森の主の森のご招待
今日は森に入るからと、久方ぶりにメルの髪を結うお役目を買って出る。
「でも、自分できちんとできるようにならないといけないんじゃない?」
彼女はそう言いつつも、ヤブに引っ掛けて痛い思いをするのは嫌だったらしい。少しの説得で、すんなり折れた。どうやら日課をこなすために自分の身の回りのことは手を抜いてたみたいで、アチコチに小さな結び目が出来てしまっている。
「――朝食作るのは、明日から俺に戻そうか」
「え。今日のご飯、美味しくなかった?」
パッと振り仰いでくるメルの、ショックを受けて潤んだ目に内心たじろぎつつ首を振る。
「メルの料理の腕は随分と上がってるし、味に文句はないよ」
「じゃあ、なんで?」
不安そうに揺れる若草色の瞳に目を奪われつつ、冷静さを保ってる頭の一部で、彼女を傷つけずに済む言い回しを考える。
正直なところ、メルの料理の腕は悪くない。むしろ、食いしん坊なだけあって、この短期間でものすごく上達してる。代わりといっちゃなんだけど、自分の身だしなみを整えることには無頓着。
どっちも、この森に捨てられる前は自分でやる必要のなかったことなのに、こんなに差があるのは――単純に、興味の有無に左右されてるんだろう。実際、興味があることの飲み込みは早くて、魔法の応用や畑仕事は身だしなみを整えることよりも熱心にやってる。
――没頭型ってヤツかな?
学者とかに多いタイプのような気がするけど、メルの場合は『趣味人』イメージが近いように思う。
とはいえ、不潔にしてるわけじゃないんだけど……庶民に紛れて暮らすにしても、女の一人暮らしってわけにもいかないはずで。連れ合いを見つけるためには、少しでも見た目を整えたほうがいい相手が見つかるだろう。
メルが結婚相手を探すことを想像してしただけで悲鳴を上げそうな胸の内にフタをして、別の提案をするって形で自分の意見を伝えることにした。
「朝食の用意をするのが譲れないんなら、髪を結ったりする方を俺がしようか?」
「うぐっ」
「どっちがいい?」
うめき声を上げて縮こまるメルに選択を委ねると、彼女はモゴモゴと言い訳らしきものを口にしはじめる。
「あ、あんまり身だしなみを頑張りすぎるのも、庶民っぽくないかなーと愚考した次第です」
「なるほどなるほど。――となると、片田舎の農村かスラムの近くで暮らしてるうちに、小金持ちか人さらいにに目をつけられて愛妾か商売女にされちゃう感じだな」
「うえっ!?」
現代はどうだか知らないけど、俺が呪われる前はそうだった。
人間の欲求は、時代に関わらず大差ない。国の中枢から遠ざかるほど無法地帯になってくってのも、変わらないはず。どこの集団にも、欲望に忠実すぎるやつってのはいる。だから、一見のどかに見える場所でも、女の一人暮らしじゃ安心できない。
この森に捨てられるような子は、余計に危ないと思う。
オススメはそこそこ大きめな街で――お針子あたりが平穏に暮らせる仕事なんじゃないだろうか。兵士なり、騎士なりの連れ合いになれれば、さらに安全かな。
ただ、そこを狙うのには――
「メルは、身支度に手を抜きすぎ。家にいたメイド程度には身ぎれいにしとかないと、町中で仕事は見つけられない」
「ソレは結構な難度なんだけどっ!?」
そこはまあ、髪の毛がアチコチ結ばってる時点でお察しだ。
「だから、朝食を作る時間に練習したらどうかと思って――こんなもんかな。慣れれば、手を抜けるポイントも分かるようになるから、今はひたすら丁寧にやってったほうが良い。練習用のヤツなら綺麗にできるんだ。すぐ、出来るようになるよ」
「ううう……鏡もないのに無理だよぉ……」
「メルの場合、鏡がなくても魔法で代用できるよ」
俺がそう指摘すると、彼女は衝撃を受けた表情で「できるかも……」と呟いた。どうやら、そう言った応用は考えたこともなかったらしい。
――ただ、悪目立ちしそうではあるんだよなぁ……
髪をきちんと整えると、メルの繊細な顔立ちがよく見えるようになってしまう。そうなると、彼女が良からぬ輩に目をつけられる想像しかできなくて。きちんと可愛らしく装ってほしいと思う反面、ボサボサ頭にしておくほうが安全なんじゃないかとも思ってしまう。
――……悩ましい。
遠見魔法を応用して、さっそく自分の後ろ頭を確認してみようと、彼女が試行錯誤しているのを眺めつつ、絡んでいた部分をほぐし終えた。
「今日は森に入るから、きっちり三編みにしたほうが良いと思うんだけど――一本にするなら、サイドから編み込んでいくけど、どうする?」
「どうせならやり方を覚えたいので、ぜひ、お願いします」
新しいことが大好きなメルは、目をキラキラさせてそう頼んでくる。
「了解。せっかくだし、リボンでも編み込んでやろうか」
どうせなら、とことん可愛くしてやろうと提案すると、思わぬ反応が返ってきた。
「やだ、ラースってば……私、一体どこのお茶会に参加するの?」
クスクスと口元に手を当てて笑う、彼女の肩が、僅かに下る。
――あ……
髪を綺麗に編み込んでおめかしした、貴族のご令嬢が出掛けていくのは社交の場。
メルの年齢なら、まだ昼間に開かれるお茶会がほとんどだろう。
婚約者をすげ替えたいなんていう男の、一方的な我儘で森に捨てられてまだ数ヶ月。『そんな催しもあったな』と言う程度の記憶しかない俺と違って、彼女の中でその記憶はまだ新しいはずだ。
楽しい記憶もたくさんあっただろうに、失ってしまったものを思い出させるような不用意なことをしてしまったことに動揺して手が止まる。
「――きのこの森の小さなお茶会……とかはどうかな」
彼女の気を引き立てる方法に思いを巡らせた結果、出てきたのはそんな案。
「森の中の……? ……楽しそう」
少し驚いた声で疑問を漏らした後、ふんわりとした口調でメルは呟く。
「じゃあ、ラースと二人きりのお茶会だね」
「森の生き物も遊びに来るかも」
「素敵!」
そう言って、彼女が楽しそうに笑うから。
今日の午後、きのこ狩りをした後に、二人きりのお茶会開催決定だ。
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