30.とても楽しかったですよ

 ウルリッヒが走り去った後、立ち尽くしたマリリを、ジゼルが抱きしめた。


 顔を胸に、あやすように髪をなでる。


「立派でしたよ、マリリ」


「ジゼル様、私は……ジゼル様にも……もっとたくさん、言いたいことが……っ!」


「大丈夫、伝わっていますよ……ありがとう。あなたと一緒にいられて、とても楽しかったですよ」


「え……?」


 ジゼルがマリリを抱いたまま、バララエフに目を向けた。


「帰国命令ということは……やっと、私との約束を果たして頂ける、と理解してよろしいのですね」


「ああ。最高の準備をして、いに行くよ」


 バララエフが、陽気に手を振った。ジゼルが、今度はワンディルとゴードウィンに目を向ける。


「ワンディル、あなたならきっと良い国を作れますよ。ゴードウィン様、フラガナ大陸をよろしくお願いします」


「なんだよ、急に?」


「……本国の戦況に、変化があったということか?」


 バララエフは沈黙している。


 仕方がない。せんだっての戦闘に続いて、こちらの手の内を明かすようでおもしろくないが、ジゼルが一呼吸、ヤハクィーネからの情報を整理した。


「フェルネラント帝国は本日早朝、降伏を宣言しました。追って講和条約が締結ていけつされるでしょう。世界大戦せかいたいせんは終わりました」


 応接広間の空気が、陽光ようこうが、一瞬でなにか異質なものに変化した。


 街の喧騒けんそうが遠く、空々そらぞらしい。一人一人の時間が、個別に、ゆがんで流れていた。


「なによ、突然ねえ。海戦かいせんで負けたのかしら?」


「この時点で降伏したのですから、むしろ勝ったのでしょう。マリネシア海軍の配備が、間に合ったのかも知れませんね」


「だとしても、もうちょっと先になんか言うべきでしょ、あのひげ」


 ユッティの愚痴ぐちに、マリリがようやく、ふるえるくちびるを開いた。


「あ、あの……おっしゃっていることが、わかりません……。負けたのですか? 負けていないのですか……?」


 ジゼルがもう一度、あやすようにマリリの髪をなでた。


「フェルネラント帝国は、帝国主義の打倒をかかげて、帝国主義の盤上ばんじょうで戦いました。全ての帝国主義国家が敗北しなければ、目標を達成できません」


 ロセリア帝国、アルメキア共和国、エスペランダ帝国、その他の環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんの支配していた全世界の植民地で戦い、フェルネラント帝国は勝った。


 勝ったまま戦争を終わらせたのでは、帝国主義の首位が変わるというだけだ。そして、これ以上に勝ち続けることは、恐らくできないだろう。


 フェルネラント帝国は、勝ち続けた最大到達点で、敗北しなければならなかった。その至難のわざを、エトヴァルトはついにやり遂げた。


 これでようやく、世界は、新しい秩序ちつじょむかえ入れる準備ができたということだ。


「フェルネラント帝国は全軍の武装解除を受諾じゅだくしました。講和条約締結までの空白期間に、力を温存していたロセリア帝国が本国に侵攻してきます。ここから先は、私達だけの戦争……いえ。国際法に外れた戦闘行為、ただの殺し合いです」


「そんな……っ!」


 マリリのくちびるを、ジゼルのくちびるがふさいだ。わずかな瞬間、すべてを忘却していとおしむ。


 離れぎわ、ジゼルの手がマリリの首筋を、軽く、鋭く打った。


 くずれるマリリの身体をジゼルが抱き上げて、長椅子ながいすに横たえる。連段佩れんだんばきから風切かざきばねを外して、マリリの胸の上に置いた。


「クジロイ様、イスハバートとマリリを頼みます。しばらくは時代に逆行して、再植民地化をねらう紛争が、各地で多発するでしょう。このはイスハバートの王女として、マリネシア皇帝の伴侶はんりょとして、これからの環大洋帯共栄連邦かんたいようたいきょうえいれんぽうかなめになる身です。古い世界と心中させるわけには参りません」


「ああ……わかってるよ、くそったれ……っ!」


 き捨てるクジロイの横で、ニジュカが肩をすくめた。その胸の真ん中を、ユッティの指が突いた。


「いろいろ、世話になったわね。あんたに言われた通り、最後くらい遠慮は捨てて、きっちりれてくるわ」


「いいね、その意気だ! 応援してるぜ!」


 ユッティが苦笑する。


 ワンディルとゴードウィンが立ち上がって、慣れないながら、敬礼した。


 ジゼルとユッティも、答礼する。リントが、ついてこようとするメルルを軽く叩いて、するりとジゼルの肩に登った。


「ではいずれ、神霊しんれいもとでお会いする時を楽しみにしています。それまでご機嫌よう、皆さま。先にきます」


 応接広間を出ると、ヤハクィーネとシュシュが迎えに来ていた。出発の準備が、整ったということだ。


 軍用車両で走るトゥベトゥルの夕暮れは、明るく、熱気に満ちていた。


 フラガナの大地そのものにみなぎる生命力が、戦争せんそうちりを、太鼓たいこと歌で吹き散らしていくようだった。



〜 第五章 フラガナ戦塵編 完 〜

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