21.死なないように注意して下さい

 ワンディルの家は、旧ネメリク王国の政務首都せいむしゅとトゥべトゥルから少し離れた、小さな村落そんらくにあった。


 古びた土塀造どべいづくりで、それなりに大きい。村の中の配置からも、一目置いちもくおかれている家系のようだ。


 ワンディルが、入口から中を、恐る恐るのぞく。


 ちょうど出てきた、から水桶みずおけを頭に乗せた女と、鉢合はちあわせた。


「い……今、戻ったよ。姉ちゃん……」


 女が、無言で水桶みずおけを、ワンディルの頭に乗せた。


「な、なんだよ! 水汲みずくみなんて、女の仕事……」


 むちのようにしなった見事なりが、ワンディルの腰を打撃する。


 仲間の男達の面前めんぜんで、これでは格好がつかないだろうが、他の連中もがことのように首をちぢめていた。


「私にお気遣きづかいは無用ですよ。用事が済むまで、皆さんと一緒にお待ちします」


 ジゼルの言葉に、水桶みずおけを抱えたワンディルと、仲間連中も泣きそうな顔になる。


 集団の後尾こうびにいたマリリが咳払せきばらいをして、ワンディルが渋々しぶしぶと、水汲みずくみに出かけていった。


 マリリの隣で、クジロイが肩をすくめている。そう言えばマリリの母親を、一番上の姉、と表現していた。どうやらいろいろと、感慨かんがいにふけるところがあるようだ。


 ユッティと整備兵達は、リベルギントとメルデキントをともない、撤収てっしゅうしている。ジゼルの指示を受けて、今はもう、シュトレムキントで港を離れていた。


 チルキス族の男達は、周辺の森にって、警戒線を維持いじしながら休息している。


 薄灰色うすはいいろのリント、茶色縞ちゃいろじまのメルル、二匹の猫をそれぞれ肩に乗せたジゼルとマリリ、堂々とした長身のクジロイと、珍客ちんきゃくの三人を見て、女が警戒心をあらわにした。


 ジゼルよりは年上、成人して間もない程度だ。


 黒檀こくたんの肌に、からまり合って複数の束になった長い黒髪、ワンディルと良く似た大きな目と、厚いくちびるにかすかな紅色べにいろが浮かんでいる。


 しなやかに引き締まった身体を、色彩豊かな一枚布から縫製ほうせいする民族衣装に包んでいた。


「フェルネラント帝国陸軍、ジゼリエル=フリードです。ジゼルと呼んで下さい。お名前をうかがってよろしいでしょうか」


「……ティーシャガファッソー=タート、ティシャです。弟達が御迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」


「それほどのことではございません。むしろ、これからこちらが御協力を頂く立場でして、こうして挨拶あいさつに参りました次第です」


「協力……ですか? こんな村落そんらくの子供が、余所よその国の軍隊の方々かたがたを相手に、お役に立てるようなことなど……」


「ワンディルに、新しい国の王様になって欲しいのです」


 ジゼルの笑顔に、一呼吸置いて、ティシャが鼻にしわを寄せた。せんだってのクジロイ、ユッティと、全く同じ顔だった。


「この大陸から白色人種を追い出し、黒色人種の国体こくたい樹立じゅりつします。もちろん、私達が全力で後押しさせて頂きます。必要な人材も手配します。資金面でも、将来的な投資と考えて、恐らく問題はないでしょう。危険と言えば危険でしょうが、まあ、この御時世ごじせいけて通ることも難しいので、そこは御覚悟ごかくごを頂ければと思います」


「あの……おっしゃる意味が、わかりません」


極論きょくろんを言えば、どなたでも大して変わらないのですが、これも御縁ごえんと考えまして。本人の御意向ごいこうも、これから確認させて……」


「やるぜっ!」


 全速力で走ってきたのか、ワンディルが水を満たしたおけを頭上に現れ、話に割り込んだ。


「難しい話は全然わからねえが、白人どもを追い出すってんなら、望むところだ! なあ、みんな!」


 似たり寄ったりと仮定したが、どうやら仲間連中は、ワンディルより少しは知能が高いらしい。判断をぜっする会話の流れに、即答する者は一人もいない。


たのもしいですね。さすがは、私の見込んだ御仁ごじんです」


「任せてくれよ! それで、とりあえず、なにをすれば良いんだ? 仲間をもっと集めるのか?」


「今夜、私達について来て下さい。当事者がいるのと、いないのとでは、やはり人心じんしんへの希求力ききゅうりょくが違います」


 すずしい顔で、ジゼルが、最低限以下の説明をする。


「アルメキアの残存軍を殲滅せんめつし、政務首都トゥベトゥルを奪還だっかんします。戦闘行為は私達の領分りょうぶんですので、皆さんはできるだけ全員で固まって、死なないように注意して下さい。最後に王宮のてっぺんで、適当なはたを振って頂ければ結構です」


