第170話 裏側の世界へ その3

「知っての通り、帰るべきは可能性世界ではなく、アザトースの観測世界なんだよ」


「うむ。元いた世界はそうなるな。ただ、そこにどうやって戻るか、だ」


 世界はかの眠れる魔王アザトースが見る夢に過ぎず、人間なんてものは、かの盲目白痴の王のための魂なき出演者に過ぎない。これをキャストと呼ぶ。


 たとえば眠る咲子の夢の中に、わたしと美琴が出てきたとしよう。そのわたしと美琴の『根源』はどこにあるのか、と言う話だ。咲子の夢の中に出てきた『彼女ら』という存在は、咲子の脳みそが投影する『演出者キャスト』に過ぎないのだった。


「観測されるアザトース世界は、アザトースが見る夢である。可能性世界は、かの魔王が観測せずに廃棄した、選ばれなかった世界。平衡世界は、確かに、ある。が、それはアザトース的には破棄した世界。詳しくは南條公平の論文を読めと言うことで割愛するけど、無数にある可能性世界から観測世界に至る方法をわたしは知っている」


「タマちゃんって、キミヒラくんのあの論文が読めちゃうんだ……?」


「普通に読めるよ。量子力学の観点から人間の魂の有無を論じたモノでしょ?」


「あの論文って、もはや魔導書と性質が同じだよね……。どんなモノよりも深く狂っていて、それでいて正しくて、普通の人間だと廃人にもなりかねない……」


「そだねー。なかなか面白かったよ」


 美琴には悪いが、さっさと話を進めさせてもらおう。

 われらが一族はティンダロスに自己の根源を寄せているため、存在の概念体とも血と息と炎の概念体とも呼ばれるブラックボックス、『魂』を有している。


 他に魂を持つモノといえば、旧神、旧支配者、更なる旧き者、外なる神、それらの化身や顕現体、落とし子辺りになろうか。個体によって内包する魂の量と質が全然違うので、一括りにしては問題が生じそうではあるが、それには目を瞑るとする。


「神々は基本的に観測世界に存在する。なぜなら簡単な話、彼らにとって等しく無価値な人類やその他の魂なき者とは違い、魂を持つがゆえに一つきりだから。人間は魂を持たない、アザトース世界の出演者だと先ほど言った。なので、可能性世界にも同一の者は存在しうるし、また、そうでなければならなかった。というのもキャストは世界の付随物であり、踊る人形惨劇の継続こそ、彼らに与えられた役割だから」


 テレビや映画、小説、漫画でもエキストラがいないと話を構築し辛いのと同じ。


 わたしは二人の手を胸元に引き寄せた。

 美琴と咲子。

 彼女たちは、アザトース世界のヒトヤマ幾ら的なエキストラではない。

 ただ一つきりの存在。小さいなりにも魂を持つ存在。

 わたしは、この二人を、必ず。


「さて、お待たせの、わたしが立てた計画の結論を話そっか」


 黒く大きなティンダロスの猟犬と化した震電は、相変わらず凄まじい速度で空間を疾駆している。どこへ向かっているのか。この裏側世界に『空間的距離』など意味がないというのに。と同時に、人間概念での『時間』も意味がないのだけれど。


「戻る方法とは。その指針とは。いるよね、。ビーコンになる、存在が」

「……まさか」


「そのまさか、なんだよねサキ姉ちゃん」

「えっ、でも、叱ったせいで来てくれないんじゃ……」


「来てもらっちゃ困るのよミコト。観測世界への指針ビーコンとなる存在なんだから」


 わたしとしても、一方的に友誼を結ばされてしまったかの邪神との関係性がこれほどまでに役立つとは思いもよらなかった。人生万事塞翁が馬、なのである。


 そう、元の世界へ戻るための指針となる存在とは――、

 ナイアルラトホテップの顕現体、無邪気が故に最も邪悪な幼女、響を指している。


 彼女を召喚して帰還の助けを請うのではない。こちらが勝手に利用するのだ。


 魂を持つ者同士が友誼を結ぶとは、つまるところ魂と魂とが触れ合って一部を溶け合わせる行為であり、お互いを感じ合う密な関係を構築するということだった。


 特に、アザトースの三愚神レベルの外なる神などは強烈である。


 魂なき人間など一瞬に精神強度を焼かれ、混沌のナイアルラトホテップを例に挙げれば今後の人生に支障が出るほどの神話技能を強制取得されられた上で、大半は長らくの苦しみの上での狂死、運が良くて即死だった。どう足掻いても絶望である。


 そんな猛烈極まる存在。それが幼女邪神の響。見た目は愛らしいオムツっ娘。


 美琴や咲子と交わした友誼とはとても比べるものではなく、例えるならば真夏の炎天下に太陽を探すようなもの。その気になって天を見上げれば、漆黒の太陽ナイアルラトホテップはもろ手を挙げ、つるペタ全裸でわたしに抱きつこうとしてくるのである。


 結論。あまり認めたくない事実、その気になればわたしと響はどこにいても互いの居場所がわかるほどの密な関係なのだった。邪神がトモダチとかトンだ災難だよ。

 たとえ魂なき人間には害しかない神話技能の取得も、幼少時からの一族の英才教育と元々からの素養によって逆に益するのがわれらが一族だった。ティンダロスを故郷に持つわたしたちにとって、神話技能は必須教養となるのだから。


 なので、これが転じて、かくの如くヤバすぎる邪神に対しても平気でいられる。


 だからこそ響は、いつでも勝手に、パジャマ着てオムツまで履いて、わたしの寝室のベッドに潜り込んでくるのだった。彼女の幼女臭はわりと好きなんだけど、ね。


 わたしは話を続ける。


「イヌガミは、ううん、ティンダロスの猟犬とは、一般的な人間の表現をあえてするならば時空を超えていつの時代、いかなる場所であろうと追い詰める真なる恐怖の代名詞よ。標的を定め、じわじわと追い詰め、狩る。狙われたら、その時点で人生終了確定。彼ら猟犬に狙われるとは永遠の恐怖の始まりであり、絶対的な死の具現でもある。まあ今回はビーコンがあるので、そこへ跳ぶだけだけの簡単なお仕事だけど」


「だったら、タマちゃんも。王様に気づかれる前に」


「ミコト、わたしを想ってくれるのは嬉しいけれど、それは違う。気づかれる前にという前提自体が間違ってる。ですよね、偉大なる国父、比類なきミゼーア陛下」





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