第182話 エンディング。『フラグクラッシャーは、逆回しに舞い上がる』その1

 わたし、美琴、咲子の一柱と二人の身体の乗っ取りは、簡単に済んだ。


 ちょうど学校帰りの間抜け顔の自分が、二上神社口駅で下車して腹へったとぼやきつつホームを歩いていた。もちろん美琴と咲子も一緒。手荷物も、夏休み中に部室に放置していた鍋とお好み焼き用器具で、大型ビニール袋に両手持ちだった。


 何もかもわたしが経験した、あの日の九月一日と一緒。

 そしてその先の展開も、きっと一緒だろう。


 あのとき、自分たちは何の話をしていたか。

 ああ、そうだ。

 クリスマスで一番偉いのは誰かとか、そんな話だった。


 美琴はたった一晩であらゆる場所にプレゼントを運送できるトナカイが偉いと言い、咲子はプレゼントを子どものために用意する親御さんが偉いと答えた。


 わたしは何と答えたか。

 ときと場合による、と答えた。今も同じ考えを腹の中に持っている。


 この質問は、思えばあらゆる事象、たとえばクリスマスのサンタのような架空存在も含めての、すべての可能性への思考実験のようなものだった。


 かのミゼーアですら諦めていた――対する彼の正妻にしてわが母は、親の勘的なサムシングで諦めてはいなかったのだが、わたしたちの生存は、未だ継続している。


 この世界には絶対的なものは確かに存在するが、あるいはそう見えているだけで抜け道がどこかにある場合もある。そう、森羅万象の一切は、ときと場合による。


 あっさりと自らの肉体を得たわたしたちは、その場でグーとパーを手で作ったり膝を揚げて駆け出すポーズなどをして、身体の馴染み具合を確認する。


 イヌガミの震電は、元のニホンオオカミの姿に戻っていた。外見はほぼ縄文柴犬。


 わが夫にして主たるミゼーアは、わたしが視認する美少年の姿のままに受肉した。


 無言のまま、全員で頷きあう。そのまま列車ホームから出て改札をくぐる。


 西出口へ向かった先――やはりそこにいるのか。

 そう、くだんの彼女、榛名レン。

 難関校、桐生学園ミスカトニック高等学校の制服を着ている姿も、そのままだ。


 わたしたちは、心に迷いを一切持たず、真っ直ぐに彼女の元へ向かう。


「久しぶりね、榛名レン」

「……わたしはあなたと出会った覚えはないけれど?」


「一回目だもの。だからそれで正解、まだアンタとは会ってないわ」

「……」


 相変わらず、と言っても良いのだろうか。

 宇宙が百巡前の彼女も、人類の限界に迫る美しさを湛えていた。


 カラスの濡れ羽よりも漆黒の、腰まで艶やかに延ばされた髪。

 まるで黄金比に祝福されたような耽美な容貌。まつ毛が長い。メーテルか、お前。

 すべての女子が羨む華奢で繊細な肢体。身長はやや高め。これが格差社会か。

 芸術の神か美の悪魔か、残暑の厳しさすら吹き飛ばす、むしろ寒気でおぞけが奔るほどの氷の美少女。それが、榛名レン。ひと言でいうならヤベーやつ。


「ここじゃなんだから、行こう。アンタが宗家の使者なんでしょう?」

「……そうね」


 百と一巡目のあのときは、レンに誘われて立体駐車場の自販機コーナーへ連れられて行った。が、今回はわたしたちが先導してその場所へと、彼女を連れて行く。


「一目見たときからだけど、あなたたち、やはり何かおかしいわ」

「そうかな、わたしたちはスーパーナチュラルだよ?」


「その犬は何? その男の子は誰? なぜ行き先を知っているの?」


「答える義務はない。アンタが主として相手をせねばならない相手、その試練を課す相手は、わが一族の次世代の当主に目される白露美琴。わたしではない」


 レンの質問に、すげなく答える自分。


 そうこうするうちに――、

 駅からすぐそこにある立体駐車場の奥、自販機コーナーについた。


 ちらり、とわたしに疑惑の視線を送って彼女は自販機に千円札を入れようとした。


 今ならわかる。あれは、ミスディレクションだと。

 つまりは、次に行なわれる質問に対する罠。


「パンも茶も、買わなくていい」

「……」


「二度も言わせないでよ?」

「……わかったわ。なら、代わりにこれを渡しておく。――あなた、手を」


 レンは空の手を咲子に伸ばした。

 もう一度書く。

 レンは、空の手を、咲子に伸ばした。


「……おっと、やはり重いな、これ」

「やはり?」


 彼女が浮かべる疑惑の表情が、いっそう深みを増した。

 咲子はそんな様子に構わず中を開け、あらかじめ両手の荷物を床に降ろしていたわたしに向けて折り畳みの軍用シャベルを投げ寄越した。

 四日間のサバイバル生活で、もっとも自らの手に馴染んだ道具。わたしはてきぱきとシャベルを組み立ててしまう。そして、無構えという『構え』の態勢を取る。


「知ってる? 戦時、シャベルは塹壕作りの他に、塹壕戦でも大活躍だったんだよ」

「らしいわね。弾切れもなく、ナイフより間合いがあり、そして何よりも頑丈」


「うん、なまなかな武器より使えるから、常に臨戦携帯している兵隊もいたらしい」


「そう、まあいいわ。おしゃべりはここまで。あなたも言ったわよね、主として相手をせねばならない相手は、次世代のわれらが当主、白露美琴だと」


 それでやり返したつもりなのだろうか。ならば片腹痛い。

 レンはフンと鼻を鳴らして美琴に視線を移した。


「あなたがその白露美琴ね? 見えないけれどイヌガミは連れているかしら」


 話を振られた彼女は、こくりと頷いた。


「はい、ここに」


 美琴は自身の胸元から一体、わたしの胸と股から一体ずつイヌガミを出した。

 フェレットのレーベリヒト・マース、ゲオルク・ティーレ、マックス・シュルツの三体だ。胸元はともかく、わたしの股座からイヌガミを出すのはどうかと思うが。


 それにしてもあのときの美琴は、レンの質問に対してこちらの背に隠れたまま息を呑み、何度も頷くだけだった。彼女も四日間の出来事で鍛えられたということか。


「なら問題ないわ。その子たちは優秀な相棒にして道具、または武器。知ってはいたけれど三体も、ね。視力を捧げただけの見返りは必ずあるわ。大事にしなさい」


 言ってレンはちらりとわたしに視線を寄越し、また美琴に目を戻した。

 微妙な差異だが、あのときはわたしをジッと見つめてきたような記憶がある。彼女は長く艶やかな黒髪に指をやり、軽く払う動作をする。格好いい。何をどう動こうとサマになる女だ。なんだか余計にムカついてきた。


 では、本題を。

 手を口に当て、こほん、レンは喉を鳴らして微妙に居住まいを正した。






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