第152話 百枚の試練経過記録、百枚の遺言 その2
咲子は頭を抱えた。わたしたち三人の中では一番常識人と言っても差し支えのない彼女には、少々この仮定はキツかったようだ。
世界の周回を跨ぐ、つまり、この紙は世界の始まりと終わりを跨いで、次の宇宙に持ち越していることを指す。宇宙とは、循環しているのだった。
「ただ、うん、ミコト。今からもっとキツイ事実を知らなきゃいけないみたい。だから、わたしの膝に座ってもいい。子どもみたい? じゃあ今だけわたしの娘だね」
ポンポンと膝を叩き、美琴を呼ぶ。
するすると彼女はわたしの膝に腰かけて、なぜか横抱きの姿勢で落ち着いた。俗にいうお姫様抱っこである。ちなみに二人とも下着姿だ。
「繰り返すけどミコト、気を強く持ってほしい。なんだったらちっとも成長しない胸を吸ってもいいし、他の敏感な部分に手を添えてもいい。ただ、耳だけは働かせて」
頭を撫でつつ、優しく彼女に諭すように言う。そして深呼吸を一度、した。
「まだ全部を確認したわけじゃないけれど……。ミコトは、四日目の、つまり明日の午後に死ぬ。これまでのわたしは、どうやっても、守り切れずにいる……」
ひゅっ、と喉がなるのを聞いた。美琴だった。まるで凍りついたように身体の動きを止めた。呼吸すら止めていた。彼女はじっとこちらを見つめている。
彼女の双眸はイヌガミと契約を結ぶ際に視力を失い、目で見る行為そのものの意味をなさなくなってはいる。だが、それでも三体のイヌガミを通せば、人の三倍の視覚情報を得られる。彼女はわたしの表情から、真偽の如何を確かめようとしている。
「色々、周回宇宙のわたしは抵抗している。これまでのミコトの死亡ポイントをすべて割り出して、それ以外の場所へ避難してみたり、魔力のすべてを燃やし尽くすほど魔術行使して被害を逸らすを唱えてみたり、ただひたすらミコトの手を取って走って逃げてみたり、あるいはあえて何もしなかったり、偶然にも昼間の死亡時刻帯は切り抜けたが、夕刻にふとした油断で取り返しのつかない事態に陥ったり。大規模地震が起こり手を取って逃げるさ中、別な要因で死を防げなかったり。枚挙に
「……タマキよ、それは、どのくらい繰り返されているのだ」
「繰り返す、という表現は適切じゃないんだけどそっちのが分かりやすいか。この血で染まった一枚を見てほしい。百って書いてるの。周回宇宙なのに、それこそ那由多の先、無量大数、不可量転、阿婆羅、不可説不可説転をさらに百乗、千乗した先ですら超えた年月の『はず』なのに、血が、新しいの。まるで、たった数日前につけられたみたいに。わかるかしら? この意味、この受け入れ難い事実」
「わからん。ただ、わたしは、怖い。タマキよ、わたしも、抱きついていいか?」
「もちろんいいよ。こんなの、誰だって怖いよ……」
わたしたちは一つに抱き合った。
止めた呼吸を再度開始した美琴は、途端に小刻みに震え始めた。
何ごとかと、狼の震電がひょっこりベッドの下から這い出してきて、投げ出したわたしの足元に、身体が触れるようにひっそりと寝そべってくる。
わたしは考えていた。おそらくこのサバイバルは百一周目なのだろうと。
そして、どの自分も美琴を守り切れず死に追いやり、しかも紙に付着したやけに新しい血痕から考察すれば、わたしや咲子もタダでは済まされていない。
まず、死んでいると、考えたほうが理に適っていた。
むしろ自分たち二人も死んでない方がおかしい。
一番恐ろしいのは、このメモ書きが綺麗に詰め直されていることではあるが。
榛名レン。イヌガミが一族、榛名家に連なる謎の少女。
しかし、わたしは彼女を、駅での出来事以外で見かけたことがない。
わが一族は、一族郎党の結束が非常に強い。ゆえに、皆、顔見知りだ。なのに、なぜ。わたしは彼女の顔を知らない。そんなことが有り得るのか。
最悪なのは、さらに重要な事案について。
美琴を何があっても守れと課題を立て、この可能性世界に飛ばした張本人という現実。わたしたちが束でかかっても敵わない力を有する魔人。わけが分からない。
何がどうなっている。本気でそう思う。
榛名レンの一件もそうだが、加えてなぜ、このわたしが百度も美琴を死に追いやっているのか。佐世保の時雨、不敗にして腐敗の姫君。歪みの魔術師。これらの字名は、すべて中身は空っぽか。
いや、待て。
考えそのものが根本から間違っているのではないか。
しかしその前提となる鍵、大元となる条件が分からない。
ぐるぐると巡る思考は何もアイデアを生み出してくれそうにない。
「ミコト、サキ姉ちゃん」
ふたりは声に反応してわたしを見た。
二人とも、突如降ってわいた情報という名の恐怖に、今にも押し潰されそうな表情をしている。しかし、それでも、知らないまま破局に向かうよりは……。
「この紙きれは、わたしが残した、遺言。文字通り、周回する宇宙の、そのとき生きていたわたし自身が現宇宙のわたしたちに向け、命がけで残した情報。一つ一つを、順にならべて、一枚ずつ確認しよう。すべてを把握することから始めるよ」
「でも、でも! わたしだけでなく、たぶん、みんな、死んじゃってるもん!」
美琴が吠えた。
これまでつき合ってきた中でも聞いたことのないほどの大音量だった。
「タマちゃんも、咲子お姉ちゃんも、死んじゃうもん! なんで、どうして! 嫌だよ! 死にたくないよ! タマちゃんも咲子お姉ちゃんも、死んでほしくないよ!」
「落ち着きなさい、愛しいわが娘。ほら、おっぱい吸いなさい。乳は出ないけど」
「うう……」
今だけの設定だが、横抱きにされている美琴はややこのようにイヤイヤと身体をくねらせたかと思うと一転してガッチリとこちらにしがみつき、そうしてわが貧相な胸に口を当てた。乳首が舌先に包まれるのが分かる。本当に吸うつもりらしい。
「タマキよ、お前は……」
「サキ姉ちゃんも、わたしのおっぱい吸う?」
「いや。ただお前の芯の強さに安心する。腰に腕を回させてくれるだけでいい」
「うん」
別に芯が強いのではない、などと反論しない。
わたしだって、怖い。
しかしそれ以上に三人ともが恐慌状態に陥ることを恐れていた。
無秩序に陥ればそれこそ終わりなのだから。
わたしたちは、あえてゆっくりと、紙片をベッドに、一を初めとして並べていく。
やはり思った通り、百が最終になっていた。つまり、百回、このサバイバルは行なわれて、そして、百回とも失敗に終わっているということだった。
わたしはじっと、命がけでもたらされた、これらの情報を読み取っていく。
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