第158話 化石古代樹、洞穴探索 その4

「一先ず疑問は置いておこう。それよりも手を洗って、と」


 わたしは先ほどお玉で取り出したラムレーズンを一粒、摘まんで食べた。


 驚愕。まさに驚愕。

 なんだ、これは。うわ、マジか。


 恐ろしく芳醇な香りが瞬時に鼻腔に立ち込める。

 旨い。旨過ぎる! なんだこれは! なんなのだこれは!

 濃厚な糖蜜と、まるでバニラのような風味が顔全体を覆って行く。

 目くるめく味覚を擁する魅惑の協奏曲が突如開演した。


「旨っ。マジで旨っ。な、何これ、酒独特のキツさがない。甘さとスパイシーな香りの配分が絶妙。むしろ神ってる。えっ、これをバターサンドに? なんだっけ、モーガン船長のひみつバターサンド? こんな凄いのを大学構内のサテンで出すの?」


「うむ。毎日でも飽きない。そしてこのラムレーズンの配分比率レシピを持っていると囁かれるのが南條公平。われらが一族の、男の癖にイヌガミを連れる、笑う道化」


「タマちゃん、タマちゃん。わたしにも食べさせてぇ」

「大っきな甘えん坊さんはっけーん。はい、ミコト。あーんしてー」


「あーん。……本当。これ、味覚へ訴えかけるバランスが絶妙。美味しい……っ」


 三人でひとしきり食べて、概ね満足するころには少し酔いが回っていた。何せ三日ぶりの甘味である。狼の震電がふんふんと美琴以上に甘えて鼻を鳴らし、しつこくねだるので一粒食べさせてやった。その後、考えても無駄なものは無駄なんだよと言わんばかりに、わたしたちは酒瓶三本と一斗瓶に入ったラムレーズンを持ち帰る。


 謎は深まってもそれを解決する糸口は見つからず、さらには少し酔っぱらって思考が減退したわが灰色の脳みそを持て余し、それでも美琴を守りたい気持ちにこれっぱかりの嘘はなく、ならばと気分転換も兼ねてトイレに向かうことにした。


 当たり前のようについてこようとする美琴と震電。


 しかし美琴には悪いけれども、これからリアルチート英雄のルーデル閣下ですらビビるスツーカの爆撃をするからと遠慮してもらった。要するに大量の大便をするからとお断りを入れたのだった。あはは、下品? でも酔ってるから、多少はね?


 もはやわたし専用となったシャベルを片手にトイレへ向かい、用を足し息をつく。


「うーん、なんかこう、ブリっと考えが捻り出そうなのに。出るのはウンコばかり」


 下品なものは、下品である。モテる女に一番必要なものは恥じらいだと何かで読んだような気もしないではないが、所詮は独りごとなので許してほしい。


 身辺警護代わりの震電は、興味深そうにわたしの大きな用事を真正面から眺めていた。どうせ相手は畜生なので秘事であろうと秘処であろうと見られても構わない。出したモノを嗅がれるのだけは勘弁だけれども。ほれ、ブリブリ出すよ、ブリブリ。


 尻を拭き、腐葉土を出したモノにかけておく。わが分身、埋葬完了。

 震電も大用をしたそうにうろうろし出したのでシャベルで穴を掘ってやる。


 利口なわが狼は、掘ったそこに尻を向けて物凄い量の彼の分身を捻り出した。なるほど、食べる量が半端なかったので出る量も半端ない。大漁、大漁っと。

 全部出したところを見計らって穴を埋めてしまう。よほどスッキリしたのか、震電は犬のように尾をピンと上に向けてわたしに擦り寄って、遠慮なしに甘えてきた。


「よーしよしよし、それじゃあ散歩がてら、川に手を洗いに行こうねー」


 頭を撫でてやりたいが用を足した手で彼に触れるのはあまりよろしくない。わたしは美琴を誘って川へ手を洗いに向かった。


 そうして、川に手をつけた、そのときだった。


 まるで脳裏に電流が流れたような、ある考えが浮かび上がってきた。


 川の水は、最終的にはどこへ流れつく? 海? それは、本当に、そう?


 突拍子もない思考のようで、さにあらず。今しばし堪えて読んでほしい。


 川の水は全体マクロで見れば海に到達してはいれど、ミクロで見れば川で流れる水の分子は海に到達する前でも蒸発し、雲となり、雨を降らせて大地を潤しているのだった。


 つまり巡回している。それが自然のサイクル。大きく表現するなら、宇宙の法則。


 これまでの『巡回宇宙でのわたし』が百度も失敗を重ねてきたのはなぜか。

 前宇宙でのわたしの記述ではこうあった。再度、記しておく。


『百。このデスゲームをクリアする方法は存在しうるのか。二人零和有限確定完全情報ゲーム。いや、わたしたちとあいつで三人対一人だが、自分が言いたいのはそうではない。敵と味方で考えるとして、この迷宮みたいな現状を打破するには――』


『そもそもの前提を、根本から覆す、何かを用意せねばならない』


 わたしは、試練達成の前提条件をはき違えていた。


 つまり、勘違いからの失敗。最初から、間違っていた件。


「……ユーレカ」

「タマちゃん、どうしたの……?」


 流体中の物体は、その物体が押しのけている流体の重量と同じ大きさで、上向きの質量を受ける。ネットウィキペディアで読んだアルキメデスの法則だった。


 しかしそれはどうでもいい。

 そんなものは、わたしにとってたいして重要ではない。


 なぜならアルキメデスが発見したのは、水風呂に入ると自らの体積分の水が押しのけられて水位が上昇する=上昇した水位は自分の体積と等しい、なのだから。

 浮力に関するアルキメデスの法則は、この出来事から二世紀経ってから確立されるのであった。なので、どうでもいい。彼の真に偉大な功績は、新たな視点での新たな発見を、全裸でかつ簡潔に表現せしめた、たったひと言にあった。


「……ユーレカ。そうか、ユーレカだ!」

「タ、タマちゃん……?」


 わたしは制服を脱ぎ払った。下着も取り払う。一糸まとわぬ姿になる。


 この感動は脱がずにはいられない。アルキメデスは行水中にアイデアを突き止めたとある。ならば、全裸になって、かつての偉大なる数学者を讃えねばなるまい。


 わたしは川に頭から飛び込んだ。そしてしばらくバタ足をして、クロールで泳ぐ。


「うおおおおっ、ユーレカぁあああぁあぁっ」

「ああ、タ、タマちゃんが……っ、タマちゃんが……っ」


 はい、そこ。ああ、窓に、窓に! みたいな言い回しをしない。


 わたしは大丈夫だから。


「ミコトォ!」

「は、はい!」


 ざばり、と泳ぐのをやめて川の中で足をつく。そしてガッツポーズを取った。


「川の水はいずれ海へ流れつくと、なぜ勘違いする? 否。否だよ!」


「か、川の水?」


「大丈夫だ、問題ない。その前提、わたしが根底から覆す! 心配するな!」


「わ、わたしは今がとても心配だよっ」


「ユーレカ!」


「タマちゃあん……っ」


 半泣きの美琴にわたしは川の中をざばざばと歩み寄り、がっしりと握手する。


「助かるよ、美琴は!」


「ほ、本当……? ううん、タマちゃんのことは信じているけど、でも……」


「覚悟が、わたしに覚悟が、足りなかっただけだったんだ……っ」





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