第95話 あっさりにして濃厚なウサギ鍋。ところによりアマゴの串焼き その1

 拠点へ戻るまでが探索である。しかし単純に最短距離で帰るのは芸がない。


 そういう思惑の下、歩みを少しだけ大回りに変更したのだった。結果、途中で幸運にも松の木を発見できた。林の中にポツンとあったのだ。

 用意していた缶詰の空き缶に松脂を獲れるだけ採取してしまう。これで接着剤や松明のペースト燃料を作れるようになった。

 ついでに地面に落ちている松ぼっくりも回収する。咲子曰く、実の独特の形状とそこに含まれる油脂が、着火剤として非常に有用なのだそうな。


 帰着後、まずは何はともあれ火を熾す。火が熾れば次は湯を作る。


 珍しく美琴は咲子と水汲みに行くというので、火の番としてわたしは拠点の洞穴に残ることになった。支配の魔術が絶大に効いているらしく、うちの子=まだ名のないニホンオオカミの幼獣は、獣除けの匂いが漂うとされる洞穴でも平然とわたしにつき従っていた。ぴったりと寄り添ってきて、まるで甘えん坊である。


 そういえば、狼は人間の男に対しては異常に警戒を高めるが、人間の女性に対しては意外と友好的だと聞いた覚えがあった。


 群れで行動し執拗に獲物を狩る狼の狂暴性は、根本を鑑みればあくまで生きるためであって、人間の、特に男のように必要以上に動物を殺したりはしない。


 寓話などの狼の悪役ぶりは、そうすることによって『狼=害獣』として思い込みを与え、心理的に駆除しやすくする作為的悪意によって作り出されたのだった。


 事実これまでの人間男性の凶行で、どれほどの生き物が絶滅したか。


 そのような経緯もあり、狼たちの遺伝子には人間の男=近寄るだけも危険なバケモノと刷り込まれていったのだった。


 しばらく一人と一匹が火の前でまったりと親睦を深めていると、二人が水汲みから戻ってきた。罠魚籠にかかった魚も忘れず回収し、夕飯の食材は万端だった。


 さて、調理。脳内に例の三分間クッキングのテーマソングが流れる。


 ウサギは美琴の手によって綺麗に部位単位まで精肉にされ、今は骨を鍋で煮出してダシを取っていた。調味料は塩と胡椒とシンプル。それでも堪らないほどいい匂いがする。丁寧に灰汁を掬う美琴の所作は、美味しさを約束する安心感を伴っていた。


 咲子は前もって内臓を取り払ったアマゴを串刺しにしていた。今回はなぜかアマゴばかりが十匹も獲れていた。ヒレに飾り塩をつけて、焼成準備に余念がない。


 そうしてわたしは何をしているかというと、何もしていない。


 旧支配者たるアルデバランのハスターへ、贄を添えて陳情をかける際に大量消費した魔力の反動なのだろう、身体がだるくて仕方がない。そりゃあ世間一般の人々の魔力量の数千万倍も使えばね。とはいえ、食べて寝れば明日には全快するだろう。


 ともかく、何もする気が起こらないので二人に夕食の準備を丸投げである。


 竹のベッドでだらしなく横になり、わたしはすぐたもとで寝そべる名無しの狼くんの背をゆるゆると撫でていた。


 ちなみに彼を洞穴に入れる前に、予備のブラシで一張羅の毛皮を全身一通り梳いてやっていた。蚤や虱、ダニを生活空間に闖入させないためだった。


 しかし思いの外このニホンオオカミというものは清潔好きでもあるようで、毛並みにはほとんど虫類は飼っていないように見えた。ブラシ効果で毛並みに艶を出した彼は、調理風景に涎を垂らしながら、ときおり切なそうにこちらを見上げるのだった。


「うふふ。とってもいい匂いでしょう?」


 話しかけると彼は鼻をふんふんと鳴らして答えた。素直で可愛い。


「もう少し待てばお前にも分け前が来るよ。家族みんなで一つの釜の飯を喰うってね。でさ、家族のお前には、食事前に呼び名を付けてあげようと思うのよねー」


 わたしは、横たえたベッドでごろりと上を向いた。

 名前、名前、と口の中で呪文のように呟く。

 名づけは楽しいが、名づけられた方からすれば一生ものの問題となる。


「キラキラネームなんかつけたら、わたしのおバカがさらに加速するしなぁー」

「ほう、自己をちゃんと分析しているのだな」


「サキ姉ちゃん、自分で言う分にはいいけど人に言われると傷つくよそれぇ」

「ふふふ」


「もー。あ、そうだ。ミコトさ、レーベくんたちって、どうやって名づけたの?」

「……えっ? うん。あのね……」


 調理に集中していたらしい美琴は、間をおいて少し考えるようなそぶりを見せた。


 イヌガミとなる獣は、基本的に雄個体で、去勢したものを選ぶ。これには理由があり、種として残すつもりはなく、必要もないという意味が大きく含まれていた。


 なぜなら、核となるティンダロスの猟犬に寿命の概念は、存在しないから。


 ゆえに、イヌガミとして祀られた獣に宿し、降ろした先の獣が亡くなった後は使役者の大脳基底核に存在する、通称『魂の御座』に取り憑くのが通例になっている。


 そして、これを以って、真なる犬神憑きと称するのだった。


 以後は使役者のみが認識し、感じるだけの存在となる――わけではなく、ときに実体化し、ときに非実体化と、使い勝手の幅が大きく広がるまさに『猟犬』と化す。


 さらにこれまでの能力は持ち越しされ、猟犬の呪力も加算されてより強力になる。


 構図としては『イヌガミの使役者の魔力+猟犬の魔力』である。足し算ゆえの単純な上乗せなので、使役者本人の血の親和性による影響は変わらない。


 歴代の一族の中には、下手な神話生物など歯牙にもかけぬ魔人もいたという。

 となれば当然、その凄まじい力を欲する外部の人間が出てくるのだった。


 ただ、われわれ一族以外の、普通の人間がイヌガミを得んとすれば。

 それはまさに不幸。災難。悪夢。地獄。

 上手くいって即死、最悪なのは永く狂い苦しんだ上での死亡。

 本気でロクな目に遭わない。


 この世界の大半の『普通』の人間は、盲目白痴の眠れるアザトースの夢の出演者に過ぎない。彼らはいわば、アザトースを慰撫するために創られた、魂なき人形だ。そもそもティンダロスの住人の血を引くイヌガミ筋とは発祥の根本が違っていた。


 さて、それでは話を戻して名付けについて考えよう。





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