12.目の前の標的に向かうだけさ

 洞窟都市どうくつとしは、想像していたよりずっと広く、明るくてすずしかった。


 強固な岩盤がんばんを何十年、何百年と掘り進め、使い足して、丘陵全体きゅうりょうぜんたいに広がっているようだ。


 共用通路の天井は高く、無数の横穴からの光も充分に入って、風も抜けている。


 岩盤がんばんが熱を吸収するので快適で、地下水脈をみ上げる井戸も豊富にあった。日照にっしょうの比較的おだやかな丘陵面にもみ上げ、畑を作っている。


 洞窟どうくつの奥から採掘さいくつされる岩塩がんえん希少鉱物きしょうこうぶつ近隣きんりんに売買して、住民の生活を支える程度には、不足のない収入源となっていた。


 それでも食糧の大半は外から購入したもので、大人口だいじんこうまかなうのは土台どだい、無理な話だ。


 軍隊、兵士は生産性のない消費者だが、仮に兵士全員が労働に従事しても、食物の収穫量は比例しない。


 西方からの補給路が押さえられた今となっては、遠からず、結果の如何いかんにもよらず、この都市の戦争は終わる。


 それが都市全体の高揚こうようにつながっているのは確かで、住民達を責める筋合いでもない。


 反乱軍の兵士達も、ニジュカの統率力とうそつりょくによるものか、状況を良く理解していた。


 このに及んで住民達を巻き込むような、立てこもりの準備をするでもなく、駐留軍から奪った糧食をあちこちでくばり、分け合っていた。


 ネクシャラ一座の舞台と天幕は、共用通路に長々と並んで、硝子灯がらすとう絢爛けんらんな光が洞窟都市どうくつとしに一夜の幻想郷げんそうきょうを生んだ。


 軽業曲芸かるわざきょくげい歌舞音曲かぶおんぎょく、美男美女の艶姿あですがた葡萄酒ぶどうしゅ芳香ほうこうに誰もが酔い、歓声を上げ、吐息をもらした。


大盤振おおばんぶいよね。東へ西へ逃げ回りながら持久戦、なんて考えたりはしないの?」


「俺は解放奴隷だし、部隊の連中も似たようなもんだ。はっきりした目の前の標的に向かう以外、まとまりようがねえさ」


 公共酒場の一卓で、ユッティとニジュカが葡萄酒ぶどうしゅを飲み合っていた。


 ヴィルシャを見張りに派遣して、マリリはメルルと幌車ほろしゃの中で、ことあれば飛び出さんと身構えている。多分、必要以上に厳しい顔をしているだろう。


 ユッティはいつものように、酔ったはしから洞窟都市どうくつとしへの好奇心で、歴史、構造、生活様式に至るまで一人で疑問をていし、推測混じりに分析して納得し、答えようもないことにこだわって話を広げていた。


 ニジュカは終始笑って相づちを打ち、難しいことは何一つ聞いていなかった。


「ユッティはがくがあるなあ。れするよ」


「最初のうち、そう言ってくれる奴は多いわよ。けどね、結局、自分より頭の良い女は生意気ってなるのよ、大概たいがいの男はね」


「そんなこと言ったら、俺はどうにもならねえよ。自慢じゃねえが、俺より頭の悪い女なんていないぜ」


「昼間の戦闘、上手うまくやったじゃない。遠くから見てたわよ」


「あれはかんだよ。言ったろ? 目の前の標的に向かっただけさ」


 ニジュカが、広い肩をすくめた。


「ラージャの奴なら、違うんだろうけどな。あちこち行ってるなら、名前を聞いたことぐらいあるだろう? あいつ、昔っからすげえ頭が良かったんだぜ。戦争ばっかりやらされてて、もったいねえよなあ」


「ラークジャート将軍のこと?」


「ああ、そうだっけ。友達だったんだよ。悪いな、つい、呼び方が適当になっちまう」


「その人と戦争するんでしょ。そういううわさよ、のんきにめてる場合?」


「勝った先のことなんて考える頭がねえし、負けた後のことなんて考える必要がねえ。今夜も明日からも、目の前の標的に向かうだけさ」


 ニジュカは屈託くったくなく笑いながら、右手の人差し指で、ユッティの胸の真ん中に触れた。ユッティが苦笑する。


「よしといた方がいいわよ? あたし、こう見えて魔女なんだから。いた男は、みんな死んだわ。一人は、あたしが殺したようなものよ……この戦争が始まった時に、目の前で死んだから、埋めてやったわ」


「へえ、うらやましいね。他には、どんな奴がいたんだ?」


「無神経に聞くわね……もう一人は、最期さいご看取みとれなかったわ。愛人だったのよ。無口で優しかったから、会う度に散々甘えて、身体もねだってさ……隅々すみずみまで知ってるって思ってたのに、病気には気づいてあげられなかった。間抜けな話よ」


 ユッティは自嘲じちょうして、葡萄酒ぶどうしゅを一口飲んだ。


「だから、次にれるのは長生きしそうな奴って決めてるの。あんたじゃ無理ね」


「俺だって結構しぶといぜ? 簡単には死なねえよ」


げんくらいかつぎなさいな。戦う前から死ぬ方に近づいてちゃ、いざ本当に死ぬ時、いが残るわよ」


「ユッティをかずに死ぬ方が、いが大きいさ。それぐらい俺の頭でもわかるよ」


 ニジュカの指が、わずかに動いた。


「こいつもかんだが、今の話し方でぴんと来た。ユッティ、自分で言うほど、飲み込めてねえな? それで誰か、れる手前で踏みとどまってる奴がいる。良いところ行ってるだろ?」


 ユッティが、口に運びかけたはいを止めた。目は、葡萄酒ぶどうしゅのゆらめきを見つめたままだ。


「男の生き死になんざ、勝手なもんだ。勝手な男ばかりにれるのはユッティも悪いんだろうが、れたれたの真ん中に、しのごの言っても始まらねえ。その程度のことさ。ユッティみたいな美人が遠慮してたら、もったいねえって」


「……遠慮、ね。どうせなら、配慮って言って欲しいわ」


「どっちでも俺にはらねえよ。そうだな、死んでも死なねえ。それで安心するなら、約束でもなんでもしてやるよ」


「あんた、どう見たって、長生きなんてできそうにないんだけど」


 はいを置く。葡萄酒ぶどうしゅにさざ波が立って、静かに広がって消えた。お返しとばかり、ユッティの指がニジュカの胸を突いた。


「根拠のない自信ってのも、大事だわ」


 その言葉を言わせたものが何なのか、ユッティにも分明ぶんめいではないだろう。


 遠く竪琴たてごとの音に乗って歌われている愛や恋と、必ずしも同一のものでなくとも、多分、この瞬間の本人達には充分なのだ。


 ヴィルシャがそっと、足音を立てずにたくを降りた。


 外に出ると、硝子灯がらすとうの光がぽつぽつと、葡萄酒ぶどうしゅけるような濃密な赤紫色あかむらさきいろに、変えられて行くところだった。

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