第61話 インターミッション その4

 事件が起きた。

 わたしのスマホに緊急時設定された着信メロディが鳴ったのだ。


 近々メジャー化が噂されるインディーズバンド『D'ARK+ダルク・プログレス』が奏でる『迫ル危機ニ皇女ハ成ス術モ無ク』だった。超絶ギターと歌唱力のシンフォニックメタルだ。


 咄嗟に周囲を見回した。

 美琴がいない。休憩に行ったわけでもない。

 もし行くのなら必ずわたしを誘うから。

 どうなった。彼女はどこに消えた? 

 こうしては、いられない!


 わたしは持ち場をかなぐり捨てて駆け出した。

 背後から突然の行動に驚くクラスメイトの声を受ける。

 だが、そんなものはどうでもいい。無視だ。


 途中、担任教師の鈴子ちゃん(三十五歳未婚)を見かけたので強引に腕を取り、事情を簡潔に説明して同行させる。美琴の身に危険が迫っている、と。


 同じく駆けていた咲子と合流する。この頃は知らなかったが、彼女の緊急指定着信メロディは美琴にではなくわたしのスマートフォンと連動するようになっていた。


 走りながらGPSを地図縮尺の最大にして調べる。


 マーカーは学舎の北西部を指していた。四階構造だが一発で美琴の居場所が分かった。三階の、音楽室。その準備室だった。


 わたしは咲子と息を合わせて音楽準備室の扉を体当たりを咬ます。

 確かめるまでもなく、どうせ鍵はかかっている。


 扉は、軽量の少女とはいえ勢いと腰の入ったダブルタックルで吹き飛んだ。

 ひいっと顔を歪める担任の鈴子ちゃん(三十五歳未婚)。

 さらに奥、教諭分室を蹴り飛ばして開け放つ。

 間を置かず三人が部屋へ突入する。


 果たして美琴は――、

 桐生和弥に粘着テープで口と手と足を封じられ、床に転がされていた。


 不幸中の幸いか、彼女の制服に特に目立つ乱れはなかった。当然の抵抗をして、少しばかり床の埃を吸った程度のように見えた。


 桐生和弥にとっては、まさかの闖入者なのだろう。


 ベルトを外し、ズボンを降ろしかけた姿で固まっていた。それはまさに強姦寸前の態ではあれど、ある種の滑稽さを感じさせるものだった。

 彼は怒りと悄然を綯い交ぜにしたような目つきでこちらを見、慌ててズボンを上げ、ベルトはそのままに弾けるようにこちらへ向かってくる。


 もはやパニック状態の担任の鈴子ちゃん(三十五歳未婚)はその場で蹲ってしまう。


 担任は事後処理の証人として連れてきただけで、別に物理的な戦力としては数えていない。変にこちらにしがみつかれなかっただけも良しとする。


 わたしは担任から腕を放し、半歩、すり足で性犯罪者の桐生和弥の突進から軸をずらした。彼はこちらに体当たりの後、逃走しようとする意図を感じ取ったためだ。


 迫るタイミングを見定めて彼の右手首を添えるように取る。グッと下方へ力のベクトルを逃がすように腕を下げる――ように見せかけて、腰を据えたわたしの体重を彼の細腕に上乗せする。重心移動。されば、あっさりと彼自身の重心が狂わされる。


 ぐるりと桐生和弥は前方へ半回転する。

 ずだんっ、とリノリウム床にしたたか叩きつけられる彼の背中。


 おそらく、わずかとはいえ衝撃で呼吸が止まったはずだった。

 呼吸が狂えば、運動能力も同時に封じられる。


 しかしそれでなお、仰向けから起き上がり、背を向けて逃げようとする。


 わたしは彼の尻を蹴飛ばしてうつ伏せに突き転ばせる。


 無言のまま奴の右腕を取り、全体重を使って捻り上げ、肩の関節をもぐ。

 ごきりと骨の軋む小気味よい音が。悶絶する豚のような声を聞く。


 間髪を入れず左腕を取る。一気に捻り上げて肩関節をもぐ。

 止めに奴の背中にわたしは馬乗りになり、同時に首に腕を回して締め上げる。


 阿賀野流戦国太刀組打術、大蛇落とし。


 これを伏せた状態で極める。顎の下に腕が入っているので逃げられない。


「ほら、こうやって力を込めると身体が震えるでしょう。勃起しそうでしょう。イッちゃいそうでしょう。呼吸ができなくて、頸動脈も絞められて、落ちるのは……っ」


 自分でも驚くほど低い声で耳に囁きかける。

 あくまで平常心で、優しく、彼の耳に口を寄せて近い未来を指定してあげる。


 素人の見た目では、単に身体を押さえつける一環で首に手を回してようにも見える。だが、わたしは本気で殺すつもりで首に腕をかけていた。


 とはいえ、もちろん女の細腕では彼の首をへし折るなどできない。

 それでも桐生和弥は、間もなく失神した。


「おっとと。ああ、こいつ。やりやがったなぁー」


 気を失うと同時に彼の股間から大量の尿があふれてきた。失禁である。

 慌ててわたしは立ち上がった。あやうく濡れるところだった。

 そして咲子と頷きあって、彼をうつ伏せから仰向けに向きを変えた。


「サキ姉ちゃん、その変態の恥ずかしい姿を何枚か写真に収めといて」

「うむ。ネットに拡散か? ならば一族のクラウドを使って保存しよう」

「保険だからね。刑罰に依らずこの変態を確実に社会から抹殺するための」


 写真撮影は義姉に任せてわたしは美琴のもとへ行き、口の粘着テープを外してやる。彼女は恐怖で涙を溢れさせていた。そっと自前のハンカチで、目元を拭ってやる。その後、ゆっくりと、もう大丈夫だよと彼女を優しく抱きしめてあげる。





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