第172話 ティンダロスの王、ミゼーア。その2
そんなわたしを見上げて、ミゼーアはうふふ、と悪戯っぽく微笑んだ。
「わからないことも、そのうちわかるようになるよ。どうせ、一と零の外に僕たちはいるんだ。それよりも優先すべきは、早く行こうってことさ」
「ど、どこへ?」
「キミはどこへ向かうために、命がけで猟犬と契約し、ここまで来たんだい?」
「アザトースの観測世界へ戻るため」
「それだけ?」
「もちろんそれでだけではなく」
わたしは計画している内容を話した。
友誼を結んでいる幼女邪神の響を指標に世界線を跨ぎ、アザトースの観測世界へと移動、自分は行けるところまでついていき、二人を送り届けること。
そして、可能ならば――ここでわたしはとても悪い顔をしたと思う。
己の希望、否、欲望を存分に吐き出した。
「いいね、それ。でもどうせなら」
ミゼーアも悪い顔になった。
しかし幼い姿なので悪戯っ子の側面が強く出ていた。こんなこと書いていいのかどうかわからないけど、可愛い。やはり後ろから尻を突いてあげたい。
「良いの、ミゼーア? ホントに? やられっぱなしじゃ癪だし、あれはたぶん魔女の質問だからね。やっていいのならやっちゃおう、みたいなところもあるし」
「いいんじゃないの? 他が許さなくても僕が許すよ」
わたしは美琴と咲子を見下ろした。
彼女たちは変わらず、必死に震電の背中に掴まっている。わたしはミゼーアにエスコートされながら二人の元へ移動し、抱き寄せた。
「ちょっと自分の中で計画していた内容に変更がなされたわ」
「ど、どうなるの……っ」
「大丈夫だよミコト。ミゼーアもわたしたちと一緒に来てくれるってさ。心強いね」
「ど、どういうことだ? というかタマキよ。お前、順応性高すぎやせんか?」
「心配しないでサキ姉ちゃん。われらが主が応と言えば応なのよ。それでね……」
わたしは二人にも計画を打ち明けた。
えっ、となる二人。
ニコッと微笑むショタっ子ミゼーア。
「さあ、行こう。まずは出陣式諸々だ。わが臣民たちよ、勝鬨を上げよ!」
ミゼーアは高らかに宣言する。
子どもじみた声色に、有無を言わさぬ権勢が籠っていた。
「……うおっ、そうきたか、マジか!」
「うふふ。そうだよ、僕の愛しい花嫁。この
遥か遠くに見えていたはずの白亜の城が、蜃気楼のようにぐわりと歪んだのだ。
やおら、わたしたち三人と一柱は『疾駆する巨大猟犬』と化した震電の背に乗っていたはずが、『停止し、伏せた状態の巨大震電』の背に乗る不可解が起きた。
つまり慣性を一切無視して、まるで初めから動いていなかったか如く、当たり前のように停止した状態に転向したわけだが――、
率直なところ、この虚数世界に実数世界の物理法則を当てはめようとする自体が間違っているので、これ以上は言及しない。
それよりも、である。
おそらくミゼーアの居城である白亜の城の、その内部なのだろう大広間、いや、これは謁見の間なのか、ともかくもいきなり場と状況を移し替えられたのだった。
あー、うん。
言及しないと先ほど述べたが、あれは嘘だ。やはりちょっとモノ申したい。
いくらなんでも常識が行方不明だろう。
確かにわたしの持つ常識観念も一般的人間のそれとは大分かけ離れていて、非常識に類するものだと自覚はしてはいるのだけれども。
「天井がたけぇー。ってかこの天井、何百メートル上にあるのよこれ?」
「そうだねぇ。キミにわかるよう例えるならスカイツリーが丸ごとポンと、かな」
「十万ドルをポンと」
「それは映画、コマンドーの吹き替え版のあのセリフかな?」
「い、意外と色んなネタに敏感なのね……」
「うふふ」
なんとも言えない気持ちで、ひとまず現実逃避を試みてみた。
が、ちょっと無理だった。
わたしの脚にしがみつく美琴と咲子は、恐怖で顔をひきつらせていた。SAN値は大丈夫か。サイコロがあったら振ってそうな様子である。1d6+1ってところか。
「ミコト、サキ姉ちゃん、深呼吸を三回よ。それで、わたしは大丈夫と二度唱えて」
「「う、うん」」
「大丈夫。この世界は皆、味方。わたしたちの本当の故郷だよ」
二人はそのようにした。少しは落ち着いたようだった。
現在、わたしたち一行は、ミゼーアの白亜の城の内部、それも謁見の間の、玉座にあたる場所にいる。
目算ではとても推し量れないほどの幅を持った、これまた呆れるほど長くて高い階段状の壇上の最頂部から見下ろす光景は、もはや絶景以外の何者でもない。
万雷の喝采が、下界から潮が満ちるように這い上がってくる。
まさに狂的な、何か。ビリビリと振動がくる。気持ちが高揚してくる。
眼下には白い衣の人影が十重二十重八百万と立ち並び、うねる様相を醸している。
見よ、人がゴミのようだ。わたしは目を細めた。
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