29.快い感覚です

 操縦槽そうじゅうそうから降りる時、ジゼルが少しよろめいた。


 肉体の感覚を忘れていたのだ。自分の手足と、リベルギントを交互に見る。


「だいぶ、一心同体に近づいてきましたね。こころよい感覚です」


 意識も感情も、個別でありながら、つながりが切れていない。会話の必要もないだろう。


「いけませんね。めし、ふろ、ねる、だけでは愛情を維持いじできませんよ」


「文脈が理解できないが、努力しよう」


 リントがジゼルの足元で、不思議そうな顔をする。こちらからの同調に、ジゼルが上乗うわのせされているからだ。


「なるほど。リントは私を、このように理解しているのですね。多少、心外なところもありますが、まあ良いでしょう」


 少し離れた場所で、マリリとメルル、バララエフが、こちらを遠巻とおまきに見ている。ジゼルが、マリリに軽く手を振った。


「お疲れさまです、マリリ。そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。小康状態しょうこうじょうたいとでも、言えましょうか」


 マリリが駆け寄って、ジゼルにしがみついた。


 緑の目がゆがんでいる。ジゼルの手が、マリリのほおに触れて、こぼれた涙を受け止めた。


神霊核しんれいかくと……同化、しているのか……?」


 バララエフから言葉がもれる。ジゼルが、小首をかたむけた。


宗教概念しゅうきょうがいねんが違うでしょうに、同じ呼称を用いているのですか」


「もともと、同志クロイツェルが持ち込んできた技術さ。情報が完全じゃないとは思っていたが……こんな仕掛けまであったとは、ね」


 返答に、ジゼルが苦笑する。


「それは、まあ……納得できましたが、おじさまにも困ったものですね。なんだか世界大戦せかいたいせんそのものが、おじさまのてのひらの上で、転がされているように思えてきました」


「同感だ。死んでまで、油断ならないおっさんだよ、まったく」


 バララエフが、大きなため息をく。


 なにをなげいたのか、なにを込めたのか、わからなかった。すぐに戦場の黒煙こくえんまぎれて、消えていった。


 熱帯平野に、大陸を植民地として支配していた国の、軍隊の、残骸ざんがい死骸しがいがどこまでも石のように転がっていた。炎が黒煙こくえんを上げて、血が枯草かれくさに染みて、鉄が大地に突き立っていた。


 この戦闘は終了した。はっきりしているのは、それだけだった。



********************



 トゥベトゥルに凱旋がいせんすると、街はお祭り騒ぎだった。


 至るところに東フラガナ人民共和国の国旗がはためき、太鼓たいこが叩かれ、歌がうたわれた。歓呼の声が、ワンディル主宰しゅさいの名を叫んだ。


 シュトレムキントで迎えたユッティも、ヤハクィーネも、ジゼルの状態になにも言わなかった。


 わかっていたことが、実際におとずれただけだ。マリリだけが張りつめた顔で、ジゼルのそばを片時も離れなかった。


 ジゼルはいつものように、いそいそと連段佩れんだんばきに風切かざきばね水薙みずなどりを下げて、変わらない様子を見せていた。


 人民委員会本会議場の応接広間に、ジゼル、ユッティ、マリリ、クジロイ、ニジュカ、バララエフ、カザロフスキー、ティシャ、ゴードウィン、ワンディルが集まった。


 正式な組織ではないが、人民委員会からは建国の首脳陣として、十人委員会と称されていた。


 リントとメルル、ウルリッヒは数に入っていないが、まあ、不満をもらすでもなく寝転んでいた。


 一通りの報告を交換して、円卓えんたく酒杯しゅはいが並べられた。


 大きな節目ふしめを超えたことを、そしてこれからフラガナが歩む長い道のりを、その感慨を、全員が共有していた。


 ジゼルとマリリも、一口だけ含んだ。


 直後、バララエフが手をげた。


「ええと、少し照れるな。俺達はほとんど、行きがかり上みたいなもんだったけど、建国なんて大仕事にたずさわることができて光栄だ。楽しかったよ。ロセリア帝国はこれからも、東フラガナ人民共和国の友邦ゆうほうであり続ける。よろしく頼むよ」


