第144話 シカ肉を燻製にかける。ああ、腹が減る。その1
食後の休憩を挟み、まずは美琴と震電の二人と一匹と、取り憑いて気配すら感じさせないフェレット型イヌガミの三体で香草のセリとクレソンの採取に行った。咲子は余っている竹を使って燻製用の屋台骨を組むとのことで、一人拠点に残っている。
蔓で作ったバッグに入れるだけ香草を詰め込んでいく。
セリは三大毒草のドクゼリを混入させないよう細心の注意を払う。
まず、ドクゼリには歪に膨らんだ竹節状の地下茎がある。セリには独特の香気があるが、ドクゼリにはない。セリの草丈は、摘み頃だと十五センチ、花期でも三十センチが限度だが、ドクゼリは最大で一メートルも草丈を伸ばす。
クレソンは完全に時期を外してはいれど、そもそもハーブは生命力に溢れる食用草である。たとえばミントなどはその代表で、嫌いな奴の庭先にミントの種をぶん撒く通称ミントテロなど、恐るべき生物兵器が如くの活用法があるほどだ。
さすがに残暑には勝てずにしんなりしてはいても、群生力を失うわけではない。クレソン、大量にゲットである。ふはは、これは良いものだ。
採取から帰ってくると、咲子は竹と蔓を巧みに使った、やたら立派な燻製用屋台骨をほぼ完成させていた。
彼女は両手を伸ばした半分の長さである八十八センチと更に半分の四十四センチを加えた百三十二センチを――つまり彼女の身長は百七十六センチなのだが、それを基本に四つの柱を作り、特殊なロープ縛りにて支柱を交差させつつ燻蒸用の吊るし柱を構成させていた。あとは煙が逃げないよう枝葉を周りに取りつければ完成である。
「チップはサクラが万能だ。上品な香味が欲しいならリンゴ。ウイスキーに使うピート、クルミやイチョウも良いものだ。というわけで、サクラの枝を用意した」
「うひょ。手際が凄すぎて変な笑いが出てきそうってか、出ちゃったよ」
「咲子お姉ちゃんの本気を見てしまったね……」
「ふふ、お前たちもたくさんハーブを取ってきたではないか」
やはり生活するうえで、食のウェイトは圧倒的に重い。可能な限り美味しいものを食べる。良く食べ、良く動き、良く出して、良く寝る。なんて幸せだろう。
休憩を挟んでわたしと咲子は燻製用屋台骨に枝葉の壁を張り、その間に美琴には人の腕大のサクラの枝をイヌガミの力を以って若さ=瑞々しさを抜き取ってもらう。
老化で一気にカサカサに乾燥させた枝は、シャベルのノコギリ部分でバラバラにしてしまい、なるべく文字通りのチップに近い大きさにまで持っていく。
準備はこれだけではない。
次は昨日から冷やしている、シカの解体用の支柱を作る。
と言ってもこちらは簡単で、竹を三本交差させて作った三角錐を二個建てて、その交差頭頂部に獲物の四つ足を縛って固定させた一本の竹を通すだけである。
本当は台の上で解体したほうが楽なのは、大型動物解体未経験のわたしでもわかる話だった。が、大型動物を載せる台を用意するのは非常に手間がかかり、それはもう一つ竹のベッドを作れと言っているのと同じなのだから仕方がない。しかも台の衛生を確保するアルコール消毒がない。ならば吊るしてバラすのがマシというものだ。
あらかたの準備を済ませ、こればかりは美琴には腕力的に無理なので留守番を頼み、わたしと咲子と震電の二人と一匹は、川に沈めたシカの回収に向かった。
わたしたちは百六十センチ長の竹柱を縦列で肩に抱え、さらにその竹に多量の蔓を巻きつけて歩いていた。前に後ろにと随伴するニホンオオカミの震電。そういえば犬先輩のイヌガミ、柴犬のセトもこんな感じだったなと、なんとなく思い出す。
現場についた。
最初に、沈めたシカを川の流れに持っていかれないよう巻きつけた蔓を外す。その蔓を腕に巻きつけて手にしっかり掴み取る。
わたしと咲子は二人して腰を低く構えて獲物を引きずり出す。ざばり、と本日の食材が水面から現れる。気分は大漁旗を翻した、猟師というか漁師だ。
一旦、良い感じに冷やされたシカを川の縁の岩に乗せ、巻きつけられた蔓を剥ぎ取り捨てる。そうして持参した蔓で改めてこの獲物の四肢を縛ってしまう。次いで、竹を縛った足の間に通す。さらに、固定のため蔓を竹に回してしまう。
「あとは戻って解体ショーだね。今回は大物。いやあ、楽しみだなぁ」
「タマキよ、まさかまたするつもりか? 慣れたわたしがしたほうが良くないか?」
「何言ってるのサキ姉ちゃん、こういう経験は滅多にできないのよ。指導お願いね」
「お、おう。好んで解体するのって、最近の女子だとたぶんお前くらいだぞ」
そんなこともないと思う。
だってマグロの解体ショーとか、みんな楽しんで見ているではないか。
反論したいところではあれど、ともあれさっさと解体し、肉切れにしてしまわねばならない。残暑の厳しい九月初旬。これは、腐敗との戦いなのだった。
わたしの頭の中ではいかに解体するか、脳内シュミレートが止まらない。
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