番外編:大人の閑居為不善

【30.とても楽しかったですよ】の後日、リント視点のお話です。


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 シュトレムキントの艦内かんない、個室のつながる共通の居間いまで、ジゼルもユッティも風呂上ふろあがりの下着姿でくつろいでいた。


 リントは自分の寝床ねどこで眠っており、今はベルグとして、初回と同じ黒灰色こくかいしょくの髪の黄色人種の身体を使っている。


 意識の同化もだいぶ進んでおり、複数の視覚情報に混乱しそうなものだが、ジゼルは何やら満足げだった。


「なるほど。見慣れた自分の身体ですが、男性の脳組織で受信すると、ちゃんとこみ上げるものがありますね」


「どういう状況なのよ、それ?」


「大部分の情報処理はリベルギントの神霊核しんれいかくで行っているので、端末たんまつの脳組織に、あまり特別な負荷はありません。上手うまく言えませんが、ごく自然に、二人の身体に存在しています」


「どっちがどっち、っていうのもないわけ?」


「認識としては、私と彼に、ほとんど境界はありません。この身体に元の私らしさが残っていて、操作する際に最適化されている感覚ですね。いずれ、それも希釈きしゃくされるでしょう」


「本来、会話の必要もないのだが、ジゼルの要求で意識的に発信している。ベルグの身体は、こちらが支配的だ」


「両手で人形劇を演じ分けている、と想像すれば、あまり間違っていませんよ」


 こともなげなジゼルの説明に、ユッティが嘆息たんそくした。


「まあ、なっちゃったもんは、受け入れるしかないわね。今さら、あんたにはあやまらないわよ」


「無論です」


 ジゼルの身体が、長机ながづくえの上の発酵茶はっこうちゃを、一口飲んだ。


美味おいしい、とも感じられます。肉体の欲求が、まだ実感としてあるということは、とても楽しみな状態です」


「……またなにか、ろくでもないこと思いついたわね?」


「心外です。同じ状況であれば、きっと誰しも思いつくことでしょう」


 ジゼルがほくそ笑んだ。


「男性としての生殖行為せいしょくこういを経験できるとは、望外ぼうがいの喜びです。相手が自分というのも、背徳的はいとくてきで良いですね。残された時間で、心ゆくまで堪能たんのうしましょう」


「了解した」


「あー、もう。あんたの前向きっぷりには、あきれるわ」


「なんでしたら、先生も御一緒しますか」


「それはあんたの浮気なの? 旦那だんなの浮気なの?」


「もう、わかりませんね。個人の境界にこだわる必要もありませんし」


「あんた以外の全人類はこだわるわよ、そこ。ひとごとの延長みたいに口説くどかないでよ、まったく」


「気をつけます」


 飄々ひょうひょうとしたジゼルにならって、ベルグの身体で発酵茶はっこうちゃを飲む。


 三人が囲んで座る長机ながづくえには、フラガナでもきっちり買い込んだ各種の甘味菓子かんみがしが広げられていた。芋虫いもむしはない。


 ユッティがため息をついて、焼き菓子を口に放り込んだ。


「それにしても、こう覚悟が決まっちゃうと、なんだかひまね。あんたらはよろしくやるんだろうし、あたしもシュシュつかまえて、一緒にお酒でも飲もうかしら」


「シュシュなら、先ほど格納庫でヤハクィーネ様との打ち合わせを済ませていたので、もうすぐここに来ると思いますよ」


 リベルギント本体の周辺情報も、ジゼルは同時並行で認識している。


 ジゼルとベルグ、リベルギントを意識的に分けて思考するのも、今の段階では可能なようだ。


 ユッティが肩をすくめるのと、扉が開いてシュシュが現れるのが、同時だった。


 大きく一本にまとめた三つ編みを、水兵服の胸元で手慰てなぐさみにいじっている。前髪の隙間すきまからのぞく目が、何やら深刻そうだ。


「ありゃ、本当に来たわね。それじゃあ、まあ、お酒は秘蔵の逸品いっぴんを……」


 浮き浮きと自室に戻りかけるユッティの腕を、シュシュがつかんだ。ユッティがつんのめる。


「な、なに? 大丈夫よ、ちゃんとわけてあげるから」


「先生」


 ジゼルが、悪い顔で咳払せきばらいをする。


「シュシュも、シュシュなりに状況を、真剣に受け止めているのです。わかってあげて下さい」


「あれ……? ごめん、わかんない。どういうこと?」


 うろたえるユッティに、シュシュが抱きついた。


 間近まぢかでユッティを見上げるシュシュの目が、怒ったように、泣き出すように、頼りなくうるんでいた。


 ユッティが、顔を少し引きつらせた。


「いや、その……おかしくない? あんたに比べて、人間らしさの順応が早過ぎるわよ!」


「推定になるが、神霊核しんれいかくとしての自我じがの確立が、人体構造とかけ離れた船舶本体せんぱくほんたいではなく、人体をしゅとして行われた結果と考える。現在のジゼルとも類似るいじした状態で、身体の本来の思考や記憶が、なんらかの生体情報となって残留し、影響した可能性がある」


「だったら男にれるでしょ! 普通!」


「普通ではないかただったのでしょう。まあ、普通ほど定義の無意味な言葉もありませんし、ここはお互いのお気持ちだけが重要と考えます」


論調ろんちょうも同化しかけてるわよ、あんた達!」


 下着姿でシュシュに抱きつかれたまま、ユッティがうわずった声を出す。


 本気で拒絶きょぜつするなら助勢じょせいもやぶさかではないが、ジゼルの意識からすると、そういうことでもないらしい。


 ペルジャハルでのマリリを参考事例とすれば、まあ、放置しても問題はないだろう。


「では、私達は退散しましょう、ベルグ。シュシュに負けてはいられません」


「了解した」


「ちょっと……っ!」


「先生は女性のお相手が経験ないとおっしゃられていましたし、そう緊張なされず、お任せして良いと思いますよ。ヤハクィーネ様が、懇切丁寧こんせつていねいに指導されていましたから」


「さっきの打ち合わせって、それっ?」


 ユッティの非難がましい声に、ジゼルはもうこたえなかった。いそいそと自室に引っ込み、こちらを手招きする。


 なるほど、ため息とは、こういう状況でつくものか。とりあえずやってみて、ジゼルの後を追った。


 格納庫でメルデキントが、似たような発信をした。背景誤差ではなかった。



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本編終了後も、まったく悲壮感がありません。

人間、こうありたいものです。

人格的な良し悪しは置いておいて……。

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