第85話 家族が増えるよ、やったね! その8

 ニホンジカは明らかにこちらに意識を寄せていた。


 警戒している? 否、警戒はもちろんしているが、それ以上に困惑している様子を湛えていた。顔を上げ、鼻をヒクヒクと動かしている。耳が器用に左右を動いて、まるでレーダーでこちらを探るような感じでいる。


 それはそうだろう。


 この可能性世界では存在しなくなって久しいであろう人間――シカにとってすれば危険かどうかも判断つきかねる謎の何かが、あろうことか、発情させた雌のニオイらしきものを発散しているのだから。


 これは混乱する。もし、仮に発情した雄ならば『気が立っている=危険』と明確に判断できるのだろう。それが基本的に受け体質の雌ならば、さて、どうだろうか。


「ほら、あのシカはね、ミコトが発情した匂いを感じ取っているんだよ」


 わたしは美琴に頬ずりをする。熱の籠った彼女の肌は、吸いつくようにしっとりしている。抱かれたままの腕と手が、痙攣と共に彼女の秘部を明敏に刺激をかける。


「スカート越しとはいえ、そんなにぎゅっとわたしの腕を抱いちゃうんだ?」

「……」

「うん、喋っちゃダメだもんね。喋ったら……うふふふ」


 素人の手前味噌ではあれど、獲物をこちらに注目させる囮としての役目は十分に果たしている。それが証拠にシカは警戒はすれどそれ以上の行動は保留している。


 そのときだった。


 風を切る音が後からついてくる凄まじさで、二本の矢が同時にシカを射抜いた。


 首上部と、左前脚上部。

 両方とも深く突き刺さっているのがここからでもわかる。


 矢の反動に負け、のけぞるように獲物はその場に倒れた。

 脚部を狙うのは念を入れての足止めである。そしてもう一方の矢は本命で、脳からの神経束を的確に破壊し、首から下の運動能力を不随にしていた。


 つまりはほぼ生け捕り状態である。えげつないが最高の狩り方と言えよう。

 わたしはガッツポーズしようとして、思わず美琴の乳を鷲掴みにしてしまった。


「――ふっ、んんんっ」


 彼女は下半身を痙攣させ、いくつか置いて満足そうに表情緩めた。

 ハッとする。ああ……やってしまった。

 念のため彼女のスカートをぺらりとめくってみる。ショーツが透けるほど、股間が、濡れていた。羞恥心の籠った、雌の良い匂いがそこから立ち込めてくる。


「言葉責めでイきかけて、乳の鷲掴みでフィニッシュだなんて人生の上級者だね」


 獲物の確保に向かいたい。しかし脱力する美琴を放っておくわけにもいかない。

 わたしは彼女を横抱きに、通称、お姫様抱っこにしてしまう。

 クレソンをたっぷりと確保した、蔓のトートバックも忘れず持っていく。女のわたしが言うのも悔しい話、美琴はとても軽い。小走りで獲物へと向かう。


「やったな」

「やったね」


 わたしと咲子は矢を射られて虫の息のニホンジカを見下ろした。

 ヒャッハーッ! 新鮮な肉だぁっ!


「ところで二発同時撃ちとか、どうやってやったの? ダブルノッキングしたわけでもないんでしょ? そんなことしたら、リリース時にエネルギーが分散するし」


「そいつはたとえタマキであっても企業秘密だ、ふっふっふっ。いやまあ、コンパウンドボウを作成できればいらぬ無茶をせずに一射のみで済ませられるのだがな」


「サキ姉ちゃんってあの弓嫌いじゃなかったっけ? リカーブかベアだよね?」

「競技と実戦は別物だ。確実な一撃が必要になるならば、強い弓のほうが良かろう」


「コンパウンド……偏心滑車のついた、あの面倒くさそうな機構の弓かぁ」


「てこの原理を活用しているからな。本来なら人力では引けない強度の弦を人の身で引けるようにする。バネの性質も併せ持つため、引き切ると安定して狙い撃てる」


「最低でも滑車部分と接続部分は金属製でないと作れないよね……」

「うむ、ゆえに今回は二発撃ちとなったわけだ。確実に無力化へもっていくために」


 さすがは女性版ロビンフッドの異名を持つだけあって驚異的な腕前である。わたしは横抱きの美琴を川べりの岩に背中を預けさせようと腰を下ろす。


「ミコトは大丈夫か? 術式に疲れて寝ているわけではあるまい?」

「大丈夫。今は安定しているから」

「えらく満足そうな表情をしているのは……いや、知らない方が良さそうだ」


 よくお分かりのようで。うふふ。





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