森の主の心の傷
メルに手荒れで痛い思いさせたくないってのを白状してから、一月。
彼女は試行錯誤の末、”洗濯”魔法を開発してみせた。言っちゃナンだけど、構成自体は単純明快で今までなんで自分が思いつかなかったのかって代物だ。
「それは、”浄化”が使えるんだもの。手洗いする必要がなかったからだよね?」
と言う彼女のコメントが正解だと思うけれど、なんだか釈然としない。これはきっと、俺がメルよりも『魔法が得意』って思ってたから。
「俺、きっと――メルだけでなく他の子のことも、無意識に馬鹿にしてたんだなぁ」
「ラースが?」
ため息を吐きながらボヤくと、メルはそう言って目を瞬いた。
「多分、無意識に見下してたんだと思う」
そんなつもり、全然なかったからメチャクチャ凹む。だからかな、今まで、どんな子が来ても上手くいかなかったのって……
「――私、やっぱり、ラースからそんな風に扱われた記憶、全然ないよ」
「メルはお人好しなんだなぁ」
こんな森に自分を捨てた男のことを、未だ恨んでる様子はないし。そう呟いてため息を吐くと、彼女は小さく、いつもは見せない笑みを浮かべた。
「元婚約者のことなら、単純に興味がないだけ。彼が生きてても死んでも、どうでもいいんですよ」
「……………………意外」
あんまりにも意外すぎて、答えが遅れた。
「だって……何をしても文句ばっかり言うんだもの、存在自体が迷惑だった」
「なるほど……」
そのせいか、メルは気まずそうに視線をそらして口を尖らせる。イジケた表情が可愛く見えるのは、なんか反則。
でも、
「ラースのは、弟子の思わぬ発見に『ムムム』ってなっただけでしょう。そんなの、誰にでもアルアル。どうだ、私だって頑張れば出来るっ!」
ふふふん♪
と、得意げに胸を張られたら、『そうかも』って気になって胸の奥のわだかまりが少し減る。我ながら単純だと思うけど、それでいい気がしてくるのが、なんかすごい。
毒気を抜かれた気分で一緒に笑い――彼女が眠りについた後になってから、メルが『存在自体が迷惑』だと称した男と同類だと知られることを想像して怖くなった。
――今までに出会った、誰よりも。
彼女にそう思われるのが、一番つらい。
この呪いを作ったやつは、きっと悪魔だ。
孤独で追い詰め、生贄のように送り込まれてくる女の子たちに惚れ込ませてから、多種多様な方法で奪い去る。ソコまで考えて、不意に、不安に襲われる。
――メルは?
今のところ、そう嫌われちゃいない……と思う。突然、森の中に逃げ出していくようなこともない――はず。家の周りには魔獣が入ってこれないように対策もしてる。ウッカリ、転げ落ちるような崖や川もすぐ近くには存在しない。
――大丈夫、事故であの子を失うことはないはず。
今までにみたいに、自分で命を断つなんてことをするタイプじゃないし、もしそうだったら、すでに生きてないはずだ。剣術の鍛錬は好むけど、手にした得物で自らを傷つけるような間抜けさはないし――
「大丈夫……大丈夫だ。大丈夫な、はず」
「大丈夫って、なんのこと?」
ギシリと床が鳴る音がして、顔を上げるのとほぼ同時にメルの声。いつの間にか真っ暗になっていた部屋に明かりが灯り、眩しさに目をつむる。
「どうしたの? ラースってば、酷い顔色」
肩に触れる温かな手の感触に、体に入ってた妙な力が抜けていく。目を開けると、俺を覗き込む彼女の気遣わしげな顔が思った以上に近い。
「メル……こんな夜中に起き出してくるなんて、珍しい」
いつもならありえない距離感に戸惑いながら、何とか笑みを浮かべようとしたけれど――どうやら上手くはいかなかったらしい。逆に、メルの顔に浮かぶ心配の色が強くなる。
「なんだか眠れなくって、降りてきたとこ。ラースの方こそ、こんな真っ暗な中で何やってるの? 大丈夫って――体の調子でも悪いのに無理してるとか?」
「前にも言ったけど、この体は仮初のもので、本当に生きてるわけじゃないから……体調不良も、睡眠もないよ」
「なら、なんか悩み事?」
「いや……大丈夫」
「大丈夫な人は、そんな泣きそうな顔しないでしょう」
呆れた口調でスルリと頬をなで、彼女は困り顔で微笑む。
「ラースはきっと、一人で居た時間が長すぎて、自分の気持ちを吐き出す方法を忘れちゃったんだね」
頬をなでていた手が、ごくごく自然に首の後に回ってきて、「え?」と思ってる内に彼女の腕の中に閉じ込められてる。
「すぐには無理だと思う。けど、ラースの溜め込んでしまってることは、いつでも聞くから。話したくなったら、話してね」
背中を撫でる柔らかな手付きと優しい声音に、不覚にも涙が一粒こぼれ落ちた。
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