 ティシャと仲間連中の表情に、ワンディルがようやく追いついた。


 無理が、道理を軽やかに飛び越えている。マリリとクジロイは、もう慣れたものだった。


 リントが、にゃあ、とジゼルの肩で、メルルが、にゃ、とマリリの肩で鳴いた。


 少し早いが、先に食事を済ませられれば、充分な働きをして見せよう、と、いて訳せば二匹そろって言っていた。



********************



 港を離れる前に海猫達うみねこたちに収集してもらった航空偵察情報こうくうていさつじょうほうを、シュトレムキントの艦内で、シュシュとヤハクィーネ、ユッティに分析してもらい、整備中のリベルギント本体を通じて共有する。


 夕刻ゆうこくから夜半にかけて、リントとメルルがトゥベトゥルに潜入、理知的で協調性の高いリントと、物怖ものおじせず愛嬌あいきょうのあるメルルの、すでに練達れんたつの感もある同族哨戒網どうぞくしょうかいもうの構築により、先行情報の精度の高い確認が可能となった。


 どこの国、地域であっても、同族達は人類に次ぐ支配者の地位を確立しているようだ。


 アルメキア共和国フラガナ駐屯軍は、単純に、旧王宮を本営に接収していた。


 ワンディル達のような武装組織の抵抗が他にもあるのか、兵力の散逸さんいつはなく、イスハバートで戦闘したロセリア、シャハナの占領軍に比較すれば、少しはましな警戒体制を維持いじしていた。


 それでも、突然の侵攻を受けて艦船かんせんも戦車部隊もほぼ壊滅かいめつ敵性部隊てきせいぶたいの実態もつかめず、関係のありそうな偽装貨物船もなぜか港を離れたとあって、本営は混乱のきわみに落ちていた。


 正体も規模もわからない、来るかどうかもわからない相手を、とにかく警戒しろ、戦うか降伏するかも後で考える、では、兵士達はまともに機能できない。


 王宮の敷地にかれた灯火とうかと、それらが作り出してしまう物陰の闇が、はっきりと境界線を持つ深夜、侵略者が姿のない死を振りまいた。


 ジゼル以下、マリリ、クジロイ、チルキス族猟兵隊ぞくりょうへいたいからなる猫魔女隊ねこまじょたいが、同族達の情報支援を受けて闇から闇へ駆け抜ける。鉄弓のわずかなつるの響きが、命を奪う。


 戦場で罪をうたう者は、聖者せいじゃであるが愚者ぐしゃだ。


 リントとメルルの先導で、王宮内に突入する。ジゼルが水薙みずなどりで、現れる兵士、現れる兵士、胴を無造作に横断する。


 マリリが地をう影のように走り、小刀しょうとうで兵士の足を、首をる。クジロイの鉄弓は一射で双矢そうしが飛び、それぞれが複数の人体を貫通した。


 何匹かの協力的な同族が随伴ずいはん、チルキス族が散開して、拠点制圧に移行する。


 要所は把握済はあくずみで、全て順調だ。おびただしい屍山血河しざんけつがを築いて、押し渡る。


 ワンディル達は、まあ、なんとか遅れずについて来た。


 それだけでも立派なものだ。歯の根も合わず声もない、というていたらくは、仕方がない。


 憎い白色人種と言っても、これだけ大量に目の前で殺されていけば、どんな正義もゆらぐだろう。


 エトヴァルトの定義なら、それこそが正義の状態であるらしい。新しい国王としては、正義の状態が望ましいはずだ。


 だが、さすがに急過きゅうすぎたのか、ワンディルが口を抑えて脇の通路に飛び込んだ。一瞬、誰の視界からも消える。嘔吐おうとではなく、自棄気味やけぎみの怒号と悲鳴が聞こえた。


「私としたことが、下手へたをしましたか」


「問題ない。間に合った」


 振り返ったジゼルの目線の先で、飛び込んだ通路から、ワンディルが腰を抜かしたようにい出してきた。


 小銃を持ったアルメキア兵士の、首のもげかけた死体が、その足元に倒れ込む。踏み越えて、一匹の獣が現れた。


「大きな猫ですね……毛並みも立派です」


「あれは、たてがみと言う。獅子ししだ。狩猟の獲物として、おりにつながれていた。すでに同調済みで、外見ほどに気性は荒くない」


 リントが、にゃあ、と、メルルも、にゃ、と声をかける。獅子ししこたえて、のどを鳴らした。


 おとなしくジゼルに従う獅子ししを見上げて、ワンディルが、たましいごと抜けるような声をもらした。


「あ、あんた達……本物の、魔女なのか……?」


「ええ。猫魔女隊ねこまじょたいの名は、飾りではありません」


 ふと、返り血の赤い斑模様まだらもように汚れた野戦服姿で、ジゼルが口元を隠して微笑ほほえんだ。


「安心して下さい。契約相手をとり殺したりは、しませんよ」


 マリリとクジロイを含めて、相変わらず、冗談を言った本人以外、誰一人として笑わなかった。

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