第118話 隷属解放の乱事件 探索 その8

 さて、話を戻そう。寝袋に入れた人間を投棄しにきた、七人の女性たちだった。


 用向きを済ませ、遺跡より去る直前、リーダーの女性――わが母はひと言、


「これで安心してティンダロスへ逝ける。願わくばわが娘はこちらへ来ないように」


 と残したらしい。

 その言葉の意味を知るのは、生きるための必要に迫られ、後々の探索から得た情報収集によるものだったらしいが。


 ただ、それ以上に、当時の彼らにとって重要なものがあった。

 寝袋に入った、死にかけの人間である。


 人間失格さんらは去っていった女性らが戻ってこないことを確認した上で、恐る恐る寝袋に近づいた。そして、慎重に、ゆっくりと寝袋のジッパーを解いた。


 ぐずぐずに崩れた『人の姿をしていたモノ』が、入っていた。

 恐ろしいのはこのような状態でなお、この『モノ』は生きているということ。


 いや、幼女誘拐の変態どもには、意識はない。

 頭を割って確認したところ、大脳が委縮し、まるでアルツハイマーの症状を起こしたかのようになっていた。ただ生きているだけの廃人だった。


 さらに不思議なのは、もはや人の原型すら危ぶまれるほど腐敗しているのに、当然あるはずの腐敗臭がまったく感じないということだった。

 確かにきついニオイは発せられている。ただ、むしろ何重にも織りなす格調高い酸味が広がりつつあって、あえて例えるなら発酵臭と呼ばれるものに近かった。


 人間失格さんはこの『人の姿をしていたモノ』をこれ以上苦しめぬよう、三人の息の根を止めた。そして十一人の食屍鬼は、久方ぶりのまともな食事にありついた。


 ところがである。必要もないのに反語を入れてしまうほどの驚きが生じた。

 口にして、目の覚めるような味覚的衝撃が全身を巡ったのだった。


 ――旨い!!!


 絶妙な発酵肉が口の中で蕩け、優しく、頭を撫でてくれるような甘さまであった。

 十一人は無心に食べた。有り得ないほど旨かった! 

 

 どれほど経っただろうか、彼らは十一人は、三つの死体を完食していた。

 食屍鬼、面目躍如。そして、彼らは気づいた。自らについて。ニンゲンの心で。


 あるいは、この発酵肉は、禁断の知恵の実だったのかもしれない。


 遠くで狂気そのものの嘲笑が聞こえる。それはそれは、嬉しそうに、笑っていた。


 ――食屍鬼、怪物の身体に人の精神を戻す。山月記の李徴は挫折にて虎となり、獣そのものに変貌した。さて、世に馴染めず、狂った駄文を書き散らし、生活態度が悪いからと直木賞なるモノを取りはぐれ、さらに堕ちたる人間失格者はわが手駒を糧に人の精神を取り戻す。人間と人喰い虎。人も喰う怪物と人間。あは、あははははは。


 母たち女性陣はここに食屍鬼がいるのを知った上で、廃人を放置に来ていた。


 その廃人の正体はナイアルラトホテップの従者と呼ばれる、いわゆる混沌の信徒。


 人間失格さんは理解した。

 気まぐれな混沌の邪神の遊びに巻き込まれたのだと。

 あの発酵食品と化した狂信者は、ここに運び込まれるために、あえて何かコトを起こしたのだと。回りくどくもとんでもない、まさに邪神の所業。あきれた狂気。


 ただただ、怪物でありながら人の精神を取り戻させるためだけに。


 しかしそれはどうでもよかった。かの邪神の特性は、やたらと回りくどく、それでいて手段を択ばない度し難い性格をしているため、考えるだけ時間の無駄だった。


 しばらくして人間失格さんは仲間の変貌に気がついた。


 顔立ちが、人間染みてきていると。

 

 頭部は食屍鬼と化した際に委縮をしているため、髪の毛は逆立ってトサカのようになっていた。変貌を感じるのはあくまで記憶や付随する精神のみ。


 ただし、それでも顔立ちがしゅっと締まった容貌になる。


 これを正気と言っていいのか不明だが『ヒトとして』『自分というもの』を取り戻した影響で顔つきが変化したのだった。


 もちろん、これが喜ばしいというわけではない。当たり前だ。

 人間を喰って、心が人間に戻れただなんて。


 難儀だ、と人間失格さんは思った。本当に、難儀だ。彼は心の底から思った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る