第六話 暇を持て余した金持ちの遊び。

それから数日後の夜のことだ。


そのとき、一冴は佳倫と居間でテレビを見ていた。


ドアが開き、父が現れる。


「一冴、佳倫、ちょっと来なさい。」


何だろうと思いつつ立ち上がる。


父に導かれて客間へと這入った。


客間には、真っ白な口髭を生やした袴姿の老人がいた。一冴の大伯父――東條麦彦だ。隣には、麦彦の孫の菊花が坐っている。ついでに母の姿もあった。


麦彦の姿を目にして、げっ、と佳倫は声を上げる。露骨に厭そうな顔だ。何がげっだと小声で父はたしなめる。


――何で菊花がいるんだ?


そのことに、何となく厭な予感がした。


「けけけ。一冴君も佳倫ちゃんも、相変わらず莫迦ばかそうな顔じゃの。まあ、坐りなさい。」


言われるがまま、ソファに腰を下ろす。


麦彦は口を開いた。


「二人も知っておろうが、今、お父さんの会社が大変でのう。それで、六千万円ほど貸してやることにした。しかし、ただ貸すのじゃ面白くないので条件を出した。それは、一冴君が女装して白山女学院へ通うことじゃ。」


一瞬、聞き間違えたかと思った。


言葉は分かるはずなのに、意味が分からない。


「――は?」


「じゃから――来年から女装して白山女学院へ通ってもらうと言うておる。ついでに女子寮で生活してもらおう。男だとバレてはならんぞ。バレたらえぐーいホモビデオに出てもらうからな。」


麦彦はにやにやしている。


菊花もにやにやしている。


母親までも同じであった。


言葉の意味を理解し、ようやく困惑した。


「え――え――何で?」


答えたのは菊花だ。


「だって、あんた女装好きじゃん。」


何葉かの写真を鞄から取り出し、テーブルの上へと広げる。それは、あのとき菊花がスマートフォンで撮ったものだった。


「ほら――佳倫ちゃんも見てみて。」


「あ――待て――」


制止したときには遅かった。


佳倫は写真を覗き込み、げえっ、と声を上げる。


その顔は見る見る蒼くなっていった。


「しかもこれ――あたしの部屋じゃ――」


「うん、佳倫ちゃんの制服だよ。」


驚愕した表情を佳倫は一冴へ向けた。


その口と目は嫌悪に歪んでいる。


そして、一、二歩、後ずさった。


「一冴、佳倫ちゃんの部屋によく忍び込んで女装してるんだって。」


ついに佳倫は尻もちをついた。


「どひぇーっ!」


ぶるぶると父は震えだす。


「おっ、おっ、お前っ――妹の部屋で何を!?」


何を想像されたのか分からないが、一冴は激しくかぶりを振る。


「い、い、いや――これはその――誤解だ!」


「何の誤解だ!?」


尻もちをついたまま、がくがくと佳倫は震えた。


「キモイキモイキモイキモイキモイ! キ、モ、イ! キンモーッ!」


「いや――何もそこまで言わなくとも――」


「ち、近寄るな! キモイわっ、死ねっ!」


立ち上がることなく、はいずりながら客間から逃げだした。


「あはははは。最高のカミングアウトじゃな!」


けらけらと麦彦は笑う。


「この写真を菊花から見せられたときはわしも驚いたが、それにしてもよく似合っとるの。けけけけけけけ。まるで本物の女の子みたいじゃ。けれど、惜しいの――こんなに似合っとるのに、人目をはばかって着るしかないとは。」


そして、物欲しそうな目を一冴へ向ける。


「こんな子が、我が白山女学院に通ってくれたらのお。」


ようやく一冴は理解した。


これは、暇を持て余した金持ちの遊びなのだ。


麦彦は白山女学院の理事長である。


しかし、それは実力によって手に入れたものではない。白山女学院の理事長職は東條家が世襲している。麦彦はその三代目だ。麦彦が持つ莫大な資産もまた、祖先から受け継いだものだった。


「いや――けど、おかしいでしょ。」


冷静さをやや取り戻して言う。


「いくら何でもバレるでしょ。だって――男ですよ?」


「バレるとは思えんけどのう。」


菊花も同意する。


「うん。バレないと思う。」


さらに母も同意した。


「あんたなら大丈夫でしょ。」


そう言われると、何と言ったらいいのか一冴にも分からない。そんなにも自分の女装は似合っていたのだろうか。もしそうならば嬉しいのだが。


しかし、父だけは納得していなかった。


「け、けれど、倫理的に問題のあるような。何しろ、女子寮で生活するのですよ? 着替えや風呂はどうするのです? さすがにバレませんか?」


「うむ。――白山女子寮は伝統的に二人部屋じゃ。しかし、一冴君には菊花と同じ部屋になってもらおう。そうすれば問題なかろう?」


いやな予感が高まった。


「き――菊花と同じ部屋になるのですか?」


「そうじゃ。もちろんクラスもな。そうすれば色々とフォローできよう。」


そうは言うものの、強い抵抗を覚えた。菊花は――幼い頃から一冴を苛めてきたのだ。同じ部屋となれば、何をされるのか分からない。


父はなおも顔を歪めている。


「し――しかし――もしも倫理的な問題が起きた場合は?」


「安心せい! そうなったら一冴君のチンコをチョン切ればいいのじゃ!」


ふっと父は考え込む。


「なるほど――そういう考え方もあるのか。」


「どういう考え方だよ!」


思わず一冴は叫んだ。


「大体からして――俺の学歴はどうなるの!? 将来、白山女学院を卒業なんて履歴書に書いたら変に思われるじゃないか!」


「それは大丈夫じゃ。なんせ、儂は黒森学園の理事長でもあるからな! 何事もなく無事に卒業できた暁には、黒森学園に通っていたという偽の経歴を進ぜよう。」


一瞬、一冴は詰まった。


承諾しなければ父は融資を受けられないのだ。


しかし、バレればゲイビデオに出演させると麦彦は言っていなかったか。


――この人ならやりかねない。


まごついていると、菊花が口を開いた。


「それに、一冴にとっても悪い話じゃないと思うけど?」


そしてテーブルに載り、一冴の元へまっすぐ歩いてくる。


屈みこみ、そっと耳打ちをした。


「鈴宮先輩――白山でしょ? お近づきになれるかもよ?」


「――あ。」


考えてみればそうであった。


終わったはずの恋が、再び始まるかもしれない。


しかし――だからといって上手くいくとは限らない。しかも、バレればゲイビデオに出演させられ、手を出せばチョン切られてしまうのだ。


「ともかくも――じゃ。」


意地悪そうな目を麦彦は向ける。


「このままじゃ、お父さんの会社は潰れてしまうかもしれんのう。そうなれば、この家ともおさらばじゃ。はたして高校にさえ通えるかのう――? のう、どうしたらいいかのう?」

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