第三話 恋と原稿用紙

四月十四日――月曜日の朝。


食堂で一冴は朝食を摂っていた。隣には梨恵が、前には菊花が坐っている。学年ごとに固まっている以外、席は決められていない。だが、最近はこの三人で同じテーブルに着く。


朝食は和食だった。ご飯と味噌汁・アスパラガスとベーコンの炒め物・納豆。しかし、量の少なさは慣れない。食事の時間の二時間ほど前から必ず空腹となる。


先日のことが頭に浮かぶ。


蘭が同性愛者だった事実は、一冴に重くのしかかっていた。百二十三人も好きになって――それが全て女性だったのだ。


ちらりと、上級生の席へ目をやる。


朝陽あさひのさす窓を背後に、蘭が食事を摂っていた。姿勢も、箸の持ち方も、口への運び方も――全てが優雅だ。それでいて、ほほえみながら彩芽と会話を交わしており、食事を愉しんでいるように見える。


「それで――さういったものは最近は見ましたの?」


彩芽は首を横に振る。


「いや――そうそうあるもんじゃないからね。」


ふっと、蘭はこちらへ視線を向けた。


慌てて一冴は目をそらす。


――いったい何度目だ。


これでは中学一年の冬の繰り返しだ。


あの冬の日――厭な物でも見たような顔をして蘭は目を逸らした。自分という存在が、蘭にとってどのような価値を持つかを思い知らされたのだ。


あのときの傷が、いつか癒えればいいと思っていた。だが、今になってむしろ傷口は拡がっている。どうあれ、自分は蘭が愛する性別ではないのだ。


――貴女が好きです。


そう言ったあと――自分はどうなるのだろう。


ふと、菊花から話しかけられた。


「そういえば、いちごちゃん――アイデアは湧いた?」


一冴はさらに肩を落とす。


「うーん、まだ。」


文藝部での活動も一冴の悩みだ。


風呂場で思いついたイメージから進んでいない。


戦火の中で出会う少女がいる。場所は独逸ドイツ—―第二次世界大戦末期の伯林ベルリンだ。荒廃した街に立つ二人――そんな光景だけが漠然と浮かぶ。


だが、そこから先が進まない。


二人は――どのように出会い、どうなってゆくのか。全く分からないのだ。


「もう四月も二週間切ったよ?」菊花はうれしそうな顔となる。「このまんまじゃ文藝部にもいられなくなるんじゃない?」


「うーん。」


蘭に近づこうと思って入部したのに、いられなくなるのは困る。


「大変だなあ――文藝部は。」梨恵は苦笑する。「うちはテニス部だけん、力になれさぁにないけど。」


ふくれっつらで一冴は問う。


「――そういう菊花ちゃんはどうなのよ?」


「私はもう筋は決まったよ――暗号ものだけど。」


「暗号?」


「うん。『踊る人形』や『二銭銅貨』みたいなの。トリックを思いつくのは難しいけど――暗号なら色々とアイデアはあるから。今日でも、早月先輩にプロットを見てもらおうと思ってるんだけど。」


「――そう。」


がたりと椅子を引く音が聞こえる。


一冴の背後の席で、紅子が立ち上がったところだった。


トレーを持ち、返却口へと歩いてゆく。


菊花と同じ部屋なのに、一冴は紅子とあまり話したことがない。そもそも、クラスメイトとも積極的に交わろうとしないようだ。


ふと気にかかって一冴は尋ねる。


「菊花ちゃんって、紅子ちゃんとは話すの?」


「いや――あんまり。気づいたらゲームしてるか映画観てるし。」


「映画?」


「うん。パソコンで観てるの。」


梨恵が口をはさむ。


「談話室にも来ないよね。」


どんな映画なの――と一冴は再び問うた。


「さあ――なんか洋画っぽいけど。」


「そう。」


食堂の外へ去ってゆく紅子を、一冴は視線で追った。

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