第169話 裏側の世界へ その2
「――なんていうか、ポリゴン黎明期の、ワイヤーフレーム画面でも見てるみたい」
わたしは感想を漏らす。とぎれとぎれに喋るのは、息継ぎが非常に困難だからだ。
たぶん、わたしたち三人と一匹は、高高度の空中に投げ出されているらしい。
なぜ断言できないかというと――、
三人ともクジラの背に乗るが如く巨大化した震電の背にしがみついていて、しかも彼はまるで地面を駆けるように空間をタッタカと走っているためだった。頬に当たる風圧。なんだこれは。どれほどの速度なのか? 凄まじ過ぎて感覚がつかめない。
「時速六十キロの風は掌で受けるとおっぱいと、同じ感触っていうけど! こらっ、震電っ。もっとゆっくり! 呼吸し辛い! ていうか、ここ、空気あるのな!」
眼下に流れる奇妙な風景と言うべきか。地表と思われる場所は遥かに下方にあると自らの視覚は訴えてくるのだが、どうにも遠近感が取れない。
十万メートルは降らない高高度だと見立ててはいれど、あくまでそれは目算に過ぎず、実際はすぐ傍を行く地面かもしれないし、そうではないのかもしれなかった。
要するに、わけがわからない。
震電の体躯は黒い針金の、巨大な塊の如き姿に変貌している。
体躯の変化、その大きさを除けばわたしたち三人も黒い針金をぐるぐると固めて作ったような姿に変わり果てていた。
ここが、世界の裏側。
ここが、実数に対する虚数の世界。
ここが、ティンダロス!
風景のすべてをひと言で表せというなら、わたしならこう断言する。
映画やテレビで例えるならば、見る風景がこれまでの8K総天然色からやたら目の粗い白黒の、しかもフィルムのネガを透かして見るような反転色になっている。
感覚がまだ慣れないせいで目が回る。
だが心のどこかで、酷く懐かしい想いも駆け巡る。
ここが、われらが一族の、原風景。
「うーん……まあこれはこれで趣がある、のかな?」
「よ、余裕だな、タマキよ。わたしとしては、もはや失禁寸前なのだが……っ」
「その声はサキ姉ちゃんだよね。目の粗い針金をぐるぐる巻きの塊にしたようにしか見えないけれど。その隣の、どさくさに紛れてわたしの胸をさわさわしてる、マジでブレない針金の塊さんはミコト、かな? この状態で触って、わかるものなの?」
「気持ちが落ち着くの。視覚はレーベくんたちが補助してくれるけれど……」
「おっとと、そうなんだ? イヌガミ使い一年生だからそういう助言、有難いよ」
「と、ときにタマキよ。イヌガミ憑依で被った身体の疼きは、もう大丈夫なのか?」
「呼ばれてこっちの世界に引きずり込まれた時点で、嘘みたいになくなっちゃった」
「そうか……なんだったら処理でもしようかと思ったが」
「こんなワイヤーフレーム状態ではお互い気が乗らないっしょ。というわけで、うーん、視力の贄なしの魔力のみの儀式だったけれど、儀式は済んでいるわけで。おっとと、震電と視覚リンクができたね。全身が目玉だわ、これは。それ以外は、普通?」
「お前のセリフとこの異常風景のどこが普通なのか、さっぱり見当もつかんが」
わたしは咲子の手を取った。すべては感覚である。
世界とは、求める者のために姿を変える。特に視覚は、人が得られる情報の八割以上を担っている。しかも取り込んだ情報は、すぐに嘘をつく脳の処理によって一度バラバラにして、自分の都合の良いように再構成しているのである。
ならば、この世界に完全順応している震電の視覚を咲子にもリンクすれば良い。
わたしは咲子の手を通して、イヌガミの力を彼女に結び付けてしまう。
うおっ、と咲子が吠えた。
「こっ、これがイヌガミの視覚リンク。全身が目玉。それ以外は、確かに……っ」
震電の視覚を通して見る風景とは、以下の通り。
紺碧の空。太陽に相当するものはなく、どこから光が来ているのかは不明。
岩石と土獏の荒れ地。または砂漠ともいう。実は砂漠の定義は、目の細かい砂の海を指す言葉ではなく、降雨の極端に少ない岩石や砂の多い土地を指している。
遠くに城壁で囲われた都市らしきものが見える。
相当に距離があるらしく、ジワジワ近づくにつれてわかるのが高さがキロ単位に至りそうな白壁に守られた城塞都市だということだった。
郊外に当たる部分には広大な田畑とおぼしきものが広がっている。
都市を取り囲む壁は高くて頑丈そうな三重構造で、中心部にはひときわ大きな白城と、オアシスらしき湖があった。
「冗談みたいにデカい。あれがティンダロスの街の一つ? いずれにせよ間違えても進撃なんてしないし、その日、僕たちは思い出した、みたいな展開もないからね」
「どこの巨人だそれは。第一、今わたしが見ているのはシンちゃんの視覚を自己の脳がさらに再構成しているはず。二度も映像処理されている世界などゾッとせんぞ」
くいくい、と肩を引っ張られた。
「ううー。わたしも、タマちゃんと視覚共有したいよぉ……」
「ミコトは自前のイヌガミが三体もいるじゃん。それってめちゃ凄いんだからね?」
「でも、視覚共有ぅ……」
「ほーんと、ミコトは甘えん坊さんだねぇ。じゃあ、手を貸して」
わたしは彼女の手を取った。あえてこの、薄い胸を揉んでくる方を選んだ。
そうして、震電との視覚をリンクする。
すると彼女は、んっ、と妙に色っぽい声を上げた。
「それで、これからどうするのだ?」
咲子が頃合いを見計らって、わたしに尋ねてきた。
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