第62話 インターミッション その5

「もう大丈夫。連絡をくれたから速攻で助けに来たよ」


 抱き寄せたまま、わたしは彼女の手の粘着テープも外してやる。

 すると彼女は、そのまま両腕をわたしにしっかと回して、安心からか、今度は本格的に泣き出した。ぽんぽんと優しく背中を叩ていやる。足のテープも外してやる。


「男なんて、大っ嫌い……っ。大っ嫌いなんだから……っ」

「うん、うん。そうだね。大嫌いだねー」


 現状からしても言わんとする気持ちはわかるので、否定しない。


「タマちゃん、大好き……っ」

「うん、わたしもミコトのこと、大好きだよ」


 幼少時からの大切な友人である。嫌いなはずがない。


「将来、格好良くて可愛くて頼りになるタマちゃんと一緒になりたいよぉ……」

「う、うん? いつもミコトの傍にいるよ?」


 なんだろうこれは。将来とはどういう意味なのか。わたしは小首を傾げる。


「キス、して……」

「あ、うん。もちろんいいよ」


 ちらと担任の様子を見る。

 蹲っていた鈴子ちゃん(三十五歳未婚)は桐生和弥の痴態に気を取られていた。


 わたしは美琴の頬にキスをしようとした。美琴はすっと顔を持ち上げてこちらの唇を吸った。そうして耳元で、愛しいわたしだけの英雄さん。と囁いた。


 ああ、そういう意味で、わたしと一緒になりたいのね。


 その後の処理は想像以上に粛々と行なわれた。美琴の救出のためにわたしたちが暴れたことですら、状況を織り込んで情報操作がなされたと言うべきか。


 さすがは桐生である。文化祭で外部の人間が来ているにもかかわらず、あまりに鮮やかな手管を前にしては呆れも怒りも通り過ぎて逆に感心する。


 現場に最初に現れたのは、意外にも校長と教頭だった。

 事情を説明する。証人に担任を立てる。


 三教師は失禁したまま失神している桐生和弥を見下ろした。


 そして部屋の隅で床に座ったままの美琴を見た。

 校長は教頭と仲良く禿げ頭を抱え、そうしてどこかに連絡を取った。


 しばらくして救急車と救急ヘリが一台ずつやってきた。


 奈良県のお隣の、大阪府千早赤阪村にある桐生先端医療大学病院、別名ミスカトニック大学病院が独自に抱える特殊車両だった。消防庁舎から来たのではない、というのがポイントである。なるほど、確かにこうすれば隠ぺいはしやすそうだ。


 急病人扱いで病院へ搬送させる。しかも自前の緊急車両で。実際あの変態は失神しているので、そう装えば事情を知らぬ者にはいかにも病人然として映るだろう。


 将来のある学園生徒、白露美琴は救急ヘリへ。

 顔を隠して担架に寝かせ、人目を避けて学園の屋上にある非常用ヘリポートから飛び立った。強引に、わたしも同伴する。


 将来の終わった学園臨時教師、桐生和弥は失神したまま救急車へと乗せられる。ストレッチャーに寝かされ、急病人然として衆目に晒されながら、生徒通用門から粛々と出て行く。こちらは咲子が同伴した。どうせすぐ警察で事情聴取である。


 釈明のないほどの強姦未遂事件。教師が思い余って女子生徒を襲う。


 鍵をかけた部屋、粘着テープで身体の自由を奪われた少女、ベルトを外しズボンを降ろしていたのは行為に至ろうとした証左。取り繕うにも覆せない犯罪への意志。


 しかし事件そのものは、表向きは文化祭での急病人扱いのまま示談の形で隠蔽されてしまう。学園を含めた桐生側の事情はもちろん、わたしたちの一族としても将来の宗家当主が強姦未遂犯罪に巻き込まれたなど、あってはならないためだった。


 互いの一族の慎重な協議の上、適切な偽装シナリオが作られ、事件そのものをなかったことにする。


 基本的なこちらの要望は桐生和弥を学園から退職させることと、彼を少なくとも関西圏には足を踏み入れさせないこと、桐生一族から彼を追放すること、だった。


 桐生側はこの条件を飲み、莫大な慰謝料と共に当事件は収束に至った。


 それにしても緊急通報装置を美琴に持たせておいて本当に良かったと思う。小学生などがよく親から持たされている防犯ブザーの上位版である。

 これを常にポケットに忍ばせておき、非常時にはわたしへ連絡を飛ばすのだ。あれがなければ今頃どうなっていたか。


 初めに言ったように、イヌガミの力を使えば未然防止ができるはずが、事案レベルでようやく防ぐに至ったのは明らかにわたしの失態だった。


 あの変態が行動決起する確率は、様々な悪条件の重なった上でのハレの日を換算しても二十パーセント弱だった。これを高いか低いかの判断は人それぞれだろう。しかし現実に事案が起きてしまえば話は別となる。確率の高低は言い訳にならない。


 事情を知らぬ者には、何を天気予報染みた迷いごとを言うかと揶揄されそうだ。

 しかし、である。

 実は、これは宗家のイヌガミを用いての、危険度予測なのだった。


 人間が独自に持つ時間概念的で表現すれば、未来視とも言う。


 それは量子力学の観測における収縮確率とほぼ同じ立ち位置で、波動関数に従った空間的広がりと、観測による一点収束、収束の確率は確率解釈に依存した。

 これをコペンハーゲン解釈と数学世界で言われているが、詳しくは量子力学の書籍を参照にしてほしい。ここで解説すると、手記が量子力学で埋まってしまう。


 ともかく今回の事件は、その二十パーセント弱をのが原因だった。





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