第106話 隷属解放の乱事件 導入 その4
端的に書く。
わたしが榛名家の文書を読むために大阪に出てきたこの日から数えて三日前、彼女ら二人は謎の失踪を遂げてしまった。誘拐、拉致、そんなところだろう。
捜索のためにまず呼ばれたのは、榛名家と霧島家の仲を取り持てる道化少年、南條公平だった。彼はいずれ両家のどちらかに養子に行くことがほぼ確定していた。
さらにはこの道化少年、若干十六歳にして既にアメリカはマサチューセッツ州にある『本家』ミスカトニック大学にて、飛び級で量子力学と考古学の分野で博士号を取得してしまう頭脳チートだったというのもある。
少しだけ、話を脱線させよう。
彼が最近世間を、特に科学の分野と宗教の分野で混沌を巻き起こした論文がある。
『生命全般における魂の在り処、量子的数学証明』
端的に解説するならば、古来より生命に宿るとされる『魂』を、量子力学的見地から数学を用いて証明する論文だった。彼は最終的に、こう結論づけて終えている。
『人間には魂は存在しない』
われらが一族ではありふれた常識ではあれど、彼は簡明完璧な美しい数式による誰にも反論ができない超高度な説得力で、証明を成し遂げてしまったのだった。
この功績(?)により、科学界はともかく嘘がバレた宗教界のあらゆる分野から恐れと憎悪を集め、そうして叩きつけられた称号が、天才悪魔だったとつけ加えておく。
話を戻そう。
犬先輩の調査するところ、大阪のミナミ周辺ではこんな噂が広がっていた。
『地下鉄堺筋線の、動物園前駅から天下茶屋駅の間で、赤く光る眼の人影を見た』
『阪神高速一号環状線のえびす町入口からなんば出口にかけての高架下、深夜、冬なのに白く吐く息がまったく見えない不審なローブの集団が溜まっていることがある』
『鉄道歴史の長い南海電鉄の天下茶屋駅と、近年作られた大阪市営地下鉄堺筋線の天下茶屋駅の他に、もう一つ、謎の天下茶屋駅が地下深くに存在するらしい』
主だったものは、この三つだった。噂にしてはやけに具体的な内容のものもある。
けれどもそれは口伝えであったり、誰かのSNSやブログの都市伝説を扱ったコーナーであったり、突っ込んでしまえば社会的な人間関係の上で流動する曖昧な情報に過ぎず、結局は個人と個人の領域を抜けない信憑性に欠ける代物であった。
そうして次。噂ではなく公の、確固とした事件としての情報も入手した。
『ローブの不審人物らが、深夜、ミナミを中心に女性を誘拐している』
『監視カメラからの検証ではその複数の誘拐犯は同一の者と考えられている』
『彼ら誘拐犯が実力行使した現場には、なぜか妙に冷たく生臭い臭気が残る』
『カメラ映像を精査すると、彼らのフードの奥から緑に光る何かが動いていた』
大阪ミナミでの女性を狙った誘拐事件は、昔から良くある話ではあった。
だが、噂と事件を突き合わせると、妙な接点が見えてくるのは決して邪推ではないはず。ローブの怪人。特徴があり過ぎて却ってあり得ないような、そんな共通点。
「普通に考えれば、ローブの怪人とアユムちゃんとレンズちゃんとの関連性を疑いますよね。それにしてもこのナポリタン、美味しいですね」
「――うわっ。アンタっ、誰よっ?」
「ああ、彼なら五分くらい前からずっとお前さんの隣で飲み食いしてたで?」
「ドーモ。時雨環さん。
「アイエエッ。ニンジャッ? ニンジャナンデッ?」
「あはは。南條くんに雇われた興信所の者です。残念ながら忍者ではありませんよ」
業務内容はシノビそのものなんですけれどねぇーと、彼は屈託なく笑う。
鍛えられた鋼線のような長身の男だった。
歳は三十路過ぎの印象。髪は短髪で、左の頬には古い裂傷痕がある。
目つきは温厚なようで興信所の人間と聞いたせいだろうか、かなり油断ならない鋭さを感じた。いや、それよりも。一番の驚きはこちらに気配をまったく感じない点が挙げられる。パッシブでステルスなのである。この男、やはり忍者ではなかろうか。
「リョウジさんは南條家と似たような間柄や。すなわち、政治家や軍関係のな」
「あー。外の血を取り入れる契約で、代わりにわれわれの恩恵をあずかれるという」
「そういうことです。ちなみにうちの先祖は九鬼水軍の流れなんですよ」
「摂津三田? 丹波綾部?」
「分派の派生みたいなものですから、摂津丹波というよりは単なる末端支族ですね」
イヌガミ筋だけで血の交配を続けると、確かに純粋性は保てても遺伝子的には劣化するために、稀に取引にて外部の血を組み込むのだった。
この取引とは、すなわちイヌガミの加護を与える行為を指す。それは予知夢の類であったり未来視のような何かであったり、非情凶悪な
ちなみに人の命はアザトースの出演者として、大元にアザトースから延びる一本の繫がりで成り立っている。わかりにくいだろうか。要するに髪の毛より細いアザトースとの繫がりが、人の命なのである。この繋がりが切れるとき、人は死ぬ。それをティンダロスの側に、本数を増やして繋げ直してしまうのが命の残機性だった。
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