33.魔女だってばさ

 どちらも三十歳を過ぎた程度、黒い上下で、金色のぼたんにフェルネラント帝国旗ていこくき意匠いしょうが入っている。


「あー、先輩、お疲れ様ですー。ユーちゃん、こっちに連れてきちゃいましたー」


「困ったものだ。お祖母様ばあさまにもモニカにも、悪いことをしたな」


 男の一人、リーゼロッテとよく似た蜂蜜色はちみついろのくせ毛で、堂々と厚みのある方が、顔をしかめた。咳払せきばらいをして、ユッティに向き直る。


「ランベルス=ラングハイムだ。一人ということは、少なくとも妹は、フリード侯爵に会えたようだな」


「あー……なんだかわかんないけど、いろいろ、あんたの手引きってことね。本家のお坊っちゃまに、気にかけてもらえるとは思わなかったわ」


 ユッティの軽口に、ランベルスが生真面目きまじめうなずいた。


「状況は把握はあくしている。こっちの男はカミル=ヤンセンと言って、帝国議会独自の情報管理室を任せている。神霊研究機関員しんれいけんきゅうきかんいんと接触し、貴官らの動向を調べてもらった」


「どーも。ヤハクィーネのねえさんには、世話になったっす。エトヴァルト殿下はお二人を、そのままどこかに亡命させたがってるみたいで、帰国してるのは、殿下御本人にはまだ秘密なんすよ」


 もう一人の、目も手足も細長い赤毛の男が、窮屈きゅうくつそうに背中を曲げる。軽薄だが、嫌味いやみのない笑顔だった。


「なによ。話が通ってたんなら教えてくれれば良いのに、ネーさんも人が悪いわね」


「ラングハイム家の名前が出れば、無意味に警戒されると考えた。結局、同じことになってしまったが」


 眉根まゆねを寄せたランベルスに、ユッティが頭をかいた。


 フェルネラント帝国皇室のエトヴァルト第三皇子は帝国陸軍大将でもあり、世界大戦の実質的な戦争責任者となっている。


 彼の側近として機能しているヤハクィーネは、神霊しんれいと呼ばれる生命の循環機構じゅんかんきこうを研究する特務機関の名称であり、同時に機関員の総称でもある。


 たましいの集合、過去の全生命の集合知しゅうごうちとも定義される神霊しんれいを深く追求する過程で、全員が個体生命の自我を消失し、開祖かいそから統合された一つの意識を共有している。


 ユッティ達が乗っていた偽装貨物船シュトレムキントの水兵もすべてヤハクィーネであり、帰国日時を含めた、緊密きんみつな連携が可能な道理だった。


「とにかく、無事に迎え入れることができて良かった。私はたった今、エトヴァルト殿下より、講和条約交渉を含む終戦処理の全権委任大使ぜんけんいにんたいしに任命された。カミルとイルメラの二人には、国内の治安維持と、戦後復興支援をになってもらうことになる」


「そりゃ、また……貧乏くじを引かされたものね。今さらだけど、世界中、力一杯に引っかき回しちゃってて、申し訳ないわ」


「こちらの台詞せりふだ」


 ランベルスの両隣に、カミルとイルメラが整列する。三人ともに不慣れな様子ながら、かかとをそろえて、軍隊式の敬礼をした。


「これでようやく、世界は、新しい時代をむかえることができる。フェルネラントも生き延びる。苦しい戦争を背負わせて、済まなかった。貴官らの戦いを、決して無駄にはしないと誓う」


