35.私達の流儀です

 リーゼロッテの言葉通り、夜の帝都には、不穏な影が多かった。


 直接の戦争被害がなくとも、膨大ぼうだい戦費せんぴや、海外保護領の発展に投資された開発資金の持ち出しは、フェルネラント帝国本国の経済を大きく混乱させた。


 基盤の弱い地方では子供の身売りや餓死者も発生し、都市部に流入した難民同然の非定住人口ひていじゅうじんこうが治安を悪化させた。


 そして彼らの不安、不満を体制への敵意に巧妙に誘導、既存統治機構きそんとうちきこうの破壊と自らの権力掌握を目的とする共産革命指導組織コミンテルンの策動で、知識層も巻き込んだ主義思想による内乱の様相をあらわし始めていた。


 ジゼルは、視覚同調した猫達の移動索敵網いどうさくてきもうで、むしろ帝都の状況を観察しながら歩いた。


 戦場で死ぬことも戦争なら、国家の正義に押しつぶされることも戦争だ。


 自分が戦ったことの意味、守ったもの、犠牲にしたもの、結果の理不尽、帝都の夜の混沌こんとんは、ユッティが言ったようにジゼル達の勲章くんしょうであり罪状ざいじょうだった。


 リントがかたわらで、にゃあ、と鳴く。


 ジゼルは笑っていた。


 人ではない魔女は、人の世のありのままを見て、いとおしそうに笑っていた。


 ゆっくりと時間をかけ、散策を楽しむようにして、シュトレムキントの停泊している港に戻る。夕刻、モニカが自動車で散々に蹴散けちらした集団は、一人もいなかった。


「よお、大将。せっかくの故郷だってのに、ずいぶん早かったな」


「民間人の皆さまには、丁重にお引き取りいただきました。死傷者は出しておりません!」


 同じ黒髪に赤銅色しゃくどういろの肌をした二人が、全員を代表するように、一歩進み出て敬礼した。


 埠頭ふとうには、大隊規模の兵力が集結していた。


「イスハバート王国陸軍総司令、ラスマリリ=カラハルです」


「同じくイスハバート王国陸軍特務部隊、隊長クジロイ以下、チルキス猟兵隊二〇〇名だ」


 肩で切りそろえた黒髪の小柄こがらなマリリと、長髪を背中でわえた大男のクジロイが、灰白色かいはくしょくの山岳野戦服にイスハバート王国徽章おうこくきしょうをつけていた。


 後ろに並んだチルキス族の男達が、山岳野戦服の肩に鉄弓をかかげたまま、敬礼する。


 その左側、向かい合うジゼルからは右手側に並んだ水兵達の後方、偽装貨物船シュトレムキントの隣には堂々とした巡洋艦が、兵員輸送艦を引き連れて停泊していた。


「マリネシア皇国海軍総司令、ナドルシャーンだ。環大洋帯共栄連邦かんたいようたいきょうえいれんぽう憲章けんしょうにのっとり、貴国を支援する」


「同じくマリネシア皇国海軍監察官、ルシェルティです! お任せあれ、ですわ!」


 二人とも長い黒髪に浅黒い肌を、濃紺のうこんの将校服で包んで、マリネシア皇国徽章こうこくきしょうのついた軍帽ぐんぼうをかぶっている。


 小さく可憐かれんなルシェルティのふんぞり返った敬礼に、長身のナドルシャーンが敬礼しながらまゆをしかめた。


「同じく海軍将軍、ヨアヒム=ヒューゲルデン以下、特殊術式機動兵装とくしゅじゅつしききどうへいそう4番機、高速巡洋艦ドランケルキント乗員五五〇名だ。これだけあちこち拾って回るのは、骨が折れたよ、まったく」


「同じく海軍参謀、チェスター=キャリントンです。なんで、こうなっちゃってるんでしょうね、本当」


 白い水兵服に将校服の上着をひっかけた白髪のヒューゲルデンが、老人ながら横幅の広くたくましい体躯たいくで、闊達かったつに笑う。


 肩書きの割に水兵服だけの赤毛の優男やさおとこ、チェスターが観念したように首をすくめた。


 不真面目な二人を尻目に、居並ぶ水兵達が、それなりにきっちりと敬礼した。


 さらに左側、砂色の野戦服に最新式の小銃をかかげた部隊が続けて敬礼する。


「ペルジャハル帝国陸軍総司令、ラークジャート=パルシーだ。他にも国家元首が多くて助かった、セラフィアナに言い訳ができる」


「同じくペルジャハル帝国陸軍お目付け役、ハシュトル以下、銃兵隊および砲兵隊の計四〇〇名! 友邦ゆうほうの恩義に報いるため、馳せ参じました!」


 褐色の肌に赤みの強い黒髪の、小柄こがらなラークジャートが、大きく安堵あんどの息をもらす。


 やはり褐色肌に黒髪の、弟のように見えるハシュトルの方が、むしろ堂々としていた。


 部隊の後ろの方には、火砲の測量道具を持った兵士もいる。幾何学模様きかがくもようをあしらったペルジャハル帝国徽章ていこくきしょうが、全員の頭巾ずきんについていた。


 そして並んだ左のはし、薄茶色の野戦服も新しい黒色人種の部隊が、ロセリア帝国製の新式小銃をささげ持って敬礼した。


「東フラガナ人民共和国主宰、ワンディル=タートだ! 聞いちゃいたが、すげえ寒いな、ここ!」


「同じく東フラガナ人民共和国陸軍首席、ニジュカ=シンガ以下、銃兵隊二〇〇名! 難しい話は言いっこなしだ、最後までつき合うぜ!」


 ワンディルが短い黒髪をふるわせて、厚い唇と大きな目を丸くする。


 茶褐色の髪をたてがみのようになびかせたニジュカは、気にする風でもなく、たくましい腕をまくっていた。


 二人を含めて部隊全員が、黄色と緑の二色に染めわけた布を、右腕に巻いている。


 シュトレムキントの甲板上では、白衣のような外套がいとうと、銀灰色ぎんかいしょくの頭に艦長帽子かんちょうぼうしをかぶったいかつい顔のヤハクィーネが、深く一礼した。


 隣で、黒髪を三つ編みに束ねた水兵服のシュシュも、真似まねをする。


 最後にマリリの足元で、茶色縞ちゃいろじまの子猫のメルルが、にゃ、と鳴いた。


 陣容を見渡して、ジゼルとリントが、同じような表情をする。


「困った方々かたがたですね。フェルネラント帝国はすでに降伏し、全軍の武装解除を受諾じゅだくしています。勝手な戦闘継続は、戦争犯罪に問われますよ」


「そんな道理は、ばします!」


 マリリが左腰にいた小太刀、風切かざきばねに手をえた。


「私達の流儀です」


 ジゼルを見つめる緑の目に、強い光が宿っていた。


 かつてジゼル自身が評した、相手の心に届く意志だ。心を燃やす火は、もう皆が共有している。


 これ以上の言葉は、必要なかった。


 ジゼルが左腰にいた大太刀、水薙みずなどりに手をえた。


「では、共に参りましょう」


 ジゼルの微笑ほほえみに、全員がもう一度、かかとを打ち合わせて敬礼した。


 そして高らかに、夜を圧するときの声を上げた。

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