第86話 家族が増えるよ、やったね! その9

「まあ、お察しの通りだよ。さて、ニホンジカの解体の前に、と」

「お、おい。ミコトにこれ以上は」

「さすがにヌルヌルだと後々アレだから、ハンカチで拭っておいてあげないと」


 岩を背もたれに満足気に脱力している美琴のスカートをめくり、体液で濡れた太ももをハンカチで拭ってやる。咲子は居づらそうに顔をそらしてくれた。

 と、そのとき。美琴はわたしの手を取り、股の内側へと誘ってきた。この娘は甘えん坊である。わたしに中も拭ってほしいらしい。


「すぐ傍が川だし、ショーツも洗っちゃう? ノーパンになるけど。……え、何?」


 ひそひそと美琴は口を開いたのでわたしは耳を寄せた。


「タマちゃんのショーツ、貸してぇ……」

「それだとわたしがノーパンになるじゃん。すーすーするじゃん」

「タ、タマキよ。そこが問題ではなくてだな、その、アレだ。いくら親友であっても人の履いていた下着を着用するのは、どうかと思わないのか?」


「ん? だって、チビの頃から服の全取り換えはわりとしょっちゅうしてるし」

「知ってはいるが――いや待て、まさか全取り換えとは下着も含まれているのか?」


「そうだよ? 今着ている制服だって、夏休み前に取り換えっこしてるし。身長とかさ、体格がほとんど変わらないからね。だからブラ以外は互換可能だよ」


「ブラ以外、か……」


「しみじみと言わないでよぉ。ミコトはこの夏は宗家に出ずっぱりになるから、緊張するから安心が欲しいって言うし、わたしの匂いを嗅いだら頑張れるって」


「いや、まあ、すまん。お前たちの仲を裂くつもりは微塵もないのでな……」


「それじゃあさ、ミコトのは洗ったらわたしが履くね。体温でそのうち乾くっしょ」

「……やはり履くのか。そういうものなのか。ああ、もう好きにしろ……」


 なぜか咲子はこめかみに手をやって唸ってしまうのだった。色々と解せない。


 わたしは美琴のショーツを脱がせてハンカチで内股を拭ってやり、それから自分のショーツを履かせてやった。続いて、ノーパン状態になったわたしはミコトのショーツを洗って履く。股を拭ったハンカチも忘れずに洗っておく。


「さて、血抜きだ。もう考えん。お前のせいで常識がニートになっておるわ。とっとと就職させよ。そしてバリバリ働かせよ。わたしは自分のために、常識枠を守るぞ」


「わかんないこと言ってないで獲物を川べりに持って行こうよ」

「まったく……」


 余談だが、その後、咲子は美琴に何やら叱られたのだそう。曰く、整えた道理を自らの見識で崩さないで、と。どういう意味なのか不明だが、そういうことらしい。


 シカの解体は血抜きから始まり、内臓を取り、その後は冷却の工程を必要とする。


 獲物を狩ったらすぐに血を抜かないと内臓がうっ血して臭くなる、というのはある意味では合っているが基本的にそれが主たる目的ではない。

 内臓もすぐに取り出すからだ。動物は死ねばその瞬間から内臓が腐っていく。なので早く取り出さないといけない。


 ただ、それを踏まえても一番大切なのは、冷やしである。


 肉が臭くなる原因は血が回るからではなく、雑菌が繁殖した腐敗からくる。なのでできるだけ早く菌の繁殖に適した温度帯を抜けてしまわねばならない。

 理想は氷点下で、狩りの現実で見れば――わが国の基本的狩猟期間は以前述べたように十一月から三月の冬の合間なので結構時間的な余裕があるといえよう。


 さて、さて。わたしたちの場合はどうするか。


「サキ姉ちゃん、指導、オナシャス!」

「うむ、万事任せよ」


 作業のためにまずシカの首と左前脚に突き刺さった矢を取り除く。次いで川べりにその頭部を突っ込ませ、頸動脈をナイフで切り裂く。

 これ以上苦しめぬよう一気にズバッとやる。鮮血が川の流れに噴出する。まだ生きているので湯気が立ちそうなほど血が温かい。


 そうだ。せっかくなのでここで話をあえて中座して、ある種の苦言を書きたい。


 この春の出来事だった。


 わたしは美琴と咲子とで、隣町にある桐生系列の巨大ショッピングモールへ遊びに行っていた。特に何かを買うわけでもなく、ウィンドウショッピングを楽しむのである。お昼には関西と関東では微妙に呼び方の変わる某ハンバーガー店へ寄っていた。


 ちょうど食事の時間帯だったので店内は込み合っていて、美琴に席の確保をお願いし、わたしと咲子は注文のために購買カウンターの列に並んでいた。

 その折、ハンバーガーと言えば肉、肉と言えば狩りという連想的繫がりで、猟友会の超高齢化と後継者不足の問題を咲子と交わしていたのを覚えている。


 するとそれを聞いていたのだろう、後ろに並んでいた大学生辺りの年かさのカップルがひそひそと囁き合うのだった。動物を銃で撃って殺して解体して、残酷だと。


 お前らはアホかと罵ってやりたい。

 何が残酷だ。頭に変な蟲でも湧いてるのか。

 そもそも、今、どこにいるのかわかっているのかと。


 ハンバーガーの中核たるひき肉は、牧畜で肉牛を育て、適齢期になると出荷、屠畜を経て食肉加工をし、食卓に届けられるのだ。

 猟で狩って、血抜きをして解体し、食べられる部位を腑分けして食卓に上げるのと結局はやっている内容は同じである。


 肉部位に分解されるまでの手間を、お金で賄っているに過ぎないのだ。


 牧畜と野生を狩るのは違う? 同じである。まったく、同じ、生き物である。

 残酷? 何も知らずに食い散らかしてしまうほうがよほど愚かしくも残酷だろう。


 そのような寝言を垂れるくらいなら、もう二度と肉を喰うなと言いたい。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る