第145話 シカ肉を燻製にかける。ああ、腹が減る。その2
拠点に戻ったわたしたちは、さっそく解体用の吊るし台に獲物を通した。
直射日光の下での作業は辛いので木陰を選んでの作業である。
「最初に、皮を剥ぐ前にシカの首と四本の足首に一周、切れ込みを入れよ。うむ、思い切りの良い刃の入れ方。迷いがなさ過ぎてお前の将来に不安を覚えるほどだ。悩み事ができたとき、自身の御父上かもしくはわたしに絶対に相談せよ。絶対に、だぞ」
ずいぶんと失礼なことを言われている気もしないではないが、これでも義姉としてわたしを案じてくれているのだろうから、わかったと迎合だけはしておく。
「次に、肘と膝の関節辺りにグッと切れ込みを入れろ。そうだ、上手いな。そうしてから脚の内側に沿って切り込んで――うむ、肘は胸、膝は腹のあたりでYの字になるように刃を入れて行く。お前のラブレスナイフは本当に良く切れる。そいつは市価だと六十万円はする。部室に夏休み中放っておいてよいものではないと忠告しよう」
良いものなのは知っている。が、部室にはもっとお宝なゲームやハードが遠慮なく放置されている。わたしたちの部はレトロゲーム研究部である。
われらが部室はその手のマニア垂涎、古今東西のレトロゲームが箱付き(美品)で満載になっていて、顧問の先生(担任)以外にもゲーム好きな教頭や校長、たまに学園理事長までもが遊びに来るほどだった。なお、入手先はイヌガミ的に、秘密である。
「さて次。内臓は昨日全部取り除いているので、あとは皮を剥ぐばかり。シカは基本的に脂肪分が少ないためシシの解体のような苦労はしない。……ち、ちょっと待て。頭の側から剥ぐな。そういえば昔、お前はマツタケを傘の側から裂こうとしたな。逆だ、逆。後ろ足の切れ込みから、ぐっと首に向かって引っ張るようにして剥ぐのだ」
「了解了解、ヨーソロォ! ヒャッハーッ、新鮮な肉だぁぁっ!」
メリメリと小気味よい感触が手に伝わる。皮は思った以上に簡単に剥がれていく。
「フォールアウトかお前は。もはや年頃の少女のかけ声ではないな」
「病気のおどっつぁんの布団を剥ぐ悪徳金貸しのように、一張羅の皮を剥ぐ!」
「例え方が酷過ぎて草も生えんわ! とりあえずグレー金利での過払い金は還付させよ。さらに剥いだ皮は、ミコトのイヌガミ能力で水分を奪ってもらうとする」
「あ、はい。ミコト、そんなわけでお願いねー」
本格的にシカ肉の分割に入る。
自分たち三人が食用として主に摂るのは、前後の四つ足と背ロースだ。ちなみに前足と後ろ足では、前足のほうが美味しいらしい。
肋骨周辺のバラ肉は、わたしたち三人の食用とせず震電の食事になる予定。
そもそも骨に密接する部位は、動物特有のワイルドな臭みがあるので好悪が分かれるのだった。人のために調整された家畜ではなく野生ならばなおさらで、とすれば元野生の震電に与えるのが無難といえた。骨ごとバリボリと食べてしまうと思う。
さらに腹の奥にも内ロースがあるのだが、本来は柔らかくて大変美味な部位ではあれど冬ではなく夏を過ぎたばかりの川の水を一昼夜吸っているので、安全を優先させて震電に与えることにした。良かったな震電。ステーキにして食べさせてやろう。
それにしても、暑い。わたしは二の腕で額の汗を払った。
全身が汗だくだった。
空を見上げた。ゾッとするほどの群青が、どこまでも広がっている。
セミの音が凄まじい。メスを求めて大合唱だ。
この化石洞穴の、十数メートルの周囲だけ、ぽっかりと林が途切れている。元いた観測世界では四十年前のこの場所は土で埋まっていたと聞く。それを学園都市計画で桐生グループが開発のために掘り返すと、半化石化した巨木が現れたのだった。
つまり、人の手が入らない限り、ここは丘陵のままのはずだった。
それが未だ人の気配を見ぬ可能性世界では、なぜか半化石化した巨木の洞穴がむき出し状態になっている。これが不思議でならない。
「ミコト、お願いがあるの。喉が渇いたから笹の葉茶を飲ませてほしい」
「うん……っ」
解体は順調に進み、前足は本日の昼食用に咲子が丁寧に前処理をしていた。こいつはそのままステーキにして、ガッツリ食べてしまう。
後ろ足は、モモ肉だ。適度な大きさに切り分けて燻製にする。
リブ部分もあばらごともぎ取り、バキッと左右の二つに割ってしまう。
それらを燻製用屋台に蔓を使って巻き吊るす。
「初めての大型解体とは思えぬほどの腕前。わたしより才能があるな」
「お茶持ってきたよ。ふーふーして飲ませてあげるねぇ……」
「ありがとうミコト。今両手が使えないから、助かる。サキ姉ちゃんにもお願いね」
「タマちゃん、もっと飲む……? だから口移しとか、しちゃっていい……?」
この会話の中、どこがどうなれば『だから』に繋がるのだろうか。
「今、わたしノー下着。しかも狼のご主人様なんだよ、可愛い赤ずきんちゃん」
「うふふ……こんなに愛しい女狼さんだったら、わたしね、もうね……」
美琴が積極的過ぎてわたし困っちゃう。バリバリに肉食な赤ずきんちゃんである。
「お前たちの恋の行方に干渉などしない。だが、肉のことも少しは考えてくれ」
「だってさ、ミコト。なのでお茶は普通に飲ませてね。お昼が済んだら、汗を流しにまた水浴びに行こう。そこで、ね。色々しよう。ホント、色々とね?」
「うん!」
なるべく健全に行きたいものだ。健全に、百合姉妹な関係。
今更どの口が言うかと怒られそうではある。それでも無軌道な百合より節度を持たせた方が、イチャつきにも張りが出てよりキモチ良いのをわたしは知っている。
嫁にするならば――可愛くて、世話好きで、えっちも好きで、美味しいご飯を作ってくれる子がやはり最高だろう。これは同性異性に関わらず、そう思うはず。さらにケモ耳ロリ妻属性を加えると、いわゆるなろう系の童貞妄想嫁が完成する。
よし、このサバイバルが無事終了したら、美琴にネコ耳カチューシャと尻尾をつけさせて、レオタード……白スク水……いや、ピンクのメイド服を着てもらおう。
わたしもメイド服を着る。それでエロいことをする。よし、決めた。
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