22.悪さなんかしないよ

 夜が明けて、旧王宮のゆかと壁は、隙間すきまもないほど赤黒かった。


 ワンディル達は緊張の限界を超えたのか、全員、しばらく嘔吐おうとが止まらなかった。


 嘔吐物おうとぶつの異臭は、血と、生臭い屍肉しにく臭気しゅうきにまぎれて、すぐに消えた。


はたかかげましょう。新国王の、最初の仕事ですよ」


「ええと……とりあえず、旧ネメリク王国旗で良いのでしょうか? それなら、どこかの通路で見た気がします」


「新しい国にするんなら、今日のところは、適当な布で間に合わせといた方が良いんじゃねえか?」


「どちらも一理ありますね」


 ジゼルとマリリ、クジロイが、平然と会話する。


 旧王宮は煉瓦造れんがづくりの二階建てで、今は中庭に出て、リントもメルルも、ついでに獅子ししも一緒に、人心地ひとごこちをついていた。


 視界のあちこちに、アルメキア軍兵士の血塗れの死体が転がっているが、気にしてもいられない。


 チルキス族の男達は臨戦体制のまま、運良く捕虜ほりょになった生き残りの兵士達を、中庭の一角に集めていた。


捕虜ほりょの扱いも、面倒な問題ですね。ワンディル達に国際法の理解を求めるのは、まだ難しいでしょうし」


 ジゼルが、口元に手を当てて考え込む。


 戦闘の勝敗が決した後は、降伏すれば捕虜ほりょとして、正当な立場と扱いが保証される。その共通認識がくずれれば、敗北側は死ぬまで抵抗する以外なく、勝利側も無意味な犠牲を増やすことになる。


 戦争というのは、法律無用の自由な殺し合いではないのだ。


「やあ、ジル! 相変わらず手際てぎわが良くて、すごいなあ! 今回は間に合わなくて、ごめんな!」


 陽気な声が響いて、筋骨きんこつたくましい、波打つ金髪の大男が現れた。


 ロセリア軍の茶色の野戦服を着て、腰に、これも大きな銃剣じゅうけんつきの自動拳銃をっている。ロセリア陸軍情報部コミンテルンの、バララエフだ。


 何気なにげない様子だが、チルキス族の警戒線をすり抜けている。クジロイが、いまいましそうに舌打ちした。


「誰も呼んでねえぞ、糞野郎くそやろう


「そう言うなって。もう内緒の仲間同士だろ? これからちゃんと、役に立って見せるからさ」


 なれなれしくジゼルに歩み寄る先を、マリリが、ふんぞり返って邪魔をする。バララエフが苦笑して、大仰おおぎょうに両手を上げた。


「安心して欲しいなあ。この状況で、悪さなんかしないよ」


「……そろそろ現れると思っていました。カザロフスキー二階級特退氏にかいきゅうとくたいしも、御一緒ですか」


「いちいち腹立たしい呼び方をするなっ!」


 いい加減、抜き打ちを警戒しているのだろう。中庭に入る手前の回廊かいろうから、金髪にせたほお、バララエフと同じ野戦服姿のカザロフスキーがわめいた。


 ジゼルが、軽くため息をつく。


「役に立つ、とは、どういう御提案を頂けるのでしょう」


捕虜ほりょを引き受けるよ。海路で少し北上すれば、後は大陸鉄道でロセリアに輸送できる。コミンテルンの伝手つてで、全部できるよ」


「フラガナ大陸からの捕虜ほりょを、ロセリア本国が受け入れれば、暗躍あんやくがばれますよ」


「そこで、次の取引きさ」


 バララエフが、指を鳴らした。


「フラガナの旧王国は、言っちゃなんだが、古代文明の名残なごりだ。政治体制が古すぎるし、近代国家としての自主独立でなければ、フェルネラントにとっても意味がないだろう。イスハバートやマリネシア、ペルジャハルと違って、フラガナの植民地解放は新しい国体こくたい樹立じゅりつと同時並行だ。違うかい?」


 バララエフの洞察どうさつは正確だった。ジゼルが無言で、先をうながした。


「俺達のかかげる世界革命せかいかくめいは、旧時代の支配階級を打倒して、新しい万民平等ばんみんびょうどうの社会構造を作るのが目的なんだ。フラガナは、その前半部分がもう済んでて、都合が良いんだよ。これからの国体樹立こくたいじゅりつに、ぜひ俺達の主義を取り入れて欲しいって、こういうわけさ!」


「植民地支配の看板かんばんを変えるだけなら、お断りです」


「違う、違う。俺達にとっても、自主独立の国体こくたいが同じ主義をかかげてくれるところに、意味があるのさ。奴隷じゃなくて、同志を増やしたいんだ。次の時代の国際秩序は、それが力になる。フェルネラントが始めたことだろう?」


 またしても、バララエフの持ち込んだ情報は、驚くべきものだった。


 ロセリア帝国は、帝国主義の覇権時代が、終わると読んだ。


 フェルネラント帝国の苦しまぎれの生存戦略が、人権と平等を旗印はたじるしにした正義の世界大戦せかいたいせんが、目標を達成すると予測したのだ。


 細分化された世界は、軍事力による階層支配ではなく、民族と政治理念、経済圏の結びつきを再構築するだろう。


 環極北地方国家群かんきょくほくちほうこっかぐん環大洋帯共栄連邦かんたいようたいきょうえいれんぽうが世界を大きく南北に分けるとすれば、それを縦断じゅうだんしてオルレア大陸とフラガナ大陸を影響力でつなぐことは、将来的に計り知れない利益になる。


 ジゼル、マリリ、クジロイが、鋭い目をバララエフに向ける。


 理屈ではなく、本能的に危険をぎとった目だ。バララエフの、主義という言葉に、理解の及ばない危険性を感じたのだ。


「受け入れてくれれば、軍事物資も資金援助も、ロセリアが全面的にうよ。フェルネラントはちょっと遠いし、ペルジャハルは自分のところで汲々きゅうきゅうしてる。始めたからには、フラガナも待ったなしだ。互恵関係ごけいかんけいってやつに、なれると思うんだけどな」


 陽気なはずのバララエフの声が、魔性の重さを感じさせた。ジゼルが、恐らく無意識に柄尻つかじりに触れて、口を開きかけた。

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