第32話 隠し砦の三少女 その8

「うん、やってみる……っ」


 わたしの提案に頷く美琴。やおら、彼女の纏う緩くふんわりした雰囲気が、まるで研ぎ澄まされた刃のように鋭く収縮する。と、ほぼ同時に、ヒノキの根元がレンズ状の空間歪曲を始め、膨張、破裂してしまう。要は、空間ごと切断したのだった。


 空間は切られても、一定量のエネルギーで阻害しない限りすぐに癒着する。それはそういうものなのだった。しかし、単なる物体であるヒノキはそうはいかない。


 切断されたそれは、ずるりと弧を書いて、ゆっくりと前方に倒れていく。高く伸びた胴を地面に叩きつけ、びぃんと軽妙な音で小さくバウンドする。


 一工程終了。いつの間にか美琴の胸に抱かれていたイヌガミのレーベレヒトは、彼女の腕から這い出して地面に降り、ヒノキの上に立つ。


 彼は、その口から舌らしきものを、まるでしなう鞭のように、伸ばした。


 人間の根源的恐怖と嫌悪を煽る、毒々しい緑の蛍光色。

 異様に長い、舌のようなモノ。酷い刺激を伴った悪臭が鼻を突く。

 強酸の汚物ゲロを直に嗅いでしまったかのような。


 異形だった。フェレットの姿をしたイヌガミの本質が一部だけ垣間見えている。


 は、ヒノキの胴に、、突き刺した。


 見るうちに木の表面は瑞々しさを無くし、あっという間に全体が枯れてゆく。まるで異形の周りだけ極端な害意に満ちた早送り映像でも見るようだ。


「……ふっ、んんっ」


 嫌が上でも声が漏れる。あろうことか、歓喜だった。

 わたしと美琴の二人が、同時に。

 特に、悦びはわたしのほうが強烈に影響を及ぼしている。

 喘ぐ声の大きさが美琴のそれと段違いだった。


 鏡がないので確認できないし、また、確認するつもりもない。

 今のわたしは狂気にかどわかされた、誰にも見せてはならないほど上気恍惚とした表情をしているはずだった。ナニとは言わないが、イッた直後のように。


 愉悦なのである。われらが王に、呼ばれているのである。

 下腹が熱く淫らに蠢く。手が自然と下へと向かう。


 母から聞いてはいたが、よもやここまで鮮烈に身体が反応するとは思わなかった。


 神話技能に長けた者、闇の淵を歩く者、魔術師や魔導師、邪神を祀る狂信者。

 彼らは一様に、わたしたちのイヌガミを見て、恐怖と嫌悪と畏怖に顔を引きつらせながら、こう、口にするだろう。


 曰く、始めからの不浄。ティンダロスの猟犬、と。


 わたしたちの一族は、この危険極まる異形を、イヌガミと称して使役する。

 通常なら大量の魔力を消費して、力ずくでねじ伏せて扱う妖獣である。


 しかしわれらが一族はそのような無作法を必要としなかった。

 咲子が少し前に口にしていただろう。自分は住人の血の親和性が少々薄いと。


 われらが祖に当たる存在は、歴代を始まりまで遡ればティンダロスの住人だった。


 人間の概念で言う尖った時間を生きる、虚数空間に建つ奥深き狂気の都、そこに生きる者。イヌガミ筋のオリジンの住まう、曲線の時間に敵対せし異形の者ども。


 その住人の血を定量持つ一族の者。つまりわれわれイヌガミ筋の一族は、古来より儀式を通し、ティンダロスの猟犬――イヌガミを従えてきた。





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