森の主の勘違い
だいぶ前――はじめて森でのお茶会をやったあたりから、メルがなにかに思い悩む素振りをみせてるのは気づいてた。本人は隠してるつもりみたいだったから、見ないふりをしてたけど、メルはすぐに顔に出るから……
ただ、この半月。彼女は憂鬱そうな顔で考え込んでは『やめやめ!』と言わんばかりに頭を振り、そのあとでぼんやりと俺の行動を目で追ってはため息を吐く。正直、気になって仕方ない。
なにせ、あの食いしん坊なメルが、クッキーを咀嚼しながらしょんぼりと肩を落としてるんだ。これは、かなりな重症。
とうとう俺は、彼女を悩ませるなにかを聞き出そうと口を開いた。
「……メル」
「どうしたの?」
「もしかして、お腹でも痛い?」
「……なぜに?」
――ほんとになっ!!
自分でも、なんでそんなアホな言葉が口から飛び出したのか、理解に苦しむ。とはいえ、口から出てしまった言葉を取り消すことも出来なくて、心配してるような言葉を取り繕いつつ薬の引き出しに手を伸ばす。
「とりあえず、お腹は痛くないからお薬は要りません」
「ふむ……なら、悩み事とか?」
――言った!
今度はちゃんと言えた!
腹痛じゃなくて悩み事だと勢い込んで同意したメルは、だけど、相談に乗りたいと伝えた途端に気まず気な表情になって考え込んでしまう。
――俺に相談できないような内容ってこと……?
俺に想像できる、メルの悩みは……朝昼晩に何を食べるかか、難航してる魔法具作り。さすがに食事のことを四六時中考えてるわけもないから、魔法具の方だと思ってたけど違ったらしい。
――色気より食い気の典型みたいな子だし、色恋絡みってことはないだろうし……
時折交じる秋波もどきの視線だって、クッキーを一枚口に放り込むと消えてしまう、残念仕様な女の子。ソレがメルだ。
秋波的なものではなく、空腹を訴える視線だと気づいたのは拾ってすぐの話だっけ。
並んで火に当たれるようにと暖炉の前に移動した長椅子の左端に腰掛けて、どう相談するかを悩むメル。反対の端に座って頬杖をつきながら、彼女の横顔を、月色の髪が炎に照らされて赤く染まる姿に目を細めた。
――ずっと、こうしてられたらいいのに。
結びそこねてこぼれた髪が一筋、俯いた拍子に頬に掛かるのを耳にかけてやっても、彼女は気にも留めない。ちょこちょこ、髪を洗ってやったりしてるうちに慣れてしまったんだろう。
――無防備に見えて、案外ガードは固いんだけどな。
それだけ俺に気を許してくれてるってことで、それがとても――とても、嬉しい。
「その……ね――」
やっとメルの口から出た悩みごとは、まさかの市井での恋愛事情について。
「この森を出た後に、私も、その。恋をするかもしれないでしょう? 貴族だと、令嬢側にはあまり選択肢がないけど、庶民の場合はどうなんだろうと思って……その、ね。やっぱり、男性側からしか好意を伝えちゃいけないとかの暗黙の了解があったりするのかな?」
思いもしなかった問いを早口に話しつつ、メルは更に爆弾を落とす。
「女性の方から好意を伝えたりするのは、やっぱり、はしたないって思われちゃうのかな……?」
――『思われちゃう』って、誰に?
頬に落ちた髪を耳にかけるメルの頬が、分かりやすく赤く染まる。
――想い人が、居るってこと……?
それはきっと、
そいつのことは『ただただ迷惑だった』とずっと言ってたし、俺の外見がそいつと全く似ていないことからも、彼女の言葉が嘘じゃないことがよく分かる。
――相手が庶民で諦めてた、とか?
らしくないとは言っても、メルは正真正銘の貴族のご令嬢で、だから諦めたのかもしれない。そうでなくとも、学園に入ってすぐに婚約が決まってしまったんだから諦めざるを得なかっただろう。
少し先行きが見えはじめて、その男のことを考える余裕が出来たのかもしれない。
――好意の伝え方なんて、俺も知らないよ。
遠すぎる昔のことだけど、呪いの森に囚われる前の俺には妻がいたはずだ。彼女との縁がどこであったのかまでは覚えていないけれど、親を通して婚約を結んだ。
――記憶にないけど、なんで妻を呪いの森になんて捨てたんだろう?
愛の言葉を捧げた記憶はないから、妻とは心が通じてなかったのかもしれない。自分もやったらしいけれど、女の子を森に捨てるなんてよく出来たものだと、一周回って感心してしまう。それとも、そんな罰を与えなきゃいけないような、おかしな女性だったんだろうか?
どんな相手だったにせよ、よく、そんなひどいことができたと思う。男だろうが女だろうが、身一つで森に放り出すだなんて死ねと言っているようなものなのに。いっそのこと、首でも刎ねてやるほうが長く苦しまずに済むだけ親切かもしれない。
「庶民の恋愛事情なんて、知らないよ」
あらぬ方向に思考が向かうのをこらえて返した言葉に「そうだよね」と言いながらため息をつく表情が、妙に艶かしく見えて、泣きたい気分になる。
メルが、誰か俺の知らない男に愛の言葉を捧げるのは嫌だ。
俺にはメルに対してなにかを矯正するような資格はないけれど、愛の言葉を捧げられる姿を想像するのも、耐えられない。
「俺なら――メルに言わせる前に、自分から言うよ」
気がついたら体が動いてて、彼女にむかい「愛してる」と口走ってた。
彼女と暖炉の間に割り込むようにして床に膝をつき、即興で作った氷細工のバラの花を一輪、差し出しながら。
一拍置いて、音がしそうな勢いで真っ赤になった彼女が戸惑った様子で右から順に両手で頬を覆って目を閉じるのを、呆然と見上げた。
――まさか……違う、よね?
感極まったような様子に、恐る恐る名前を呼ぶと、返事の代わりに「好き……」という言葉が返ってきて思考が止まる。ずっと拒絶され続けてきてたから、まさか、彼女が自分の気持ちに応えてくれるだなんて思いもしなかった。
――ソレは、本当に……?
信じられない気持ちで固まってるうちに、メルはボロボロと泣き出し、謝りだして。その内容からやっと、彼女が好きな相手が本当に俺なんだと理解し始めた。
――本当に、俺でいいの?
驚きが戸惑いに、戸惑いが喜びへと移り変わるのに時間はそれほどかからなくって、メルに心を向けてもらえた喜びに胸の奥が熱くなる。なにより嬉しいのは、これで、彼女と離れずとも済むであろうことだ。
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