第84話 家族が増えるよ、やったね! その7

 いた。あいつか。川の向かい縁にいる。距離は目算で五十メートル弱。

 綺麗な茶色の鹿の子模様。三又の立派な角。若くよく締まった立派な身体。


 咲子曰く、身体の模様は夏仕様であり、角の形と毛並みの美しさから推測するに歳は四、五歳。体重は四十キロはあるであろうオスのニホンジカ、とのことだった。


 そっと遠目で様子を窺う。


 獲物のシカは水を飲み終えてその場の草か何かをついばんでいた。樹皮を食べ、水を飲み、草をついばむ。まだこちらに気づいていないのか。


 いや、違う。あれは、間合いをきちんと認識しての行動だろう。


 再び咲子曰く、あのシカは広い視界と鋭敏な察知能力で、薄々であれすでにわたしたちの存在には気づいているとのこと。

 もっと厳密には、そこに何かがいるがそれが何なのかわからない、という制限上の気づきで、詳細な判別までは追いついていないらしい。


 狩りとは本来、狩れる狩れないの紙一重、ギリギリのせめぎあいだ。


 テレビなどで野生動物の生態番組を見たことはないだろうか。


 広大なサバンナで、明らかに草食獣の視界に肉食獣が入っているであろうにもかかわらず、その草食獣はのんびりと草を食んでいたりするシーンを。

 あれはちゃんと間合いを測ってのもので、緊迫と弛緩を綯い交ぜにした獣たちの駆け引きが、表向きにはのんびりとした光景を醸し出しているのだった。


 肉食獣が駆けて草食獣を襲えるのは、一瞬の隙を縫っての、本当に紙一重。


 さて、眼前にいるシカについて。

 これまでに語ったのはあくまで獣同士の話だった。


 人間は、まったくの、例外である。


 武器などの道具を作り、それを手に、必要とあれば徒党を組み、狙った獲物をどこまでも追う。その持久力と執念深さはあらゆる獣を凌駕する。


 この世界にはどうやら、そのような恐ろしい人間は、存在していないらしい。

 わたしたち、常に腹を減らし、野趣に満ち満ちた乙女たち以外は。


 用心深さこそ草食動物の本懐なれど、危険か否かの判断のつかないものにはごくわずかであれ、隙が生じる。いわんや間合いを取り損ねる。


 逃げるべきかを迷う、その一瞬こそ、狙い目。

 つまり、現時点で自分たちがあのシカを襲えば狩れる可能性は非常に高い。


 繰り返すが、人間とは道具を作り使用するだけでなく、必要ならば頭数を揃えて戦術を組み、的確かつ一方的、しかも執拗に襲いかかれる持久力と執念深さがある。


 咲子は腰を落とした体勢で獲物を見据えたままじりじりと後退し、まるで溶け込むようにわたしの陰に隠れた。そして草木の中へと音もなく埋没していった。


 なるほど、どうやらわたしたち二人は気配をあえて察知させる囮の役目らしい。

 ならば戦術上のその役目、きっちりとこなそうではないか。


 わたしは美琴へ目をやった。

 顔を赤らめた涙目で口を閉じ、恥じらいの限界寸前で辛うじて気持ちを留める彼女は大変性的に。うふふ、と口の端が自然と緩んでしまう。

 わたしは基本的に両性愛者だが、美少女は例外的に大好物だった。気に入った可愛い女の子をのは愉悦である。いわんや、美琴を可愛がるのは、役得だった。


「……まだ声を出しちゃ、ダメだからね?」


 耳元に、優しく、囁きかける。そして肩を組むように腕を通し、そっと体勢を変えて彼女の背後へと身体を移動させて密着する。

 未だ残暑の厳しい午前中、見上げれば雲の一つもない異常な青空の下、平地林の真っただ中で腰を下ろし、獲物を見据え、少女が二人。


「んっ、んん……っ」

「だーめ、声を出しちゃダメだから、ね?」


 わたしは空いた手で美琴の胸にそっと触れ、乳首の周辺を人差し指でするするとなぞっている。彼女に抱かれたままの腕は、動かさない。そっちは放置である。


「こうやって恥じらうミコトは、いつに増して可愛いよ。うふふ……」


 囁きながら首筋に舌を這わせる。汗の良い塩味がする。

 サディスティックな悦びを添えて、静かに、柔らかく、念入りに。美琴は身体をビクンッと痙攣させた。軽く想いが達してしまったようだ。


 わたしは、彼女の口を、胸をいじっていた手で軽くふさいだ。


「先にお仕置きの方法を教えておこうかな。聞きたい? 聞きたいよね?」


 涙目の美琴は、それでもこのわたしのセリフを聞くなり、期待に満ち満ちた目つきで虹彩にハートマークを添えた。もはや考えることは桃色世界で一色である。


「まずわたしの膝に腹ばいにさせるでしょう? それからスカートをめくってショーツを下ろして、お尻をむき出しにするの。うふふふ、もうわかるよね。悪い子への定番、お尻ぺんぺんだよ。サキ姉ちゃんにもよーく見てもらいましょうね。それで『言うこと聞かなくて、ごめんなさいタマキお姉ちゃん』って懇願するの。もう十七にもなる女の子が叱られて、お尻ぺんぺんされるだなんて。わあ、恥ずかしい。うふふ」


 美琴は返事の代わりに、身体をビクンッと痙攣させた。

 そして、ぎゅっとより身を寄せてくる。

 彼女は求めている。わたしのサディスティックなお仕置きを。


「だけど、ただお尻を叩くだけだなんて、ちょっと面白くないよね?」


 なのでもっともっと彼女が求める言葉を添えてあげる。

 所詮はサド役は、マゾ役の快楽を提供する奴隷に過ぎない。


「もう少し下、そう、オンナノコの周辺を叩こうかな。知ってる? 股の周辺には神経がとっても集中しているんだけど、だったらお尻を叩く衝撃は、どこへ伝えられていくと思う? それはね、子宮の奥まで、恥ずかしい想いが届くんだよ?」


 実のところ囁く自分も、羞恥で窒息しそうである。が、これも計画の代償と考えておく。わたしがこんなところで、考えもなく言葉責めプレイなどするわけがない。


 おそらく美琴は幼児の如く尻を叩かれて叱られる風景を想像しているのだろう。顔を真っ赤に染めて想いに浸っている。またビクンと身体が。ああ、悦んでいる。


 わたしはそんなマゾ気質の彼女にほくそ笑み、狙う獲物を目を細めて見つめる。





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