第162話 ボノボ、愛の動物。その2

 その後、日が暮れてから――、

 わたしたち三人と一匹はラム酒とおつまみ代わりのラムレーズンを手に外に出た。


 熱を持った地面、生暖かい空気、しかし、既に静まった夜の世界。

 焚き火を作り、洞穴と化した、かつての巨木に背を預けて座り天を仰ぐ。


 どれくらい経っただろう。一時間か、二時間か。いつまでも、見ていられる。

 人工の灯は、すぐ足元に作った小さな焚き火だけ。ぱちりと爆ぜる。


 空には、こんなに見えるものなのかと恐怖を覚えるほど星々が輝いている。


 わたしは一瞬、重力の感覚を失い、思わず背中の巨木を掴む動作をした。星が降るように、わたし自身が地球から振り落とされるような錯覚に陥ったためだ。


 九月の上旬。暦の上では秋であり、さすがに陽が落ちると多少は涼しく――否、生温くなる。昼間の熱強圧は、まだ地熱として轟々と滾っている。ふと、ほんのわずかだけ、冷気を帯びた緩い風が林の中を流れ抜けていく。これでも、秋だった。


 わたしたち三人は無言のまま寄り添って、焚き火の小さな炎を前に、一つの器でラム酒を回し飲みにしていた。つまみのラムレーズンを口に放り込み、果肉を奥歯で噛み潰す。旨い。こいつは効く。ひと口ひと口がインファイト気味に酒精がわたしに殴りかかってくる。わたしはあまり酒は好きではない。が、これは別。旨い。ブドウの甘酸っぱさと発酵糖蜜の濃厚な甘みが混じり合い、口内を至福で満たしてくれる。


 欲しがるので震電にも一粒だけ食べさせる。酒精がかなり強いので与え過ぎるのはよくないのは知っている。何せ、精々が十キロ程度の体重の子だから。


 というわけで、頭を撫でて誤魔化してしまおう。

 んふう、と静かに吐息を漏らす。

 アルコールを含んだわたしの息は、自分でも驚くほど熱く火照っている。


 美琴が、わたしの左手を、指を交差させる恋人握りにしてきた。

 咲子が、わたしの右腕を自らの左腕に絡めて二の腕に添え、恋人組みをしてきた。


 わたしは目を閉じた。二人は身をこちらに預け、両手の使えないわが身に、空いた手で愛撫を始めた。自然とくぐもった声が出る。だって、出ちゃうものは、仕方がない。美琴はスカートの中に手を入れてくる。するりするりと太ももをなぞる。


「熱い……ね。もう、オンナノコも準備できちゃってる……?」

「さわって、ごらんよ」

「うん……っ」


 誘いに乗って、美琴はわたしのオンナノコに下着の上から指を添える。

 びくんっ、と身体が反応する。


「わたしね、物心がつくころから男が嫌いだったの。乱暴だし意地悪だし、何より変なニオイがするし。わたしは、女の子が好き。タマちゃんが好き。いつも傍にいてくれるあなたが、好き――大好き。愛してる。許されるなら、結婚したいよぉ……っ」


「……うん。わたしはミコトのその一途な想い、大切にするよ」


 少し話が逸れるが、人の体臭を不快に感じるのは己の持つ遺伝子が近い場合にも起こるという。例えばわたしたちのような年頃の女の子が父親の体臭を毛嫌いするのもこれに起因する。近親相姦を避けるための、自然界の安全作用なのだった。


 美琴の場合はどうなのだろう。彼女は同性愛嗜好が強い。男の匂いを不快に感じるのは、あるいは遺伝子的畸形かもしれないが、それだけでもない気もする。


 いずれにせよ誰かを愛することに、性別など関係ないのではあるが。


「――昨年の文化祭で執事喫茶を催したクラスがあっただろう」


 咲子はわたしの薄い胸を愛おしそうに撫でて、的確に乳首を刺激してくる。


「どういう経緯でかは知らぬが、お前は知り合いに頼み込まれて一時間だけ燕尾服を着、男装をした。わたしは、あの執事姿に心を奪われた。こんな身近にも、奇跡はあるのだと思ったよ。わが可愛い義妹。そう、それだけでは、なくなった瞬間だった」


 そんなことしたっけな、と思い出そうとして、ああ、やったっけ、と得心する。文化祭の、美琴の一件が起きる前日の出来事だった。別クラスの知り合いで、たしか交代要員の子とのスケジュール立てに失敗し、拝み倒されてヘルプで入ったのだ。


 あれがどうしたというのか。

 いや、違うか。

 あれはあれでわが義姉のストライクゾーンだったわけか。女装少年を愛し男装少女を愛でる、歪み切った特殊性癖が彼女の真の姿だった。


「この薄い胸がいかん。羨ましい。ともすれば少年のような薄い胸が、狂おしくも愛おしい。わたしの醜い肢体を見よ。なんだこれは。まず女として、あまりに背が高すぎる。スーパーモデルにでもなるつもりか。人の見世物など糞喰らえだ。胸は胸で無駄に肥大して足元が見えん。不用意に走れば苦痛を伴う。なんと不出来なのか」


 それは持たざる者への宣戦布告かと勘ぐるような内容だが、しかし個人個人に悩みは違うものであるし、隣の芝生が青く感じるのもまた事実だった。


 以前語ったように、イヌガミ一族の女に限り、胸の大きさは魔力量とその質、真なる故郷ティンダロスへの親和性に反比例する簡単な指標となっていた。


 わたしの胸は、Aだ。さらに告白しよう。ギリギリ、自己申告での、Aだ。

 本当のところはAAである。さすがにわが母のAAAには負けるが。


 それがゆえにティンダロスへの親和性が高いとされている。ティンダロスの美の基準は、幼女スタイルを最高としている。むしろツルぺた貧乳を美の基準としている。


 ところ変われば美の様式も変わるのだった。


 千年前の日本なども下膨れブサイクオカメにお歯黒、そしてうたが上手いと美人とされていた。二千年以上前のギリシア・ローマでは貧乳が高尚なものとされていた。


 どうであれ、わたしは高すぎる親和性が祟って、自分のイヌガミがいなかった。





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