第120話 隷属解放の乱事件 共闘準備 その1

 そこは一見すれば経年劣化の果てに崩落した、巨大壁面の転がる建築物だった。


 人間失格さんは何気ない動作で壁面に近づいて、コン・ココンとリズムよく三回ノックした。さらにコココン・コンと四回。独特のリズムで壁をノックする。

 すると一拍置いて、カチリと中から音がするのだった。


「さあ、どうぞ。私についてきてください」


 遺跡の内部はまず細い廊下に繋がっていて、左右に長く伸びていた。不思議と埃っぽくなく、闇の底の住人が住まうには不自然なほど清潔さを保っていた。


「ここは、本来は何らかの研究施設の別棟だったらしいのですが、凄まじく年月が経っているため、私どもでは理解の及ばない遺物がたくさん転がっています」


 なのであまり備品には触れないようにしてください、と彼から注意を受けた。セラミック製の廊下を進み、階段を降り、まるで学校の教室のような部屋に行きつく。


「戻りました、私です」


 中に入るとサングラス型暗視ゴーグルが反応し、光量増幅から近赤外線にモードが切り替わっていた。私は部屋の天井部を確認する。なるほど、と納得する。どうやら食屍鬼の視覚能力に合わせて、部屋ではライト代わりに赤外線を使っているようだ。


「現状を打破してくださる、すばらしい方が来てくださいました」


 こちらとしては隠し拠点へ同道はすれど、まだ表向きは彼ら食屍鬼と共闘する意思を明確にはしていない。ズルいと思われそうだが、曖昧さが身を助ける場合もあるのだ。しかし人間失格さんはあたかも共闘体制を結んだようにコトを進めていた。


 確かに考えてみれば、混沌の邪神の悪意でわたしの作った腐肉を食べ、怪物の身にやつしていながらも人であった頃の心を取り戻し――、

 それでいて、再びあの腐肉を口にしたいという怪物的自己矛盾を孕みつつ悶々と十年を過ごしていたのだった。さらには得体の知れない特戦部隊に追われて偶然にもわたしに助けられ、同行を願えば黙ってついてきてくれたとなれば。


 もはや彼ら食屍鬼がわたしたちを協力者と見なしても、ちっともおかしくない。


 暗視ゴーグルを通したモノクロ視覚の先に蹲る二人の食屍鬼を確認する。土建屋風の作業服を着たモヒカン頭たち。しかし人間らしい締まった表情をしていた。


 それにしてもなんと食欲をそそる、良い匂いがするのか。


 部屋に充満する、この匂い。獣のような食屍鬼の体臭らしいのだが。


「そちらの方々は人間ではないか。ここは危ない。地上に戻したほうが良くないか」


 食屍鬼の一人が人間失格さんに尋ねた。

 低く落ち着いた男の声だった。しかもその内容は実に紳士だった。


「大丈夫です。彼女はあのとき耳にした『腐敗の姫君』と呼ばれるお方です」


 ざわ、と気配が動くのが分かった。明らかに動揺が感じられた。

 わたしは念のために魔力を体内で練り始めた。

 そして『被害を逸らす』をこっそりと唱えておく。その上で、自己紹介を何食わぬ顔でしてしまう。二人の食屍鬼は、コガとオガワと名乗った。


「彼女たちは、われらと同じ目的を持っています。すなわち、攫われた大切な同胞を救い出すことにあります。ゆえに、われわれの間には何も問題は生じ得ません」


「本当に『腐敗の姫君』なのか。では、また食べられるのか。あ、あの至高の肉が」


「ええ、実は姫君より四体の肉を賜りました。後ほど回収に向かいましょう」


 言っている内容がさらりと物騒なのはやはり食屍鬼だからだろうか。

 それとも人間の心を持ちながら、くだんの『肉』が食べられると知ったがゆえか。


「そ、そうだリーダー。今更ながら無事なのだな? いや、姫君をこの仮拠点へお連れするほどだから無事とわかるのだが。トミエと二人一組で、攫われた同胞の行方を探しに出かけ、彼女だけが傷だらけになって戻って来たときは本気で肝が冷えた」


「コガよ、心配をかけてすまなかった。それでトミエの傷の具合は?」

「手当ては一通り済ませてある。今は奥の仮眠室で安静にさせてはいるが……」


「ああ、じゃあその、トミエさんを治癒するところから始めよっか」


 わたしは彼らの会話に口を挟んだ。

 姫君扱いされているのだからこれくらい良いだろう。


「人間失格さんは部屋を案内して。コガさんとオガワさんは、例の肉が欲しいなら場所を彼から聞いて、今からでも行ったほうがいいよ。敵に回収される前にね」


 コガと名乗る食屍鬼に提案する。

 彼は人間失格さんとアイコンタクトをし、疎通を通して頷き合い、彼から場所を聞くとオガワと名乗る食屍鬼を伴って慌ただしく出かけて行った。


「では姫君。こちらへどうぞ。足元にお気をつけて」

「はーい」


 丁重にわたしたちは案内され、トミエと呼ばれる食屍鬼のいる部屋へ向かう。


 ときに、それはそうとして――、

 ここに棲まう食屍鬼に自分が必要という犬先輩の推理は、あまりに正鵠を射すぎて怖くなってくる。良司の潜入で情報を拾ったとはいえ、分析力が尋常ではない。


 トミエが眠る部屋は確かに仮眠室だった。


 がらんとした教室のような空間に、彼らの手作りなのだろう、簡素なベッドがダースで用意されていた。その内の入って左手の一番奥で、ときおり呻くような声を上げつつ横になっている小柄な――まるで女性体のような、食屍鬼の姿があった。


「トミ、私だ。傷の具合はどうだ」

「あなた……い、いえ、大丈夫です。これしきのことで。少し横になれば、すぐに」


「無理をするな。そして安心したまえ。『腐敗の姫君』が傷を癒してくれるぞ」

「えっ、あの姫君……が? こ、このような姿勢で失礼します。トミエと申します」


「その呼び名は黒歴史なんだけど。まあ、どーも、姫君です。じゃあ、傷を治すので身体を見せてくれる? 大丈夫、名前から心は女性だとわかる。わたしも、女だよ」


 起き上がろうとする半裸のトミエを、人間失格さんは優しく寝かしつけていた。

 ……ふむ、生前は夫婦か、恋人か、あるいは共に死ねるほど愛し合っていた愛人関係か。心中モノって、妙に心にざわつくロマン性を感じるのよね。


 血で汚れた包帯が『彼女』の手足と脇腹に巻かれている。身体的には性別はなく限りなく無性に思える。だがその心は、たぶん元々は女性の人間だったのだろう。


 わたしは、彼女の胸元に手を置いた。加減しつつ、治癒魔術をかけてやる。





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