第97話 あっさりにして濃厚なウサギ鍋。ところによりアマゴの串焼き その3


 新しく家族となった狼への命名を終え、一仕事をこなした気持ちでダラダラする。


 震電は美琴が作るウサギ鍋に首ったけの様子で、咲子謹製の遠赤外線焼の串刺しアマゴもさることながら、伏せの状態で今か今かと涎を垂らしながら眺めている。


「うふふ……腹ペコちゃんだねぇ……」


 あまりにも熱い視線を受けて、夕飯を調理する美琴がクスクスと笑っている。


 とりとめもなく待っている内に食事の用意ができた。

 そして、もう絶対に食べるマンの意気込みで立ち上がる震電。尻尾がぶんぶんと揺れている。視線はウサギ鍋に集約だ。


「タマキよ、シンちゃんが夕飯に突撃せぬよう押さえてから餌入れを用意してくれ」


「震電だってば。シンちゃんって呼び続けたらそっちが本名だと思っちゃう」


 わたしは震電にお座りを命じた。

 すると、訓練などしていないにもかかわらず、ちゃんと命令に反応して犬の躾で最もポピュラーなお座りのポーズを取るのだった。

 永続性を持たせた支配の魔術効果である。この魔術を酷いと取るか、順当と取るかは人それぞれだろう。わたしはその間に愛犬ならぬ愛狼用に使う皿を用意する。


「肉の贄と、大量の魔力を黄衣の王に捧げた甲斐もあったねぇー」

「まあ、そうだな。お前の無茶苦茶ぶりには本当に度肝を抜かれるが」

「びっくりするようなことでも平気でやり遂げちゃうもん……」


 美琴と咲子は苦笑した。そして自分たちの椀と震電の餌皿に、綺麗に煮込まれたウサギ肉とセリ&クレソンをよそってくれる。


 獣の臭みのない、かぐわしい香り。

 嗅ぐだけで、わたしですら口から涎が溢れんばかりとなる。


 震電は自らの足元に置かれた皿に、もはや辛抱たまらんと鼻を鳴らしつつわたしを見上げた。アルファ(ボス)たるわたしの命令待ちである。


「さあ、頂きましょう……」

「うむ。食そうか」


 いただきます、と唱和する。

 が、初めに食べるのは人間のわたしたち三人だけだ。


 まずはスープを頂く。ほぼ同時に驚愕する。旨い。想像以上だ。


 あっさりとした食味でありながら、喉を過ぎるころには出汁に取ったウサギ骨の深い味わいが追いかけるように鼻腔をくすぐってくる。塩と胡椒だけで味付けしたとは思えないほどだった。思わず、ぐっとスープを飲み干してしまう。うん、旨い!


「ミコト、すっごい美味しいよ!」

「ああ、これは絶品だ。一流レストランのスープにも余裕で勝てそうだな」

「うふふ、ありがとうタマちゃん、咲子お姉ちゃん……っ」


 わたしは震電を見やる。


「震電。食べて良し」


 合図とともに彼はお座り状態から腰を上げ、ワッと餌皿に口を持っていく。


 秒殺。


 思わずわたしは、うおっ、と声を上げてしまった。

 餌皿の中身は手品のように、スパっと空っぽになったのだった。


「えっ、もう食べたの? 美味しいんだから、もっと味わえばいいのに」

「おかわり、入れたほうがいいかな……?」

「わたしたちの取り分が減るぅ」

「うふふ……」


 慈母のように優しい微笑みを湛えつつ、美琴は震電の皿におかわりを注いでやる。


 わたしは串焼きのアマゴを取り、串を抜いて次いで魚の尻尾を切除、身全体を箸で細かく押さえつつ背骨から肉を遊離、そして頭部付近の、いわゆる首周辺の皮を切り取ってするりと引っ張った。すると綺麗な骨抜きアマゴとなる。


 塩分の過剰摂取は良くないので、飾り塩のヒレも取り払うことにする。そうして二杯目のウサギ汁を腹に収めた震電の前に、骨抜き焼きアマゴを置いてやる。


「野生の狼だったのだから魚とか骨ごとでもイケそうだけどね。でも焼き魚は初めてだと思うし、念のためにね。だってわたしの可愛いわんこになったものね」


「タマキは優しいな。と言うか、わんこじゃなくて、狼な」

「タマちゃんタマちゃん、わたしにも、してぇ……」


 ちゃっかり甘えてくる美琴の焼きアマゴも丁寧に骨を抜いてやる。

 震電に与えたアマゴは、これも数秒で完食だった。まだ欲しいとふんふん鼻を鳴らして催促する始末である。


「震電はしばらくお預けね。わたしも食べたいし、お前は喰い過ぎると危ない」


 十キロ程度の体重で人間並みに食べるのはさすがに身体に悪いだろう。この子、昼間にもウサギの内臓を口にしているのだ。


 というわけで、しばらく待たせてこの子の満腹中枢に仕事をさせよう。


 わたしはスープを啜り、ウサギ肉を咀嚼した。

 ああ、旨い。

 焼きアマゴを串のまま横に食いちぎって食べる。

 ああ、旨い!

 セリとクレソンを口に掻き込む。

 ああ、旨い!!


 野趣あふれる食事に舌鼓を打つ。打ちまくる!


 涎を垂らしつつ、お座りのポーズのまま震電はじっとこちらを注視している。


「……お前、まだ食べて大丈夫? 本当にお腹壊すかもしれないよ?」


 わたしはあまりの熱い視線に耐えかねて震電に聞いてみた。人間の言葉はわからなくても、支配の影響である程度の意思は言語を介して緩く疎通されるのだった。


 震電は寝そべって腹を見せた。

 服従と、さらに加えて空腹のポーズであるらしかった。


「しょうがないにゃあー」


 わたしは新しい焼きアマゴの串を取って骨を抜き、餌皿に与えた。


 予想に違わず秒殺で彼の胃の中に納まってしまう。

 カッカッカッ、ごくん、である。


「この子、まるでどこかの掃除機みたいだねぇ……」

「変わらぬ吸引力ってヤツだな」

「……ダイソンかぁ」


 餓狼というには迫力が足りていない子狼の食欲旺盛さに、わたしたちは苦笑した。






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