36.武運を祈っている

 フェルネラント帝国の北方国境を越えて、ロセリア帝国艦隊が南下した。


 旭日きょくじつ象形しょうけいされる列島の最北端、海岸線にそって戦艦一隻、巡洋艦四隻、駆逐艦十三隻の戦闘艦隊が、陣形を維持したまま停泊する。


 無数の揚陸艇ようりくてい接岸せつがんして、陸上戦力を展開した。


 フェルネラント帝国国境警備隊は、すでに後退している。


 全軍の武装解除命令は撤回てっかいされず、組織戦闘は不可能だ。各個単位の自衛戦闘では、時間稼ぎにもならない。


 この状態の兵士にできることは、せめて逃げる民間人のたてになり、後背こうはいで先に死ぬことだけだ。


 数日前まで日常生活をいとなんでいた老若男女の避難民が、正規軍隊の行軍速度にかなうはずもない。


 上陸したロセリア帝国軍の陸上戦力は、じっくりと余裕を持って、蹂躙じゅうりんする準備を整えていた。


 歩兵三個大隊に砲兵隊と工兵隊を加えた約四〇〇〇名、戦車八十りょうの機械化一個大隊が広がった上陸地点の海岸に、一際大きい鋼鉄の巨神像がひざまずいていた。


 漆黒しっこくの曲面装甲に、両肩でそれぞれ左右一対の腕を持ち、腰には大きく広げた翼のような積層放熱板せきそうほうねつばんがある。


 背中に身の丈を超える一振りの大剣を装備し、右肩の両腕は幅広の剣を一振りずつ、左肩の両腕は長大な一本の斧槍ふそうを軍旗のようにかかげている。


 頭部を無貌むぼうの仮面でおおった機動兵装パルサヴァールは、唯一神教の旧約教典に登場する天使の名の通り、異形いぎょうでありながら戦女神いくさめがみとも言える優美さを持っていた。


 厚い雲に朝日がさえぎられ、身を切るような夜の寒風が、まだ吹きすさんでいる。


 パルサヴァールの足元で、長く波打つ金髪を乱されるままにしながら、イザック=ロマノヴィチ=バララエフ中尉が濃い茶色の将校服の肩をすくめた。


「なんだよ、あんまり本国と変わらないなあ。冬には流氷がくるんじゃないか? これで女まで同じくらいきびしくて強かったら、侵略する甲斐かいがないよなあ」


 30代やや手前、大柄おおがらで筋肉が厚く、手足も長く太いバララエフがおどけて見せると、兵士達から賛同の笑いがもれた。


 だが、それもすぐにちぢこまる。


 バララエフの隣に、将校服に指揮官の外套がいとうを重ね、ロセリア帝国徽章ていこくきしょうを前面中央につけた軍帽の、壮年の男が並んだ。


不凍港ふとうこうは、この島の南半分だ。ロセリア帝国が歴史の始まりから悲願としていたものが、ようやく目の前にある。女は知らんが、戦意は高揚こうようさせろ」


「わかっておりますよ、ドミトリー=ネストロヴィチ=カザロフスキー大佐殿」


 バララエフの軽薄な敬礼に、カザロフスキーが眉間みけんのしわを深くした。


「貴官の性格が良しとする作戦でもないだろうに。れた女との約束を果たす、か。軍人には向かない浪漫嗜好ろまんしこうだな」


「そう言う大佐殿は、根っからの軍人根性ですなあ。前代未聞の四階級特進で総指揮官に大抜擢だいばってき、無抵抗も同然の相手に略奪、凌辱りょうじょくのし放題。笑いが止まりませんか」


「くだらん」


 カザロフスキーが軍帽を手に取り、短い金髪を風に乱す。せたほおが、皮肉な笑みを浮かべた。


「地位も欲望も、くだらん……そう思うようになった。おまえ達のせいだ」


 バララエフが、驚いたような目になった。


「どんな民族、どんな人間にも、生きる理由と願いがあるのだな……知ってはいたが、理解してはいなかった。おまえ達などに関わってしまったのが、私の運の尽きだったよ」


「なら、どうして命令を拒否しなかった? 軍を追われたって、地の果てまでだって、一人で逃げれば良かっただろう」


「過去に犯した罪は、罪。今さら、戦後に生きようとは思わんよ」


 カザロフスキーが沖に浮かぶ、麾下きかの艦隊をながめた。


「この作戦は、誰かがやらされる。そして、成功しようが失敗しようが、国際社会の非難をけられまい。こんな生命いのちにも、最後の使い捨て方があるということだ」


 降伏を宣言し、軍の武装解除に応じたとしても、講和条約が締結ていけつされるまでは、法律的には戦争状態が継続している。


 横から新たに宣戦布告、参戦することも、国際法の隙間すきまを抜けて成立する。占領した土地に実効支配を確立してしまえば、それがくつがえされる手段は、現実的にはない。


 だが、そんな前例が認められてしまえば、敗戦国側に降伏を選択する意味がなくなり、無用な戦争継続と被害の拡大を招くことになる。


 捕虜の虐殺ぎゃくさつと同様、非難されるべき行為であり、相応の立場の人間が処断される必要があった。


 バララエフの目が、カザロフスキーを見据みすえた。


「約束はどうする気だ? 悪党」


たましいは、地の果てに置いてきた。ここには、なにも残っておらんさ」


 カザロフスキーが笑った。


 バララエフも苦笑した。


 手に取っていた軍帽をかぶり直して、カザロフスキーが背中を向けた。


「私は戦艦で指揮をとる。さらばだ、同志バララエフ。武運を祈っている」


「お互いにな。同志カザロフスキー」


 遠ざかる背中に向かって、バララエフが今度はかかとを合わせて直立し、敬礼した。


 二人の頭上、風が激しくなってきた荒天こうてんに、海猫うみねこが飛んでいた。バララエフはふと、敬礼した手を大きくかざして、片目をつむってみせた。


「この天気じゃ、こっちの航空支援は期待できないな。まあ、いいさ。戦争最後の大一番、小細工はなしだ。今から行くよ、ジル」


 海猫うみねこの数は、次第に増えていった。


 みゅう、と、バララエフにこたえるように、一羽いっぱが鳴いた。

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