第146話 シカ肉を燻製にかける。ああ、腹が減る。その3

 水分を補給し、ついでに美琴から塩飴を貰い、解体作業を続ける。


 サクラチップに火をつけて煙を煽る。特製燻製屋台に吊るした大量のモモ肉と、肩ロースに背ロースが半分、それにリブ部分を煙にていぶしにかける。

 本当なら砂糖しょうゆのソミュール液に一昼夜漬け込みたいところだが、擦り込んだ塩一択の原始人仕様である。肉本来の素朴な味わいが楽しめるはずだった。


 一方、切り取った前足は筋を丁寧に切り払い、同じく解体で切り取った背ロースと一緒に剛毅に分厚く斜め切りにしてしまう。そしてナイフの背で親の仇の如く叩いて叩いて叩きまくり、ボッコボコにしてステーキ肉としての形を整えていく。


 そうやって出来た加工肉を、素早く涼しい洞穴へと持っていく。


 腹ペコ震電は解体中はずっと涎を垂らしていた。


 だが、彼はわたしたちの群れパックでは一番ヒエラルキーが下であり、狼におけるボスアルファ中心に構成される強烈な縦割り社会に則れば、どれだけ空腹で切なそうにしても、彼が肉にありつけるのはわたしたち人間三人が食事を終えてからとなるのだった。普段、子犬のように甘えても、身分の線引きは厳格。例えるなら軍組織のようなものだ。


 とはいえ何ごとにも例外はある。


 昨日の夕飯を例を挙げれば、わたしがハスターの化身たる黄衣の王に陳情し彼を呪縛した永続性支配の影響でその辺りの身分感覚はかなり曖昧になっていた。

 最初の一口はさすがに上位者のわたしたち三人が先行するが、その後は震電と一緒に食事を楽しむのだった。最優先されるのは本能ではなく、わたしの命令である。


「もうすぐお肉祭りだよ。ステーキ、楽しみに待ってるといいよ、うふふふ」


 震電はごろりと寝そべってわたしに腹を見せた。

 服従と空腹を同時に表現しているらしい。いじましくて可愛い。


 ずぼらなわたしの怪我の巧妙で偶然持ち寄った缶詰などの食糧は、この朝を以ってすべて食べ尽くした。残るのは調味料と一部のお菓子のみ。


 本日からが、自給自足サバイバル本番と言っても過言ではない。


 食用になる野草を採取し、動物を狩り、魚を取り、果物を探す。原初の人間たちがしていたであろう営みのまねごとをするわけだ。


 不安かと聞かれれば、そうでもないと答えよう。

 なぜって、期限は五日と切られている。

 わたしが『原始人の営みのまねごと』と語るのはそういう意味なのだから。


「よーし、こんなもんでしょ。くあーっ、お腹減ったなぁ!」


 狩猟経験を豊富に持つ咲子の的確な指導もあって、無事にシカを解体できた。


 リブ付き肉とモモ肉、肩と背ロースの半分は燻製に。

 後ろ足より美味しいとされる前足二本と、背ロースの残り半分、そして震電専用の内ロースはじゅわっと焼き上げてステーキにしてしまう。


 わたしたちは洞穴の簡易コンロ前で昼食をとっていた。


 フライパンで豪快かつ一気に焼かれる背ロースステーキは塩コショウのみのシンプルさで、しかし赤身の多い淡白な味でありながらも自分たちで狩って捌いて食べる心理的付加価値もあるのだろう、空腹を満たすにはまたとない食材となっていた。


 シカの背骨を出汁に取ったセリとクレソンのスープもオマケについてくる。

 だが、まずは肉。肉を喰らわねば話にならぬ。

 

 お肉! オニク! ONIKU! オレサマ、オマエ、マルカジリ!


 ナイフで切り分けて、アツアツの肉汁が垂れる中、ガッと口の中に放り込む感動ときたらどうだ! ふははっ、これぞ醍醐味! 肉食主義万歳!


「「「美味しい!」」」


 狼の縦割り社会を意識して、初めにわたしたち人間組が一口ずつ肉を食す。

 次いで腹ペコ狼の震電にも肉を切り分けて皿に盛ってやり、食事の許可を出す。


 彼は口を持って行ったかと思うと既に食べ終えていた。さすがの食欲である。


「シンちゃんも美味しいと言っているな」

「震電、だってば。シンちゃんじゃないって」


 おかわりが欲しくて辛抱堪らないとばかりに鼻を鳴らす震電のために内ロースを焼いてやる。彼は皿の前で居住まいを正した、お座り姿で待っている。


 教えてもない待機姿勢に微笑みが漏れる。

 ジュワァと食をそそる音を立てて焼かれる内ロース。

 うおぉおぉぉっ。なんというか、腹減りが全身を通して貫いていく!


 わたしたちは震電の食事に関して、おやつ以外は必ず加工したモノを出すよう考えている。生食は野生時代で終わり。これからは、わたしたちと共に歩む。もうお前はわたしの飼い狼なのだから。なのであえて、焼いて肉を出してやる。


「まだまだあるから、遠慮なく、たくさん食べていいからねー」


 出来立てアツアツのロースステーキ肉を食べやすいよう切り分けてやり、ついでにふうふうと息を吹きかけて少し冷ましてから彼の皿に盛ってやる。

 待ってましたとばかりに立ち上がった震電は、変わらぬ吸引力もかくやの勢いでペロリペロリと食べてしまう。


「このダイソンな健啖ぶり、見ている側も気分が良いね」

「ランニングコストのかかる子狼だ。こいつは将来、絶対に大きくなる」

「タマちゃん、この子は秋田犬で犬種登録したほうが良いかも……?」


 そんな彼に負けじとわたしたちもステーキ肉にかぶりつく。旨い。赤身の多いシカ肉に塩コショウだけの簡単な味付けにもかかわらず、ああ、ホッカホカの白ご飯がないのが悔やまれるほどの深い味わい。これはいくらでも食べられる。


 併せて作られたシカの背骨から出汁を取ったスープのなんたる喉の饗宴か。調味料は塩コショウだけ。具材はクレソンとセリの、二種のハーブだけだというのに独特の香りと苦みが最上の薬味となっている。呑めば呑むほど法悦境。いやはや堪らぬ。


 顔つきがだらしなく緩んでしまう、それは万金至福のひととき。






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