男装令嬢の農民考察
せっせと手を動かしながら、またしても絡んでしまった糸束に「ああぅ」と呻く。
自分の髪に触れてから、練習用の糸束に触れて感触を確認して、思わずため息。
――これは、ホントの髪の毛よりも、糸のほうが難しいみたい。
逆に言えば、これを上手く出来るようになれば、自分で髪を梳かす時に痛い思いをしたり、ぶちぶちちぎったりせずに済むってことだよね。
今までずっと、一生懸命に手入れをしてくれていた侍女たちの顔を思い浮かべ、気合を入れ直す。出来ることなら、切らずに済ませられるように頑張ろう。
「ああ……梳かすだけじゃなく、洗ったり手入れをする方法も覚えなきゃ」
でも、さすがのラースもそこまでは分からないかも。男の人だし。いやいや、髪の毛は洗ってくれたから、やっぱり教えてもらえるかもしれない。
――それにしても庶民って、生活するために随分と体を使うんだね。
そのことに、私は一番驚いた。
畑では、作物につく害虫をとったり、水を与えたり。居るかどうかも分からない虫を探して身をかがめ、見つけたらそれを駆除しなきゃ駄目だと聞いて、めまいがした。見た目は気持ち悪いし、駆除するためには道具越しにでも触れなきゃいけない。
『野菜は、貴族と一緒だよ』とラースが言うのが最初は理解できなかった。けど、農民を騎士様に置き換えてみたら……なんか分かったような気がしたりしなかったり。
当てはめ方が間違ってなければ、農民ってすごい。
あとで、ラースに確認してみよう。
ああ、でも。お水を与えるのはどうだろう?
お水を汲むのは下男下女の仕事だから、騎士様とはまたちがうよね。でもでも、お水は野菜にとってのパンみたいなものだとも言ってたし――そしたら料理人?
外敵から守って、食事を用意して食べさせて――騎士様と、下男と料理人、それからメイド仕事もするのが農民ってことだろうか。
それって、なんだかとってもすごい複合職。
――家には帰れないとしても、私……庶民になれるのかな……?
考えれば考えるほどハードルが高くなってく気がして、思わずため息が出た。
「それでも、アレクセイのとこに戻れって言われるよりはマシかな……」
わけの変わらない彼の理屈で罵られるのは、もう嫌だよね。
「がんばろう」
まずは、目の前の課題からコツコツと!
教材兼食料を獲りに行くといって出かけていったラースは、思っていたよりずーっと早くに帰ってきた。
「ちょっと、たくさん狩りすぎたからしばらく外に出るのは禁止ね」
「どういうこと?」
開口一番、ラースがそう言い出した理由は、お外で獲物を解体するかららしい。お腹の中身を掻き出したり、皮を剥いだりとすると聞かされて、思わずブルリ。
剣術のお稽古はしているけれど、魔獣狩りは未体験。それに、狩った後の獲物の処理は、専門家にやってもらうのが普通です。
「その――解体作業って、私も覚えたほうがいいですか……?」
おそるおそる訊ねると、彼は首を横に振る。
「基本的には男の仕事だから、興味がないなら覚えなくても平気だよ」
「とても、ホッとしました」
普通、獣を狩ったり解体などの処理は男性がやるものらしい。調理前の状態になると、女性の出番。
「……調理前の状態?」
「あとで見ることになるから、一応そのつもりでいて」
「はい」
塩漬け肉や干し肉。ベーコンにソーセージなんかはすでに見ているけれど、それらは『加工肉』って教えられたっけ。ということは、その状態になる前ってことで……
――ううう、やっぱりなんだか怖いかも……!
ソワソワガクブルしながら、ラースに頼まれた野菜の皮むきに勤しむことしばし。
「メル」と貯蔵庫に来るようにと呼ぶ声が聞こえてきた。
すぐに返事をして作業を中断すると、そちらに向かい声を掛けつつ中を覗き込む。
「わ、なにそれ」
「狩った魔獣の血抜きをして、皮を剥いだ枝肉」
貯蔵庫の天井から吊るされた枝肉は、きれいなピンク色。とりあえず、真ん中から半分になっているのだけは理解できる。元が四足の生き物だったのだろうと思うけど、生きてた状態を見ていないせいかあまり怖く感じない。
「これがお肉なの?」
鼻を近づけてクンクンと嗅いでみたけれど、お肉と聞いてイメージする、美味しい匂いはしなかった。
「焼かなきゃ、メルのイメージしてる匂いはしないよ」
私はきっと、不思議そうな顔をしてたんだろう。ラースは笑いながらそう言うと、枝肉の一つから、元は足だったと思われる部分を切り離して骨から外し始める。
「これの必要な部分をこうやって切り取って――料理に使う」
「今、ラースが切ってる部分で、どんな料理が作れるの?」
「足は全体的に固めだから、煮込み系」
「煮込み……すぐには食べられないんだね」
「スネはとにかく、内ももや外ももの部分は使い方次第かな」
薄切りにしたり、ひき肉料理でなら調理に時間はかからないと説明してくれた。切り分けた『外もも』の部分だけを大きな葉っぱに包んで、棚の一つに載せると、『スネ』と『内もも』。それからお肉から外した骨を持って台所に向かう。
「スネの煮込みの下ごしらえをしながら、ハンバーグでも作ろうか」
「骨は何に使うの?」
「これで出汁を取ると、スープが美味しくなる」
「……美味しくなるのは、素敵」
スネ肉の煮込みは、いつのご飯かわからないけれど、今日のお昼はハンバーグ。
知らない料理にお腹が鳴って、ラースがブハッと吹き出した。
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