第166話 前提を崩す。そしてわたしは。その1

「……うん、いい加減に話さないとね」


 返事をしたわたしは、やおらラブレスナイフで自らの左手首を斬った。


 思った以上に深く抉れる。刃は動脈まで達し、文字通りの鮮血が噴き出た。

 美琴が一瞬、卒倒しかけて危うく咲子に身体を支えられていた。口には出さず、胸の内で驚かせてごめんと二人に謝った。


「こ、これ、は……? まさか、違う、よね……?」


 震える声で美琴はこちらを見た。疑惑が確信に変わった、という表情だった。


「だ、ダメだよタマちゃん。それだけは、ダメ。そんなことしたら……!」


「だけど現状では、これ以外に解決方法はないんだよねー」


 言いながら、わたしは自分に治癒魔術をかけて傷を癒してしまう。と同時に、魔術の陣をわが血をもって描く。魔力を乗せて迸った血は、自動的に陣を形成する。


「わたしは美琴を助けたい。これまでの巡回宇宙で、百度も失敗に終わっているのはなぜか。できうるすべてを試したのか。ならば、わたしにできうる最善は何か」


「だけど、それだと!」


「ここで問題。この逼塞した状況でわたしたちに出来る、手段を問わずに求められる解の導き方は、一体何か? ああ、うん。そうね、三択で一つだけ選びなさい」


一、美少女の時雨環が突如解決策をひらめく。これは白露美琴、村雨咲子でも良い。

二、わたしたち以外の誰かがやってきて、ヒーローの如く助け出してくれる。

三、何も思いつかないし、誰も助けてくれない。デッドエンド。現実は非常である。


「……」


 美琴は答えなかった。うーむ、某ジョジョなポルナレフの、あのネタも通用しないか。彼女は今にも泣きそうな顔で、下を向いてしまった。


 わたしは自己の血を以って魔術的な陣を構成していた。そうして、指さして陣の中央に狼の震電を立たせる。これで一先ずは準備完了。陣そのものは以前、ハスターに肉を捧げて永続支配のために描いた、増幅を目的とする代物だった。


 今となっては震電は、完全に実力差からわたしを自分よりも強くて偉い存在=群れのボスだと認めているのでイマイチ意味のないものに成り下がってはいる。

 が、それでも支配魔術のおかげでより円滑な意思伝達が可能になったので、それはそれで良しと考えるのが精神衛生上での健全な思考の帰結となろう。


「ミコトよ、タマキが何をするつもりなのか、わたしに教えてくれまいか」

「タマちゃんは、イヌガミの契約を、独自に行なおうと……っ」


「そう、答えは一番の、美少女の時雨環が突如完璧な解決策をひらめく、よ」

「いや待て。待つんだわが義妹。どういう経緯で一番を選んだかを端的に説明せよ」


「簡単に言うとね、震電をイヌガミ化させるの。儀式はわたしの無駄に溢れる魔力でもって、無理やり執り行なう。そうすると当然ティンダロスの呼び声が発動するわけよ。わたしをあちら側へ連れ去るために。これを、逆に利用してしまおうって話」


「……凡愚のわたしには、この狂気と天才の狭間にいる可愛い妹の話が理解できぬ」


「タマちゃんは、ミゼーアの寵姫にあえて『成る』ことで、この可能性世界そのものから脱出しようとしているの。そうすれば、今後起こると予測される『死の運命』から逃れられる。実数世界でもあるこの世界の法則は、虚数世界でもあるティンダロスにまで影響は及ぼせないから。でもそんなの、たとえわたしたちが助かっても……」


 わたしは首を横に振って、美琴の反論を柔らかく、しかし確固として我を詰める。


「ミコトとサキ姉ちゃんは絶対に助けるって決めたし、もう腹を括るしかないの。あと実はこれ、不確定要素として『母』がいるというのがミソでさ、母さんはティンダロスにて犯罪臭しかないロリ寵姫としてミゼーアに囲われているはずなんだよね」


「つまりタマキの母君を上手く頼れば、あるいはもしかしたら、なんとかなると?」


「希望的観測でしかないけど、可能性がゼロではないことは確か。いいじゃん、娘が母親にワガママ言ってもさ。子は無条件で親を頼っても良い権利を有する。つーかわたしたち、まだ法律上は未成年だし。おかーさーんって、甘えてもいいんだよ」


「お、おう……」


「そういえば百巡目のわたしって母さんの写真をペンダントにしてたみたいなんだけど、今の、百一巡目のわたしはそういうのはしてないんだよね。でも、子が親を想うのはそういう形のあるものではなく、結局は心の持ちようだと思わない? わたしは母さんを愛しているし、当然、たまには母さんに会いたい。六歳までしか一緒できなかった母さんに、ちょっとは甘えたい。もちろん、会えたらの話だけど、ね」


 決死の覚悟ではあれど、それを何とか二人には『何でもないこと』のように振る舞うため、あえて甘えた子どもの振りをする。


 もちろん現実は、そう上手くいくわけもなし。

 現実はいつだって無情を突きつける。


 おそらくわたしは、そのままミゼーアの寵姫として囲われてしまう。しかしそれを利用してでも、少なくともこの二人はアザトースの観測世界へと戻してあげたい。


 これが、わたしの、覚悟だ。


「他に、他に方法はないの……っ? 嫌だよ、そんなの。離れ離れなんて、嫌!」


 とうとう美琴は泣き出してしまった。

 あやそうと手を伸ばすと、イヤイヤと振り払ってしまう。





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