24.国家を作ってもらう

 東海岸を展望できる応接広間が、臨時の、いこいの場となっていた。


 ジゼルとリントが戻ると、まず、長椅子ながいすで一緒になって寝そべるユッティと獅子ししの、ゆるみ切った表情に出迎えられた。


「あー、もう。こいつ、すっごく大人しくて可愛かわいい奴じゃない。名前、なんていうの?」


「どことなくお父さまに似ているので、ウルリッヒと名づけました」


「いや……そりゃ、言われてみれば似てるけど……元愛人もとあいじんとしては複雑ね。あんたも大概たいがい、神経どうかしてるわね」


「心外です」


 ジゼルの口の両端りょうはしが下がる。一人と一匹の足元で、メルルが、にゃ、と、あきれたように鳴いた。


 ウルリッヒは昼食に満腹して、気性が穏やかなのも確かだが、膂力りょりょくは猫や人間の比ではない。好意でじゃれついただけでも、大怪我おおけがくらいするだろう。


 これは、しっかり注意を言い含めておく必要がある。ユッティはどうせ大雑把おおざっぱにしか聞かないだろうから、ウルリッヒの方に、だ。


 ジゼルが視線を移すと、奥の円卓えんたくに座ったカザロフスキーが、非好意的に目をそらした。逃げ出さないだけ、いいかげん、腹はわっているようだ。


 窓際の絨毯じゅうたんでは、バララエフとワンディルが胡座あぐらをかいて、お互いに無遠慮ぶえんりょな大声で話していた。


「だからさ。資本主義、自由に競争しようって仕組みは、平等なのは最初だけなんだよ。競争に勝って金持ちになった奴の子供は、生まれた時から金持ちだろう?」


「世の中、そういうもんじゃねえのか?」


「時間がたてばたつほど、不平等は広がる。行き着く先が、貴族だの資本家だの、植民地支配だって、そういう競争の結果さ。だから資本主義は、もうがけっぷちに来ている制度なんだよ」


「じゃあ、あんた達の言う、きょ、きょ……」


「共産主義な。こいつは正確な分析と計画をもとに、全員で出した成果を分け合おうって仕組みなんだ。金持ちも貧乏人もない、万民平等ばんみんびょうどう! 資本主義の一歩先に進んだ制度なのさ!」


「もうがけの下で死んでるってことか?」


「あっはっは! 良いね! ちに気がついてもらえたのは初めてだよ!」


 冗談というのは、言った本人以外、笑わないのが標準なのだろうか。どうも、国と人種に関わらず、そういう事例ばかりに遭遇そうぐうする。


 ジゼルが肩をすくめて、適当な椅子いすに座ると、ちょうど後を追うようにマリリとティシャが入ってきた。


「ティシャ様をお連れしました。あの、少し風の当たるところで、お休み頂いてよろしいでしょうか?」


「構いませんよ。奥の円卓えんたくすずしいでしょう。今、飲み物を用意してもらいます」


 ジゼルとマリリの無言の圧力をさっして、カザロフスキーが舌打ちし、水を取りに出て行った。


 すすめられて椅子いすに座ったティシャは、鼻と口を押さえて、卒倒そっとうしそうな顔をしていた。


 戦闘の死者は、捕虜ほりょに中庭でとむらわせているが、王宮内の至るところにこびりついた血痕けっこんと肉片は、今の時点ではどうしようもない。


 それなりに使用人もいたはずだが、戦闘の前後で逃げっている。改めてやとう必要があるだろう。


「クジロイ様とニジュカ様は、いかがされましたか」


「ワンディルの仲間を連れて、市街の視察に出て行きました。難しい話は任せる、と」


「仕様がありませんね」


 マリリの回答に、ジゼルが苦笑する。


 チルキス族の男達も姿が見えないが、王宮を中心にして、警戒線が張られているのがわかる。これなら猫でも、潜入に苦労するだろう。


 少しして、カザロフスキーが戻るより先に、ゴードウィンが現れた。


「ではゴードウィン様、始めて下さい。不在の方々には、私からのちほど伝えておきます」


「わかった。まずは、国王に最低限、理解しておいてもらいたいことから説明しよう。ワンディル、だったな」


「おうとも! 悪いんだけど、できるだけ簡単に……」


「ちょっと待ちなさいよ!」


 ワンディルの言葉に、ティシャが割って入った。


「あんた……本気で、こんな人達の言いなりになって、戦争する気なの?」


「いや、まあ……そりゃ俺だって、白人の言うことなんか、聞きたくねえけどさ」


「この馬鹿っ! そんなことを言ってるんじゃないわよっ!」


 叫ぶ勢いで込み上げたのか、また口を押さえ、背中を曲げる。


「この部屋に来るまでに、散々さんざん、思い知らされたわ……。たった一晩で、こんなに人が死んだのよ? あんたも死ぬわよっ?」


「戦って死ぬのが男だ。戦士の誇りだ。姉ちゃんだって、れる時は勇敢ゆうかんな男にれるだろ?」


「そんな迷惑馬鹿、父さんだけでこりごりよ!」


 ティシャが、身体をったまま、嗚咽おえつした。


 ワンディルはばつが悪そうに、鼻の頭をかいて、目を泳がせた。同意を求めるような目を向けられて、バララエフがとぼけた顔をする。


「父さんも、村の大人の人達も……銃を持った外国の軍隊と槍で戦って、あっけなく死にました……。母さんは、私たちを隠したまま、連れて行かれて……村の広場で、大勢の女の人達と一緒に殺されました。今では、私が一番年上で……村は子供ばっかりです……っ!」


 ティシャの足元に、一つ二つと、涙が落ちる。


 マリリが痛ましそうな顔をしたが、とどく言葉がないことも、誰もが知っていた。


「戦争なんて……やりたい人達だけで、勝手にやって下さい……っ! 私達から……もう、うばわないで……」


「悪いが、それはできない。戦争を行えるのは、国家だけだ。戦争をするために、この地に住む者全員で、国家を作ってもらう」


 ゴードウィンが、感情も空気も、おので両断するように言い放った。


「国家でない集団が行う戦闘は、ただの殺し合いであり、許されない犯罪だ」


「そんなの、戦争だって同じでしょう!」


「違う。戦争は、国際法にさだめられた手順だ。だまって踏みにじられ、殺されるのが嫌なら、正式な手順をて正当に力を行使しなければならない。生き残り、ものを言う権利は、勝ち取らなければならないものだ」


 ゴードウィンの言葉は、非情に過ぎた。


 だが、ワンディルに言われた通り、これ以上ないくらい簡潔かんけつに現状を説明していた。


 戦争は、一方的に仕掛けられただけで成立する。それを正確に理解しなければ、踏みにじられ、殺されるだけだ。


 ティシャは、もう声もこぼさなかった。


「ほらよ、水だ」


 ゴードウィンとは違った形で、感情も空気も無視して、カザロフスキーが戻ってきた。


 外に聞こえていたのか、辟易へきえきした顔だ。ティシャに歩み寄って、水のはいを無造作に突きつける。


「安心しろ。おまえは、まともだ。おまえ以外の世の中全部が、まともじゃないだけだ」


 ティシャの振り払う手が、くうを切る。


 はいを軽く持ち上げたカザロフスキーが、そのまま自分で飲んだ。ティシャが、倒れるように部屋を走り出た。


 カザロフスキーが鼻を鳴らしたが、この時ばかりはマリリでさえ、カザロフスキーを責める目を持たなかった。

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