 ユッティも表情を引き締めて、答礼した。


 戦争は終焉しゅうえんに向かいつつある。だが、国が、人が生きるための戦いは、これから先も続いていく。


 苦しくても、孤独ではない。かかげた右手が、それを確認していた。


「エトヴァルト殿下の執務室は、三階の一番奥っす。他は誰もいないから、明かりの見える部屋っすよ」


「またね、ユーちゃん」


「ありがと。あんた達も、元気でね」


 カミルとイルメラに笑顔を返して、ユッティが三人の横を通り過ぎる。ランベルスが、前を向いたまま、少し大きな声を上げた。


「お祖母様ばあさまは、いておられた。自分の偏狭へんきょうな厳しさが、おまえとクロイツェル侯爵を追いつめたのではなかったか、と。自分が寛容かんようさを、広い視野を持ててさえいれば、今とは違う未来もあったのではないか、と……びておられた。それだけは、伝えておく」


 ユッティが足を止めた。


 振り向かない。ランベルスからは見えなくとも、微笑ほほえんだ。


「いろいろあったけど……まあ、こんな人生も悪くなかったわ。あんにゃろうだって、絶対、そう思ってる。過ぎたことなんて気にしないで、長生きしてよ。そう言っておいて」


 ランベルスの返事はない。


 必要もなかった。そのまま、ユッティは駆け出した。


 玄関広間を抜けて、適当な階段から三階に上がる。廊下はすでに暗く、奥の一部屋から、扉の隙間すきまの形に明かりが見えていた。


 扉の前で立ち止まり、深呼吸をする。


 そんな自分にあきれたように、ユッティはもう一度、微笑ほほえんだ。


 扉を開けて、明かりの中に踏み込んだ。


 執務室は、皇族としても、陸軍大将としても、質素なものだった。


 部屋の半分ほど、薄い絨毯じゅうたんの上に応接用の長椅子ながいす長机ながづくえがあり、壁際には資料棚が並んでいた。


 几帳面きちょうめんに整理された執務机の後ろにはフェルネラント帝国旗ていこくきと、剣と陽光にエトヴァルト個人の御紋ごもんを追加した帝国軍旗ていこくぐんきが、旗差はたさ竿ざおを交差してけられている。


 資料棚の向かい側は一面の大きな窓で、エトヴァルトが一人、きりの夜空を見上げていた。


 硝子窓がらすまどの映り込み越しに、ユッティとエトヴァルトの視線が合った。


 エトヴァルトの亜麻色あまいろのくせ毛と、童顔に似合わないあごひげが、港で別れた時より少し伸びている。ひょろりと背丈ばかり高いせた身体が、豪勢な陸軍大将の黒い軍服に、着られているようだ。


 エトヴァルトは驚く素振りを見せず、軽く肩をすくめた。


「ヤハクィーネの世話焼き、ですか。ユッティさんも含めて、皇族も無視した独断専行なんて、困ったものです」


「殿下、もうすぐ死ぬんでしょ? 御機嫌ごきげんをとる必要ないじゃない」


 ユッティが扉と、鍵を閉める。ついでとばかり、硝子灯がらすとうの明かりも消した。


 ちょうどきりの切れ間に月光が差して、薄明かりに二人が浮かび上がった。


「まあ、戦争責任者ですからね。敗戦となれば、仕方ありませんよ」


「良かったわ」


 ユッティがエトヴァルトに歩み寄る。


 胸元をつかんで引き寄せ、唇を重ねた。


 どちらともない吐息といきがもれて、舌のからみ合う水音が小さく響く。離れそうになって、引き寄せて、熱と唾液を何度も交わらせた。


 エトヴァルトの手がユッティの背中を抱いて、ユッティの手がエトヴァルトの首を抱いた。


「あたしは魔女なの。れた男は、みんな死んだわ。運命が決まったんなら、やっと遠慮なく抱けるわね」


「そういう考え方もあるんですね。死ぬことに感謝できるなんて、本当にユッティさんの言葉は、女神の啓示けいじです」


「魔女だってばさ」


 二人で苦笑して、また唇を重ねた。


 目は閉じなかった。お互いの目の奥を、肌に透ける血の色を、髪のふるえを、汗の光を見つめ合う。


 触れることさえもどかしいと感じるように、二人は身体をけ合わせた。

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