第134話 隷属解放の乱事件 吶喊! その4

 十八世紀から十九世紀にかけて活躍した――、

 評論家トマス・ド・クインシーは、ロマン派と呼ばれる芸術家との親交の果てに書いた著作『阿片常用者の告白』でこう語っている。


『阿片! 想像を絶する快楽と苦痛を呼び起こす恐るべき力!』

『それはわたしの心になんと壮重な和音を響かせることか! 内なる精神の、奈落のどん底からの何たる高揚か!』

『哲学者が幾世代に渡って論争した幸福の秘訣が、突如として明かされたのだ!』


 わたしはこの強情な一つ目巨人祭司に何をしたか。

 彼女の明敏な神経網から魔術にて特定の疑似信号の塊を流し込み、中枢神経を抑制、多幸感を無理やり呼び寄せたのだった。


 それは、常軌を逸した快楽。


 あらゆる言語を以ってしても表現を拒むが、それでなお無理やり例えるとして、全身が性器となり、渾身の絶頂を遂げ、一気に七十兆回分の射精を放つかのような。


「ハレルヤ、ハレルヤ。さあ、ユゴス星の裏側まで行ってらっしゃい」

「――っ、――、――――っ!」


 ちょうど、予備電源が働いたらしい。礼拝堂に明かりが戻った。


 腐り果て、異臭と共にグズグズの肉体になったアルスカリ、坂東穂邑は口を大きく開けようとしてそのまま動きを止めた。目の焦点はどこにも合っていない。


「手間を取らせるわね。こいつの判断力を奪い、やっと尋問ができる状態になった」


「……一体、何をなさったのですか?」


「神経をいじり、薬物のジアセチルモルヒネを摂取したのと同じ状態に設定した」


「それはモルヒネにアセチル基を加えた地獄を故郷とする天使の化合物ヘロインですよね?」


「そうよ。治癒って言うのは、とっても応用が利くの。さて、坂東穂邑。または、ほむらさまとやら。質問に答えて。攫ってきた娘たちの中に、下級神性級の魔力を囲う子たちが二人いるはず。そう、炎のクトゥグァを召喚する鍵となる、あの子たち」


「あ……。あ……。かみさま……。まりょく……あのこ……。かみさま……」


 良い返事だ。今こいつの頭の中ではハレルヤの歌メサイヤが流れているに違いない。


「儀式の確認がしたい。彼女たちはどこ? その魔力量でクトゥグァが呼べるの?」


「……う、……ろうそくの、ひを。かみさま……。けせば……。かくにん……する」


「人間失格さん! トミエさん! あの紫のロウソクの火をすべて消して!」


「「了解です!」」


 二人は風のように走り抜け、魔術的な陣形の外を囲うように灯る、八つのロウソクを消して回った。わたしは戦場となった礼拝堂を睥睨する。


 一方的な戦いだった。


 アルスカリの助祭や信者たちは残さず床に伏して絶命に至り、わたしたちイヌガミ一族×食屍鬼連合の勝利は確実のものになっている。


 そうするうちに、人間失格さんとトミエは紫に燃えるロウソクをすべて消した。


 するとどうだろう。


 祭壇の向こう、巨大な召喚陣の中央に二本の円柱が姿を表わしたのだった。なるほど、ロウソクの火は彼らアルスカリお得意の幻覚効果を担っていたらしい。


「榛名歩、霧島漣子!」


 一族の会合で何度も顔を合わせて見知った少女たち。

 彼女らは酸素供給用なのだろうマスクをつけられ、全裸で目を閉じ、何らかの液体で満たされた透明な円柱形のガラスシリンダー内に沈められている。


 胸には、おそらく封印処理と思われる呪紋の施された布でぐるぐる巻きになったイヌガミを抱いていた。歩はイタチで、蓮子のこれは……なんだろうか、オコジョかこれは。様子を見るまでもなく、彼女らは共に意識を奪われていた。


「かみさま……ほのおのいだいな……わたしを……かみさま……ささ……げる……」


「――っ、アンタっ、今なんて言った? 捧げるって、何よっ?」


 全身が逆立つ悪寒が襲った。予感ではない、確実に来る不吉を、感じた。


「ささげる……ささげる……」


「にゃあ。ねえねえタマキお姉ちゃん。こいつ、今、自分を生贄にしたよ。そういう呪いがかかってるの。すっごい太古の、すっごい強力な呪いなの」


 肩車にした響が、わたしの額をぺちぺち叩いた。

 聞き捨てならないセリフだった。


「ど、どういうこと? 呪いって、もう少し具体的に言ってくれないと――」


 上を向いて響に尋ねようとしたちょうどそのときだった。

 前方で、ガラス質らしきものが鋭く砕ける音が。


 わたしは反射的に飛び退り、防御態勢を整える。音の正体は祭壇の宝珠だった。





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