 陽気な声に、多分、本心からの惜念せきねんが混じった。


「資金と物資の調達は、後任が引き継ぐ。俺達には帰国命令が降りた。今夜、つよ」


「なに……っ?」


 誰よりも先に、カザロフスキーが驚いた。


 それが歓喜ではなく狼狽ろうばいだったことに、少し遅れて、他の人間が驚いた。


「どういうことだ? なぜ、急に……?」


「良かったじゃないの、悪党」


 ティシャが笑って、静かに立った。


「返事がなかったから、勝手に、約束ってことにしたわ。忘れないでね……私も、できるだけ生きて見せるから」


 そう言うと、応接広間を出て行った。


 沈黙に、カザロフスキーの舌打ちが、力なく響いた。


「……追いかけろ。今しかないだろう?」


 今度は、マリリが立ち上がった。固い声は、半分以上、自分に向けているようだった。


「よりにもよっておまえが、なんのつもりだ……? 俺が誰だか、忘れているのか?」


「そんなことは今、どうでも良い」


「俺は無様ぶざまに死んだ、あいつの父親じゃない!」


 カザロフスキーが、苦々にがにがしくき捨てた。


「俺は……赤の他人だ。後悔の肩代わりをさせられるのは、迷惑だ!」


「そんなことも、なにもかも、どうでも良い! 行くんだ!」


 マリリが、カザロフスキーをまっすぐに見た。強く、んだ緑の目だ。


「私はおまえを許さない。だがそれは、私の決意だ。うらみでも、のろいでもない」


 メルルが、にゃ、と鳴いた。


 心得こころえた、とばかり、ウルリッヒがカザロフスキーに飛びかかる。なにを言わせる間もなく、腰の革帯かわたいくわえて、応接広間を飛び出した。


 扉にはカザロフスキーごと体当たりしていたが、まあ、くさっても軍人だ。頑丈がんじょうだろう。



********************



 ティシャは、中庭にいた。


 黒い肌が、なぜだか、陽射ひざしに透けて消え入るようだった。


 ウルリッヒが一声鳴いて、カザロフスキーを放り出す。気絶寸前のさまで、転がりながら、また増えた生傷なまきずにうめいた。


 ティシャが、失笑した。


「最後まで、格好悪いわね」


「おまえ達のせいだ! どいつもこいつも、わけのわからない奴ばっかりだ!」


 あたり散らして、カザロフスキーが立ち上がる。


 褐色かっしょくの上下はあちこちり切れて、破れている。ティシャの服も、各地の作業を手伝ったままの、薄汚れた男物だ。


 どちらともなく、苦笑し直した。


 カザロフスキーが、胸元を探る。くさりを引きちぎって、小さな金属板を差し出した。


「……驚いたわ。くれるの? なにかしら、これ」


認識票にんしきひょうだ。名前と登録番号、国籍こくせきってある。戦場で死んだ軍人は、その場に捨てられて、こいつだけが回収される……。生きたあかし、死んだあかし、格好つけて言えばたましいが、こいつに乗って故郷くにに帰るんだ」


「大切なものじゃないの」


「大切なら、おまえなんかにやるか」


 せいぜい憎たらしく、カザロフスキーが、せたほおをゆがませた。


「俺は絶対に死なん。だから、こんなものは必要ない。きたら捨てろ」


「……名前、読めないわ。教えてよ」


「ドミトリー=ネストロヴィチ=カザロフスキーだ」


「ティーシャガファッソー=タートよ。外国人には難しいでしょうけど、ちゃんと覚えて。ティシャじゃ駄目よ」


 カザロフスキーが鼻白はなじろむ。


 ほんの少し目をゆらめかせて、ティシャが満面の笑顔を見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る