32.なんとかして下さいね

 ラングハイム公爵家は、フェルネラント帝国でも一、二を争う大貴族の本家で、ユッティからは母方一族の大元おおもとだった。


 帝都郊外ていとこうがいに、豪壮ごうそうな屋敷がある。正門から入り、正面玄関前に自動車が停車した。


 自動車ごと雨風がしのげるほどの、大きな煉瓦造れんがづくりの張り出し屋根があり、硝子灯がらすとうも明るくともされていた。


 モニカとジゼルが端然たんぜんと、ユッティが不承不承ふしょうぶしょうと自動車を降りる。


 玄関扉が開いて、モニカと同年輩ほどの、穏やかな雰囲気の女性が現れた。


 蜂蜜色はちみついろの髪を丁寧ていねいい上げ、薄群青うすぐんじょうそろいを着ている。ジゼルが、少し驚いた顔をした。


「リーゼロッテ様……」


 ジゼルと、リーゼロッテと呼ばれた女性の様子に、ユッティが首をかしげる。リーゼロッテが、微笑ほほえんで会釈えしゃくした。


「リーゼロッテ=クロイツェルと申します。ユーディット様のことは、夫はあまり話しておりませんでしたが、お祖母様ばあさまからはおりに触れてうかがっております。奇妙な縁ですが、こうしてお会いできたことを、嬉しく思います」


 話がつながって、ユッティが、さすがにばつの悪い表情をする。


 リーゼロッテの夫、アルフレート=クロイツェルは、ユッティの十五年前の恋人であり、カラヴィナ方面統合軍における上官であり、ジゼルが殺した敵だった。


「リーゼロッテ様がこちらにおいでとは、モニカ様に助けられました。ちょうど、クロイツェル家をおたずねしよう思っていた次第です」


 ジゼルの敬礼に、リーゼロッテが口元に手をあてて、恥じ入るように笑った。


 ジゼルの仕草にも、少し似ていた。


離縁届りえんとどけをもみ消すのに、実家の権力を頼りました。屋敷はそのままですが、やはり少しさみしいので、アルトゥールと二人で、しばらく厄介になっているのです」


「確か、十歳になられますね。御息災ごそくさいですか」


「あなたが、あまり正直に手紙に書くものだから、仇討かたきうちだの決闘だのと大騒ぎですよ。なんとかして下さいね」


 ジゼルとリーゼロッテが、なごやかに話しながら屋敷に入る。リントは、ふらりと庭の方へ消えて行った。


 それでも動こうとしないユッティに、モニカが怪訝けげんな顔をする。


「ユーディット様も、中にどうぞ。お祖母様ばあさま……ゾフィー様も、お会いできることを心待ちにしております」


「嫌よ! あんなのまでいて、なおさら合わせる顔なんてないじゃないの! 説教の心当たりが多すぎて、窒息ちっそくするわ!」


 ユッティの情けない悲鳴に、騒々しい発動機はつどうきの音が重なった。


 正門からの、慌てた制止の声も振り切って、ユッティとモニカの間に、自動二輪車が飛び込んできた。


 またがっていたのは、黒革の狩猟用の上下に白い肌を包んだ女性だ。栗色くりいろの髪がやわらかく肩にかかり、少しれ気味の目が、ユッティを見て笑う。


「やっほー、ユーちゃん。今日くらいに帰ってくるって聞いてたから、そんなわがまま言ってるんじゃないかと思って、きちゃったー」


「イ、イルメラ? あんたにしちゃ上出来よ! 今日ばっかりは感謝するわ!」


 ユッティが、身も世もなく、自動二輪車の後部座席に飛び乗った。


「ごめんねー、モニカさん。政務府に行くから、先輩には私から話しておくよー」


「イルメラ……いえ、イステルシュタイン伯爵! 困ります!」


 うろたえるモニカを尻目に、自動二輪車の発動機が、ここぞとばかりに咆哮ほうこうした。


 先ほどまでの自動車を上回る銃弾じみた速度で、二人を乗せた自動二輪車が夜霧よぎり突喊とっかんする。


 ユッティの、今度こそ本気のかすれた悲鳴が、長く尾を引いて風に散っていった。



********************



 フェルネラント帝国の帝都中央政務府は、カラヴィナ総督府と同じ鉄骨と煉瓦れんがの複合構造で、三方向に翼を広げたような四階建ての巨大建築だ。


 敷地も広く、多くの関連施設や官舎かんしゃが並んで、門の警戒も厳重だった。


「あんた、さっき、モニカさんがイステルシュタイン伯爵って……結婚もしないで、自分で爵位をいだの?」


「こういう時に便利なのよー」


 イルメラが指輪の家紋を見せると、どこの警備員も敬礼して、通過を許可した。自動二輪車の後部座席で、へたばるようにイルメラの腰にしがみつきながら、ユッティが苦笑する。


「そりゃ、まあ、ジゼルもフリード侯爵をいでるけどさ。あんたは別に、まっとうな育ちでしょ。結婚できなくなっても知らないわよ?」


「その時は、ユーちゃんがお嫁にきてよー」


 イルメラ=イステルシュタイン伯爵が、間のびした口調で笑った。


 爵位持ちの貴族に娘しかいない場合、婿入むこいりで爵位をげることが、結婚相手の大きな利点になる。


 爵位は基本的に長子相続なので、貴族家の次男や三男にとっては、数少ない返り咲きの機会だ。


 娘が爵位をぐこともできるが、その場合、対外的な地位も財産も明確に相手の所有物である結婚生活に、貴族家で育った男性の自尊心が耐えられないことが多かった。


「私は学生の頃から、ユーちゃん一筋だよー。ユーちゃん、おっぱい大きくなったでしょ? 自動二輪車の運転、がんばって練習した甲斐かいがあったよー」


「おかしな調子は、相変わらずね……いやもう、モニカさんの運転もあんたの運転も、こりごりだわ。外地がいちの戦場より、生命いのちの危険を感じたわよ」


 政務本庁舎せいむほんちょうしゃの前に着くと、ユッティが、ほとんど転がり落ちるように自動二輪車を降りた。


 イルメラが、悪びれもせずに腕をからませる。二人が本庁舎に入ると、玄関広間で、同じく二人の男に鉢合はちあわせた。

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