の戦車兵』とか『スターリンの砲兵行進曲』とか。」


菊花は不可解な顔をする。


「そんなもん何で聴いたの?」


「いや――ソ連の音楽は迫力があるっていうか――」


「うん! そうだよね!」


紅子は大きな声を上げ、目を輝かせた。


「やっぱりソ連の音楽は違うよね! 力強さがあるっていうか、愛国心を揺さぶられるっていうか――聴いているうちにパワーが出てくる感じ。」


紅子の勢いに驚きつつ、一冴は相槌を打つ。


「うん。国歌とか――大勢で力強く歌ってるやつ。」


「そうそうそう!」紅子は軽く跳ねる。「私、最初にあれ聴いて好きになったんだ。最初に、こう、デエェェェェン! ってなって、Союзサユーズ нерушимыйネールシーミ республикリスプブリク свободныхスヴァボードニ(自由な共和国の揺ぎ無い同盟を)――」


紅子の歌声に合わせ、一冴も口ずさむ。


「「Сплотилаスプローティラ навекиナベーキ Великаяベリーカヤ Русьルーシ!(偉大なルーシは永遠に結び付けた)」」


おおおおおおおおおっ、と、紅子は歓声を上げた。


「凄い凄い凄い! 一緒に歌える人なんて初めて見た! しかもロシア語! え、歌詞全部覚えてるの? 上原さんって私と同じ趣味者? それともミリオタ? こういうこと語れる人ってリアルでいないよねえ。私なんか語りたいこといっぱいあるのに――」


ハイテンションな紅子に、一冴はたじろぐ。


「あ――あの、筆坂さん?」


周囲の視線を一身に集めている。


「できれば、その――別の処で話さない?」


視線に気づき、紅子は今さら赤面した。

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