第88話 家族が増えるよ、やったね! その10

「次に腹を裂く。注意点が一つ。切り取った生殖器周辺から喉元まで刃を入れるのだが、最初はあまり腹部に刃を突き立てるな。膀胱や胆嚢を傷つけると大変だぞ」


「失敗したらおしっこと超苦いエキスにまみれるわけね。りょーかいっス」


「それと喉元まで裂いたらわたしが合図する。良し、と言ったらすぐに横に跳びのくのだ。こいつの腹部はわたしが手で抑えおく。飛ぶのは後ろではなく横に、だぞ」


「……なんで?」


「大迫力だからだ。初見でこいつを直視するのは、お前でもさすがにキツイ」

「……? わかったよ。横にだね、サキ姉ちゃん」


 言われたようにナイフを動かしていく。ラブレスナイフはよく切れて使いやすい。喉まで刃を通すと咲子が合図を送ってきた。わたしはひょいと横に飛びすさる。


 すると、一つ間をおいて。

 粘度を纏った、あるいはと言い換えられる質感の、水気をふんだんに吸ったスポンジがべしゃりと何重にも落ちたような擬音が地面から響くのだった。


「うひっ、これは確かに大迫力。内臓がドバドバ全部穴に落ちるとか、うっふふ。気の弱い人や小さい子どもがこんなの見たら、ショックでその日からおねしょしそう」


「お前の発想もどうかと思うが。あと、嬉しそうに笑うな」

「なんのなんの。これはオムツプレイ案件。耳元に恥辱的な言葉を囁いてあげるね」


「ドSか!」

「聞けばお金を出してまでそんな珍プレイを求める人もいるんだってさ」


「性癖の業が深すぎるわ! ともかく横隔膜を切れ。そうすれば内臓を分離できる」


「はーい。ってか、さすが草食動物。腸が超長げぇ。あ、これ駄洒落じゃないから」

「わかった、わかったから!」


 わたしは穴に落とされた腸部分を眺めつつ、黄味がかった白い膜状部分をナイフでするりと裂いた。いやあ、なんと表現すべきだろう。刺激的で心が躍る。


「初見でこんなに楽しそうに作業をするやつも珍しいぞ……」

「だってこいつ、わたしたちのありがたいご飯だよ。喜ばしいに決まってるじゃん」


 これでひとまず内臓を抜く作業は終わりである。

 あとは川で冷やし、一昼夜放置すればいい。そうすることで雑菌の繁殖温度帯を一気に抜け、腐敗速度を落とせるのだった。


「よし、では担ぐぞ。内臓を抜いて重さが半減したとはいえ、腰には気をつけよ」

「ういっス。気をつけていくよ、サキ姉ちゃん」


 咲子の選定で水に沈める場所は決められ、そこへ枝に縛り付けられたままの獲物をえっちらおっちら二人で担いでいく。

 ちなみに二人とも予め靴と靴下を脱ぎ、裸足になっている。川の水温は残暑の厳しさに反して想像以上に冷たい。慎重に獲物を川に沈める。


「枝をつっかい棒にして川底の岩に引っかかるようにする。さらに変に流れぬよう蔓で補強してその辺の岩に括りつける。これで豪雨でも降らぬ限り流されまい」


「オッケー。こっちもがっちり固めたよ」

「では、上がろうか」


 川から出てタオルで足を拭こう――として、考えを変えた。


「ついでに水浴びしておかない? 暑いのもあるけどわたしら相当につゆだくよ」

「汗だく、だろうが。だが、そうだな。ならば支流へ少し遡って水浴びするか」


「穴にぶちまけた内臓はどうするの? 何か別途に使えそうなサムシング?」

「どういう言葉遣いだ。まあいい、本来なら埋めてしまう。見た目がエグイというのもあるが、それ以上に腐敗が気になるからな。臭気が肉食獣を引き寄せかねないし」


「内臓、腐敗、臭気、獣か。んん? 内臓、生贄、拉致、洗脳、犬神……?」

「……物騒な単語がちらほら聞こえてくるのだが?」


 顎に手をやって考えるような態で咲子は言う。ややあって、さすが十年来の義姉と義妹のつきあいと言うべきか、なぜそのような質問をしてくるのか引っかかったらしくこちらをジッと見つめた。義妹たるわたしは少し肩をすくめて義姉に答える。


「予感っていうのかな、わかんないんだけど、あえてこのままにしておかない?」

「というと?」


「んー、それが本当に自分でもなんでこういう考えに至るのか、サキ姉ちゃんの言う通り始末してしまうのが一番だと思うんだけど。アレだよ、乙女の勘ってやつ」


「またふわっとした根拠だな。しかしこの度のミコトに課せられた試練を、主導して対処せんとするのは介添え人のお前だ。何かを感じたのだな? ならばやってみよ」


「うん、じゃあそのまま放置ってことで決定ね」


 わたしたちは川べりの岩を背に休んでいた美琴を迎えに行く。


「ミコト、立てる? 水浴びしよっか。かいた汗をさっぱりと落とそう」


 声をかけ手を差し出す。美琴はわたしの手を取り、ゆっくりと立ち上がった。


「……。よく考えたら、わたし、約束破っちゃった……」


 神妙な顔で目を伏せる彼女は、ついっと、こちらに身を寄せて言った。

 なぜだろうか、その瞬間、期待に胸を躍らせる感情を受けたような気がした。主にえっちぃ方面で。わけがわからなくて少し美琴が怖い。


「え、なんだったっけ……?」

「咲子お姉ちゃんが『良し』と言うまで黙ってないといけないのに、ショーツ変えてって『声を出して』お願いしちゃったの……」


「ああー。でもそれ、狩り終えてからだからノーカンでいいよ」

「えっ、そんな。お尻ぺんぺん、してくれないの……?」


「ノーカンだからしないよ?」

「じ、じゃあオムツプレイは……? つけたり、替えたり、してくれないの……?」


「なんかご褒美をねだる感じで言われるのはアレというか。えっ、ミコトってそういうのも好きな子なの? 想像だけど、たぶん、めっちゃ恥ずかしいよ?」


「タマちゃんが替えてくれるなら、わたしはね、うふふ、わたしはもうね……っ」


 ぎゅっと抱きつかれた。ひどく甘ったるい彼女の体臭がわたしの鼻をくすぐる。


「お、おう」


 この数日間で自分の中での美琴に対する認識が大幅に変わりそうである。


「暑いのに何をしている。行くぞ。いちゃつくなら水浴びのときにするがいい」


 諦念でも混じったような表情で咲子はわたしたちに促してきた。

 美琴が囁いた内容は咲子にも丸聞こえである。こんなものを耳にした日にはある種の悟りも開けようものだ。もしかしたら今一番咲子が仏さんに近いかもしれない。





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