第135話 隷属解放の乱事件 吶喊! その5

「なっ、えっ、消える?」


 重力を無視して浮かぶ赤黒い宝珠が、今まさに、ホロホロと崩れ去っていく。


「にゃふっ。この単眼矮躯の反逆者はね、召喚儀式の継続が不可能になったと自身が認めたときに、自動で呪いが発動するように仕込んでいたの。己と己の霊格をすべて贄として神に捧げる、そんな太古の呪い。死の宣告、対象は自分自身、みたいな」


「――マジで?」


「うん。だってわたしね、最初から気づいていたもん。えっへん。そもそも奉ずる神を鞍替えしようというなら、これくらいの措置と覚悟は当然なの。でもね、お兄ちゃんがワンパン入れてくれるから安心だよ。わたしの愛するお兄ちゃんだもん」


「あー、うん。会話が成り立っているようで、絶妙に成り立ってないな!」


 幼い子に良くある、独りよがりでちぐはぐな返事が肩車の頭上から落ちてくる。


 響も大概に酷いが、そもそも神と呼ばれるような存在は、人間など下々の事情など斟酌しない。多少会話が変でも教えてくれるだけまだマシというものだろう。


「で、アンタの素敵なお兄ちゃんは、そんな状況下でどうしてくれたの?」


「うん、だから咄嗟に、すぐさま召喚されないようにね、召喚後の『核』となるはずの魔力の宝珠を犬に食べさせたの。ただこれ、儀式の制御装置も兼ねてるから」


「げげっ、ちっとも解決してないじゃん! ちょっと安心した矢先がコレだよ!」


 発作的に反時計回りで走った数十メートル向かいの犬先輩を見やった。


 彼はもう一柱の響を肩車にしたまましゃがみ、足元のセトの頭や背中を撫でてやっていた。何かを咀嚼するイヌガミ。彼は愛犬を、あるいは愛しい恋人のように、柔らかく撫でてやっている。それは明らかに良いことをしたときに褒める動作だった。


「男の癖にイヌガミを使役できるのは良いとして、くそ、なんか手一杯だわ」

「お兄ちゃんは猟犬の祖たるマイノグーラとも仲良しさんだから」


「それってアンタの従妹にあたる人喰いの外なる神じゃん。暇だから人間喰ってみたら、意外と美味しかったとか言って。いや、今はそれどころじゃなく!」


 柴犬のセトの口から、赤い破片のようなものが零れ落ちる。宝珠の欠片だった。彼女の言葉通り、確かに魔力塊を、あのイヌガミは距離を無視して喰らったのだ。


 犬先輩と目が合った。


「響を通してそっちの事情は知ってる! で、応急で核は喰らったが魔力供給源があるかぎりいずれ召喚されてまうぞ! 地球全体にとって最悪の形でな!」


「それって、どう転んでも召喚されてしまうってコトっ?」


「まずは身内の二人をシリンダーから取り出さにゃならん。そこの単眼種はもうどうでもええ。もはや味の抜けたガムや。……響、あのシリンダー内の液体成分は?」


「基本は水と塩だよ。魔力が取り出しやすいように体液とほぼ同質の浸透圧を持たせた電解質の、簡単に言えばアイソトニック水。甘くないスポーツドリンクなの」


 二柱に分かれた響が同時に答えた。


「ちゅうことは、低浸透圧ハイポトニックにしたら一先ず魔力の供給は滞りそうやな!」


 犬先輩は空の手を伸ばした。

 繰り返して書く。彼は、空の手を、伸ばした。


 すると、彼の手には、一冊の頑強な装丁の書物が現れた。


 大きさはB4の変形型と言ったところか。頑健な金属製の帯封、土気色をした不穏な色彩のハードカバー。しかもそれは、自動的に書の中身を開き、パラパラと勝手に頁を手繰っていくのだった。嫌な予感。雰囲気でわかる。あれは、魔導書だ。


「また胡散臭そうなものを。それはなんていう魔導書よ?」


「名は、けものがうなる、や。アヴドッラー・アル=ハズラッドって狂人を事情あって世界を騙すために量子テレポートの原理で二人にして、それで片方から貰った」


「よくわかんないけど、アンタがロクなことしてないのはわかる!」


「本人が望んだんやからしゃあないやろ。世界を騙すためにどうしても片方は死んでもらわにゃならんかった。それで報酬が、片方の狂人が所持していたこの魔導書。まあ、とにかく中の水を圧縮や。スポドリの濃度を上げるで! 等化していた浸透が体内へ流れ、圧を均一化させようとするはずや。結果、魔力の吸出しが阻害される!」


「いや、それって魔力が逆流したりしない? 彼女たち大丈夫よね?」


「一時的な対症療法や。その間にお前さんは食屍鬼の皆さんをはよう呼べ!」


「呼んでどうするのっ?」


「シリンダーを引っこ抜く! 響が言うには床に差し込んで建てているらしい!」


 わたしは食屍鬼の面々をすべて呼んだ。


 五人ずつ分け、各リーダーを人間失格さんとトミエに任せ、人が入るだけの太さを持つ、巨大な強化ガラスのシリンダーを床から引き抜かせる。容器を割っては中の彼女たちを怪我をさせかねないので、ゆっくりと慎重に、その円柱を横たえる。


 そして取り出し。シリンダー上部に簡単なロック機能がついていた。


 鍵がかかってはいたが食屍鬼の面々が力づくで壊してくれた。蓋を開け、流出する電解質溶液と一緒に、気を失ったままの少女が流れ出てくる。


 犬先輩から預かったらしい大振りのバスタオルを食屍鬼の一人から受け取る。


 準備の良いことだ。わたしは少女たちの身体にそれを巻いてやり、酸素呼吸マスクを取り外してやる。簡単に外れないよう吸圧をかけていたらしく、助けた彼女らの口の周りが赤くなっていた。わたしは二人の名を呼びかけつつ、頬を軽く叩いてみる。

 

 彼女たち二人とも、ほぼ同時に目を覚ました。


 が、まだ意識が朦朧としているらしく焦点が上手く定まっていなかった。しかし首を動かし、何とかしてわたしを見ようとしていた。


「やあ、今日会うはずだった時雨環だよ。顔は知ってるっしょ? さあ、帰ろっか」


 二人の少女は心から安心したように微笑し、こくりと小さく頷いた。





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