17.ばれやしません

 皇都こうとの住民は、呆然自失ぼうぜんじしつだった。


 それはそうだろう。全状況を俯瞰ふかんしていたジゼルならともかく、すべての出来事が、常人の理解のいきを外れていた。


 だが、ラークジャートを先頭にニジュカ、クジロイ、遠征軍と反乱軍の兵士達が肩を並べて堂々と中央通りを行進するに至って、一人また一人と街頭がいとうを埋め尽くし、歓呼かんこの声がわき上がった。


 皇宮こうぐうは、混乱の極地きょくちだった。


 ラークジャートからの報告もなく、駐留軍の戦闘行動も一切の通達がなく、それが撃滅されたらしいと言う状況も貿易商会から何一つ説明がなかった。


 誰もが唖然あぜんとするしかない宮中きゅうちゅうを、勝手を知った顔のリントが先導し、ラークジャート、ニジュカ、クジロイの三人が歩いた。


 中央廊下の突き当たり、両開きの大扉の先、円形の絨毯じゅうたんいた上の玉座にハシュトルが座っていた。


 隣にはハシュトルと同じ翡翠色ひすいいろの、ペルジャハル帝国皇室の正装を着たセラフィアナが粛然しゅくぜんと寄りい、少し離れた壁際には、こんな状況でもしわ一つない黒灰色こくかいしょくの上下を着た、厳格な顔つきの男が立っていた。


 今やペルジャハル帝国の支配者たる地盤が崩壊した、エスペランダ帝国貿易商会の頭取とうどりへスティング=ゴードウィンだ。


 ラークジャートが、苦悶くもんに目をせた。


「なにも……申し上げる言葉を、持ちません……」


「言葉など必要ない。よく決心してくれた、ラークジャート」


 ハシュトルが玉座を降りて、ラークジャートに歩み寄る。そしてひざをつき、臣下しんかの礼を取った。


「長き国内統一の内乱をせいし、お戻りされたこと……そして正統の皇帝位継承こうていいけいしょうを御決断あそばされましたこと、心よりお喜び申し上げます、兄上」


「……は……?」


 ラークジャートが、の抜けた声をもらした。


「兄上は父ムルディーン先帝の長子ちょうしとして、正統の皇帝位継承権こうていいけいしょうけんをお持ちです。帝国危急存亡ていこくききゅうそんぼうのこの時、正室せいしつたる我が母に、もはや御配慮は無用と存じます」


「お……お待ちを……っ! なにを……なにを、おっしゃられているのか……」


「皇室の系譜けいふなど、この内乱で、とうの昔に燃えてしまいました」


 ハシュトルが臣下の礼のまま、悪戯いたずらっぽく笑って見せる。


「ばれやしません」


「お……おたわむれを……」


「ラークジャート=パルシー! 言葉をおつつしみ下さい!」


 セラフィアナが一喝いっかつして、ラークジャートの丸くなった目を、さらに丸く見開かせた。


「あなた様はおっしゃられました。御自分が帝国のため、ハシュトル様のためになにができるか、と……今、その答えを得たのです! もって瞑目めいもくし、その身をささげて先帝の大恩にむくいるべきではありませんか!」


 絶句ぜっくするラークジャートの横に並び立ち、セラフィアナがゴードウィンを振り返る。胸に手をあて、背中を伸ばす。


「お父様。私、セラフィアナも、これまでお育て頂いた御恩ごおんむくいる時がきたものと存じます。私は今こそペルジャハル帝国皇帝のきさきとなり、お父様の意志を理解し……されど、お父様とは違うやり方で、この国のために身命しんめいささげる所存しょぞんです」


 セラフィアナの眼差まなざしに、ゴードウィンが鼻を鳴らした。厳格な顔は、こゆるぎもしない。


「ざれごとだな」


「あなたの娘、一世一代のざれごとにございます」


 セラフィアナもまた、ゆるがなかった。


 玉座の広間に、ほんのわずか、張りつめた静寂せいじゃくが満ちた。そしてゴードウィンの靴音くつおとが、それを破った。


「好きにするが良い」


 明確に言い、もうセラフィアナを一瞥いちべつもせず、ゴードウィンが扉に向かって歩み去った。


 両開きの扉の横に、疲労困憊ひろうこんぱいの身を引きずって、それでも琥珀色こはくいろの民族衣装に真正しんせい二太刀にたちき、ジゼルがひざまずいていた。


「これがそなたのいか。おどと言ったが、おのれより他人をおどらせる方が得意と見える」


御覧頂ごらんいただくことができて、恐悦きょうえつです」


「……約束していた興行こうぎょうを急がせろ。この地を去る前に、観ておきたい」


 少し笑ったような口元に、ジゼルも微笑ほほえんで頭を下げた。


 ゴードウィンの去りぎわを見送ってから、リントがジゼルのほおを、気遣きづかわしげになめた。


「無理をする。大勢たいせいは決していた。失神していて良かったものを」


興行主こうぎょうぬしの責任というものです」


 ジゼルが笑いながらも、立つことはできず、座り込んだ。目線の先には、まだ呆々然ぼうぼうぜんとしたラークジャートがいた。見上げるハシュトルは、いっそすずしげな顔だ。


「兄上よりおあずかりしていた皇帝位こうていいを、つつしんで返上致します。これからはよろしくおみちびきのほど、お願い申し上げます」


「あなたは……あなた方は……なんという、ことを……」


「あちらの御仁ごじんに教わりました。系譜けいふなど、たかが体裁ていさいです。体裁ていさいが整っていれば、人は真偽しんぎによらず判断するものと……また逆に、役割を果たすことに真正しんせいであれば、立派な体裁ていさいも不要のもの、と」


 クジロイがニジュカの脇を小突こづいて、一緒にハシュトルにならい、片膝かたひざをつく。


「良き政治を行い、国民を幸福にすること、皇帝たる資格は他にございません。そして今この国で、それをお持ちなのは、兄上を置いて他にございません。系譜けいふなど、適当に作り直しておけば良いのです」


 ハシュトルが笑い、ニジュカも、クジロイも、にやにやと薄笑いを浮かべていた。


 玉座の広間に、立っているのはラークジャートとセラフィアナの二人だけだった。


 セラフィアナがペルジャハル帝国皇室の、翡翠色ひすいいろの正装の胸を、ラークジャートの野戦服の胸に押しつけた。


「陛下……私も、がんばりました。がんばった褒美ほうびを、頂戴ちょうだいしたく存じます」


 砂漠の金の砂をかしたような髪、極北きょくほくの雪の肌、その二つを結ぶ空と海の青をたたえた瞳が、ラークジャートを引き寄せた。


 そして強く、深く、長い時間と距離を超えたであろうようやくにして、くちびるくちびるが重なり合った。

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