第94話 家族が増えるよ、やったね! その16
一般的に言われる時間と空間――時空と呼ばれる概念、わたしたち一族では事象変異と呼称する独特の概念を嗜むのが、イヌガミ筋の本質だった。
わかりずらい? まあ、そうなのよね。凄く、それには同意。
時間なんて存在しないのに、概念を定義づけるだなんて、狂ってるし。
事象変異の最小は十京分の一であり、この一枚一枚の事象が時空の厚みとなっているのだった。要するに『十京分の一秒』が時間の最小単位ってコト。
わかりにくいかもしれないのであえて例えを加えるに、アニメーションで表現するならセル画の一枚一枚の連なりが物語に動きを与えているようなもの。
当然ながらイヌガミたる猟犬を使役すれば、さらに精度は高まる。ただわたしの場合は、ティンダロスの呼び声がかかってしまうのでとても使えたものではない。
わたしは軽く呼吸を止め、吐く。
気合を入れて自身の体内魔力の循環をさらに高める。
「われ、すばるの大神に願いたもう――」
増幅の陣が掻き消えて、新たに印陣が構成される。
多重積層立体型の、半球体状をしている。
その基本となる陣形は、疑問符と音楽のヘ音記号を足したような形をしていた。
「すばる、肉の生贄、願い。陣と冬の夜。旧支配者、アルデバランのハスターか!」
「ここなる祭儀穴に肉の贄あり。御身に願いたもう。われは御身の偉大なる力を乞い欲す。かの小さき四つ足の畜生を、わが支配魔術にて永久の下僕にさせたまえ」
内臓肉を用意したので、次に使う支配魔術に永続性を付与してほしい、と旧支配者たるアルデバランのハスターに陳情しているのだった。
なので咲子の見識は大当たりとなる。わたしが昨年、焔神会の書物庫から無断で借りてきた魔導書の翻訳写本は二冊あった。名を、セラエノ断章と黄衣の王だった。
中身は、ひとつはセラエノ大図書館の石板の内容で――、
外なる神とその敵対者に関する秘密、旧き印、旧支配者クトゥグァの召喚法、ビヤーキーを操作する黄金の蜂蜜酒の作り方などが記されている。
もう一つは戯曲で、黄衣の王とはアルデバランに棲む旧支配者ハスターの化身を指していた。孤独な狂人、芸術家、詩人などに密かに信仰され、事実この黄衣の王の名を冠する戯曲はフランスの無名作家によって書かれた詩編から成り立っており、読めば狂気に苛まれ劇を上映しようものなら数々の災難に見舞われるという。
……もっとも自分を構成する一族と生まれのルーツに依るものか、別段、読んでも不具合は起きなかったけれど。
「……いあ、いあ、はすたあ! ……はすたあ、くふあやく、ぶるぐとむ、ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ。……あい! あい! はすたあ!」
数いる邪神群の中で、ハスターは肉の生贄さえ用意すれば比較的穏便に願いを叶えてくれる稀有な特性を持っていた。
ちなみに他の邪神などは、呼べば即死、狂気、災難がザラに降りかかる。
とはいえハスターとその教団は地球の公転位置関係上、北半球なら冬場が活動期となる。今は暦の上では秋であり、時期を外しているのは否めない。
ゆえに増幅の陣を構成し、通常ではありえない、世間一般人の保有量換算で数千万人規模の魔力を注ぎ込んでの儀式となった。わかりやすく言えば拝み倒しである。
「タマちゃん、凄いねぇ……」
「うむ……足りぬものを自らの魔力で無理やり補うとは」
一族の魔力量を器で例えれば、基本はバスタブ一杯の水量がそれにあたる。
咲子は血の親和性が特に低いため、洗面器一杯の水量が精々だ。
とはいえ世間一般の人々の魔力量はシングルショットグラス(三十ml)ほどもあれば御の字なので、相対的に見れば咲子も十分に人外クラスとなる。
美琴は次期宗家当主に選ばれるほどの少女である。
血の親和性は当然ながら高く、魔力の量も群を抜いているのは言うまでもない。
小中学校の、二十五メートルプールを満水にするほどの魔力量を保有するという。
そして、わたし。
母の特性をモロに遺伝した自分は、イヌガミを従えることすら危ぶまれる血の親和性を持つ。その魔力量は公式スポーツ競技に使われる五十メートルプールを満水にしてなお零れるほどらしい。なお、母レベルになると測定自体が不可能である。
頃合いを見計り、わたしはさらなる魔術を発動させる。
「魔術行使、永続作用、支配。かの狼をわが忠実なる下僕と定義づける」
一瞬、黄色い衣の人物がふわりと魔術対象の狼の前に舞い降りた。
神性の呪力を求めに応じて振るうため、顕現体の態をとって一時的にこの地に降臨なされたのだろう。
同時に、こう聞こえた。そのすぐ後に、かの顕現体は消えたのだが。
――まあ、これだけの魔力と肉を貰っては。今度からはちゃんと冬に呼ぶんやで?
