27.覚悟を決めた女は強い

 ゴードウィンが円卓えんたくに、フラガナ大陸の地図を広げた。


「現在の植民地の境界線は、環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐんの勢力争いと、机上きじょう分割協定ぶんかつきょうていによるものだ。人民委員におおまかに書き込んでもらったが、実態としての部族の分布、民族分布、言語圏の分布とは、まったく異なっている」


 駐屯軍ちゅうとんぐん、あるいは本国で発行された地図なのだろう。植民地の境界線はほとんど直線で引かれ、自然の地形まで無視されている。


 対して、朱線しゅせんで上書きされた部族と民族、言語の分布は、気の遠くなるような複雑さだった。


「この情報も古い。植民地支配の分断を経て、今も紛争と離散集合りさんしゅうごうを繰り返しているはずだ。これからは内陸各地の駐屯軍ちゅうとんぐん排除はいじょしながら、現地の諸民族を調停し、争いを減らすための国境線を引き直さなければならない。おまえ達にしか、できない仕事だ」


「あの……ちょっと良いか? 俺は馬鹿だから、まとはずれな考えかも知れねえけど……」


 ワンディルが、少しためらいながら手を上げた。


「国境なんて、本当に必要なのか? 国が分かれているから、戦争が起きるんだろう? フラガナ全部で一つの国じゃ、駄目だめなのか?」


「……ワンディル。おまえは、がくがないようだな」


「そんなことはわかってるよ!」


「誤解するな。おまえは、真実の一面をとらえている。その上で、論理的に思考している。知恵があり、頭が良い」


「え……?」


「その知恵を生かすための技術が、学問だ。道具が、知識だ。技術と道具を身につけた人間の、他の面をとらえた意見に、耳をかたむけろ」


 ゴードウィンが、慨嘆がいたんするように目を閉じた。


「国がただ一つなら、政治手段としての戦争が行われることはない。それは正しいが、一つの国、一つの政体が、地平の果てまで目を見張みはり、万民ばんみんの声を聞いて、公正に統治することは不可能だ。どんな力にも限界がある。これは民族自主独立をかかげた、フェルネラント帝国の戦略構想の、根幹こんかんにある思想だが……」


 ゴードウィンの脳裏には、恐らく、エトヴァルトの存在が浮かんでいるのだろう。羨望せんぼうのような、わずかなゆらぎが声に含まれていた。


「人も組織も、無限に手がとどくわけではない。力が及ばない先は、他者を信頼して、任せろ。それが国境だ」


 ワンディルはゴードウィンの言葉を、素直に聞いていた。


 ゴードウィンが居住いずまいを正して、ワンディルとニジュカを交互に見る。


「ロセリア帝国からの調達物資は、新型の旋条式小銃せんじょうしきしょうじゅうと軍用車両、えつけ型の自動機銃もある。戦車はもう少し後になるが、それを除けば、白色人種と同等の装備だ。おまえ達は同胞民族の一つや二つ、根絶ねだやしにできるだけの武力を持った。調停がどうしてもまとまらなければ、その選択肢もある。重さを自覚して、この途方もない大仕事にあたって欲しい。生涯しょうがいをかけての戦いだ」


 二人が、無言でうなずいた。


 内陸部には鉱山も、植民地経営がもたらした大規模農場もある。密林におおわれた地域も、山脈も砂漠もある。


 フラガナ大陸の北海岸は環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐん内海ないかいをはさんで向かい合い、経済的な結びつきも強い。西海岸も、その影響を受けている。


 全ての利害を調停し、黒色人種主体の統治を根づかせるには、ゴードウィンが言ったように、世代を超えた長い時間が必要になるかも知れない。


 東フラガナ人民共和国の初代主宰しょだいしゅさいとして、ワンディルがその一歩を踏み出したのだ。


「ちょっと待って。その仕事に、私もついて行かせて欲しいの」


 応接広間の扉を開けて、ティシャが現れた。


 色彩豊かな民族衣装ではなく、地味な男物の衣装に、からんで束になった長い黒髪も、一まとめにわえていた。


 ワンディルが、驚いた目を向ける。


「戦争を手伝う気はないわ。あんたが戦いたいのなら、勝手にすれば良い。私も私で、勝手にさせてもらうわ」


「勝手に、って……話を聞いてたんだろ? 危ねえよ。白人の軍隊だって残ってるし、黒人同士も、あちこちでけんかしてんだぜ?」


「だからこそよ。いつ、どこであんた達が死んで、ここが戦争になるかもわからないんでしょう? 黙って殺されるだけなんて、確かにもう、うんざりだもの」


 ティシャが、ワンディルをにらみえる。


「大陸中の女子供おんなこどもに呼びかけて、民族や地域間の移動経路と、手段を整備するわ。水場を広げたり、保存食糧の備蓄びちくもする。どこが戦争になったって、戦いたい馬鹿がいくら死んだって、生き残りたい人間だけで、逃げて逃げて、生き残ってやるわよ」


 あっけに取られる全員を尻目しりめに、ティシャは大股おおまたに、カザロフスキーの前に歩み寄った。


「あんたも来るのよ、悪党。みんなの前で、私に言ったように毒づきなさい。せいぜい憎たらしく、危機感をあおってちょうだいね」


「な……っ!」


「どうせ逃げる時は、まっ先に逃げるんでしょ? あちこち見て回って、指導して。あんた自身のためにもなるでしょう」


「ふ、ふざけるな! なんで俺が、おまえらみたいな連中に……」


「ウルリッヒ」


 ティシャの静かな声に、心得こころえた、とばかり、ウルリッヒがカザロフスキーに飛びかかる。ひっくり返った頭を前足で踏んで、うめき声も上がらない。


「この子にもついてきてもらうわ。おかしな真似まねは、無駄だと思うわよ」


 冷厳に言い放つさまに、ワンディルやジゼル達はおろか、バララエフとゴードウィンも唖然あぜんとする。


 急に動いたウルリッヒに振り払われたリントとメルルが、小さく不満の鳴き声をもらした。


「出発する時は、声をかけてちょうだい。いつでも出られるようにしておくわ」


 ウルリッヒのたてがみを一なでして、ティシャが応接広間を出て行った。


 忠実な従者のように見送ったウルリッヒが、ようやくカザロフスキーを解放する。気絶していた。


 のんびりと、もといた場所に寝転ぶウルリッヒを見て、なぜだかジゼルとユッティが肩を落とした。


「なんでしょう、この敗北感……」


「言わないで。名前が名前だけに、泣きそうになるわ……」


 クジロイとニジュカ、バララエフも、目を見合わせて意気消沈いきしょうちんする。このがんくびをそろえて、誰も反応できなかったのだから、まあ無理もない。


 ワンディルに至っては、混乱に目を回していた。


「ど、どうなってんだ……? 姉ちゃんまで、魔女になっちまったのか……?」


「覚悟を決めた女は強い。それを魔女と、言わば言え」


 マリリが胸を張って、気絶しているカザロフスキーを、小気味良こきみよさそうに嘲笑あざわらった。

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