第81話 家族が増えるよ、やったね! その4

 美琴の能力は一度発動してしまえばわたしには影響が来ない。現在、彼女は二つの探索視覚と、足元の視覚の三つの画像処理に頭脳をフルに使っている。

 なので歩くくらいはできても、本体としての防衛・防御はほぼ皆無と考えて間違いない。わたしが、この娘を、守らねば。


 ゆるゆると南西方向へわたしたち三人は足を向ける。


 イヌガミを斥候に使っているとはいえ、わたしと咲子も気を張って周囲に警戒しているのは言うまでもない。


 とはいえ、林から漂うのは、平穏そのものだった。


 高い木々の隙間から覗く、ありえないほどの青い空。

 額を流れる汗が一筋。

 夏の残滓をむさぼるセミどもの鳴き声。

 どこかで囀る小鳥たち。大型動物はチラとも姿を見せず、その気配もない。


「今のところ、何もおかしいものは発見してないよ……」


 美琴の報告である。彼女は繋ぐ手をこちらの腕に絡め直し、身体を密着させ、しかも肩口に顔を添えてきた。勝手に命名するならそれは、アツアツの恋人歩きである。


 というよりも、普通に暑い。


 九月に入ってもまだ初旬で、熱気そのものは秋の気配など微塵も感じさせない強圧ぶりを発揮している。しかし呪術者の美琴がこうすることでより安定して能力行使できるというのなら、甘んじてされるがままにすべきなのだろう。


「あっ……」

「ん、何か、見つけた?」


「わたしたちから見て二十時の方向、距離は百。シカが木の皮を食べてる……」


 他愛もない報告。そのシカはいずれ狩ってわが胃袋に収めてやろう。

 わたしたち三人は、慎重に、南西方向へ移動していく。


 その後、美琴の報告もなく歩は順調に進み、林の中ゆえの足場の悪さに少々気を遣う程度で何ごともなく当麻寺の傍にまでたどり着いてしまった。


 なんだ、この、拍子抜け具合は……。


「寺の裏門から侵入するね……」


 未だわたしとの恋人歩きを続ける美琴が報告をする。


「道に当たる部分は草ぼうぼうで、手入れされた様子がない……。金堂の土台の石垣が崩れている……。ずいぶん長い間、誰の手も触れないまま放置……。でも建物自体は、天井は瓦の重みに負けて崩れている部分もあるけれど、風通しの良い木造物のせいか全体はちゃんと保っているみたい……。他の、講堂とかも同じ、かな……?」


 イヌガミから得た情報は、次々と蓄積されていく。


「昔の建物は、今の建物に比べて強いんだね……。三重塔は西塔も東塔もちゃんと形を保ったままだよ……危ないから近寄らないほうがいいと思うけれど……。あっ、なんていうのかな、お坊さんの居住区跡みたいなところが……。ぼろぼろの板間に、なんだろうこれ、薄い木の板を繋いだような、ああこれ、木簡かな……? うわあ、読めない……。辛うじて字が残っているのに、達筆すぎて何だかわからない……」


「サキ姉ちゃん、これって」


「ああ、日本では木簡は七世紀後半から十世紀にかけて使われていた。もちろん当時の高級品たる紙の使用は、いくら寺社とはいえ普段使いに際し早々に木簡から紙に移行するとは考えにくい。場所は取るが、保存の信頼性は木簡のほうが秀でている」


「じゃあミコトが発見した木簡が仮に十世紀の物として、ええと、平安時代か」


「うむ……平たく言えば、千と百年は放置されていたことになる。それでも崩れずに寺の形を保っている自体が驚異ではあるが、当時の人間が丹精込めて建てた証左と考えれば不自然さはない。ミコトよ、聞こえるか。建物はそれで良いとして、人を代表とする知能を持つ存在は確認できないか。お前が見たままの風景で、廃墟なのか」


「サキ姉ちゃん、今のミコトとの会話は不可能。一方通行だよ。イヌガミが送信する脳内の画像処理に注力していて、報告はできても、受け答えの余裕はないよ」

「む、そうだったな。これはしたり」


 しかし美琴は呪術者としても情報処理能力者としても優秀だったようだ。なるほど三体ものイヌガミを使役できるだけあって、ちゃんと答えが、返ってきた。おそらくイヌガミの使役精度を三体分、ほんの少しずつ下げたのだと推測される。





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