今回の黄衣の王もフランクな性質をお持ちのようだ。まさかの似非関西弁である。
と同時に、この話し口を聞いた瞬間、同年代のとある少年を連想してしまった。
その彼の名は
この手記でも幾度かその名を書き込んでいるため、仮に読み手が存在するならば、もしかしたら記憶に留めている方もおられるかもしれない。
宗家直系の母親を持ち、しかし彼の母は一族として不幸にも血の適性が皆無であったため――わたしや母さんとは真逆の性質で、ごく稀に生まれる異端らしいのだが、そのせいで一族から隔絶された家に嫁がされていた。それが南條家だった。
しかし直系筋の少年である。近親家の榛名家か霧島家のどちらかに養子として迎えられる予定で、そうやって段階を経て、宗家へと舞い戻るとか、戻らないとか。
榛名と言えばあのおっかない榛名レンが思い浮かぶが、あの少年も、恐ろしいといえば恐ろしい。偉大なるハスターの顕現体と同列に見るのは不敬ではあるのだが。
そうするうちに、儀式は無事完了した。
贄となったシカの内臓はそっくりなくなっていた。
ついでにわたしの中で循環する魔力もごっそりと消費した感覚がある。
身体が重い。もう、何もかもが怖い。魔力の低下は気力の低下。
「むおおっ、身体がくっそダルい……っ」
「当然だ。多数の熟練魔導師が、それこそ数年単位で準備をして行なう儀式魔術を即時単独で強引に、魔力頼みで執り行なったのだ。常人にはあり得ぬことだぞ」
「タマちゃん、本当にお疲れさまだよ……」
ニホンオオカミと目が合った。くりくりとしたお目目である。
立ち上がり、わふ、と鳴いた。好意的な声色だった。
狼はブルブルと身体を震わせ、濡れた身体から水気を払った。ややあって、こちらに近寄ってくる。軽い足取りから負っていた怪我が完治しているのが見て取れる。
そして、わたしの太ももに鼻をやり――。
「いきなりそこを嗅ぐか。あ、こら、わんこだからってぺろぺろはダメだってば」
「いや、そいつはニホンオオカミだが……」
「そうだよ、ぺろぺろはわたしがするんだもん……っ」
跨ぐらに鼻を突っ込んでわたしのオンナノコの匂いを嗅いだのだ。これは犬種全般に共通するいわゆる挨拶であった。匂いを嗅いで覚えるのが犬種の特性だから。
まだ濡れているが、とりあえず頭を撫でてやる。
狼は気持ちよさそうに手に身体をすり寄せて尻尾を振った。
「ふむ、三万年にも及ぶ人と犬の関係を一瞬で事を成す……か」
額に滲んだ汗を払いながら咲子は言う。
「凄かったねぇ……」
感極まった顔で、美琴は気怠いわたしを支えるように腕を回してくる。
「ま、ともあれ完了だね。今日からこの子は、うちの子だよ」
「狼を捕まえて、うちの子と平然と言い放てるお前にはかなわんな」
「家族が増えるよ。やったねタエちゃん!」
「おいバカやめろ」
するっとネタを投下すると、待っていたかのように咲子のツッコミが入った。
野生の狼から飼い犬へとクラスチェンジしたニホンオオカミの幼獣は、上機嫌に、わふんっ、と鳴いた。
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